帰省
帰省時は18キッパーと化す2Gです。
今年も2410円で大移動を行うのです...
18きっぷを使う時しか味わえない、長時間電車の中で過ごすのんびりとした時間...
今流行りの「タイパ」とは逆行している(?)時間の使い方に共感してくれる人とはお友達になれそうです。
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さあそんな帰省の道中、常磐線に揺られながら、1ヶ月ほど前に購入した「ナラタージュ」という小説を読み読みしておりました。なんか映画化もされている有名な作品のようですね。
こんなところでネタバレを喰らうのは僕でも嫌なので、どんな内容だったかはボカシときます、が、割と重〜い恋愛小説だということは言っておきます。些細な出来事をきっかけに変化する人間関係、脳内で補完するにはやや起伏の激しすぎる展開でしたが、これくらいキツい方がのめり込みやすかったりします。ブックオフで220円で買ったとは思えない程に、旅のお供として十二分の働きをしてくれました。
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このナラタージュという作品の中で、「私はこの人から何も与えられなくていい、私が与えるだけで幸せなんだ」という感じの心情描写があり、そこが妙に印象に残ってしまいました。
「好きな人に尽くす事の幸せ」を表しているのだと思いますが、現代ではこの関係は個人間に留まらず、「推し活」という形で多くの人が享受している感情でもあるでしょう。
僕から相手に与えることはあっても、相手が僕から幸せを与えられることってあったっけ、とふと考えてしまいました。僕は今まで人に幸せという感情を与えてきたのか。ちょっと分からない。もし幸せを与えることができているのなら、とても嬉しい。
このnoteという場所で、誰かに幸せを与えられたら本望だ。
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兼好法師もビックリの徒然っぷりだ。全く、何を考えているんだろうねぇ。