大富豪という共通項
高校時代の部活動の思い出は、やはり「大富豪」なしには語れない。大富豪とは別に油田を掘り当てた友達がいたという訳ではなく、トランプゲームの話である。部活を終え、部室に戻ってから学校を出るまでの時間、任天堂の高級なトランプを使って時間を忘れて熱中した。大富豪そのものの、運と実力が試されるゲーム性は勿論のこと、友人たちの悲喜こもごもの叫び、運動部特有の部室の匂い、誰かが持ってきた段ボールいっぱいのミカンを頬張りながらのプレイ…大富豪をしている時間だけは、五感のすべてで「楽しさ」を享受している時間であり、定期テストや受験などから目を背ける時間でもあった。
大富豪というゲームは、非常に奥ゆかしい。手札を全て捨てるというシンプルな進行だが、「8切り」や「スぺ3返し」などに代表される、様々な手札の効果がゲームを盛り上げる。しかもそれらは厳密なルールではなく、地域差が大きなローカルルールなのである。高校時代でも、様々なルールを試した結果、部内の独自ルールが形成された。大学に入ってから友人と大富豪を行った際は、最初にルールの確認から入る必要があった。自分が使ってきたルールとほかの人のルールの差に毎回驚かされる。
思うに、高校時代に大富豪というゲームが流行した要因の一つとして、ルールを自分たちで模索し、確立することができるという事が挙げられるのではないかと思う。ルール作りを介し、「共通項」が育まれ、仲間同士の連帯感がより強固になったのだ。
先日、高校時代の部活の友人と久々に集まり、大富豪をする時間があった。高校時代に大富豪によって築かれた友情関係は、今でも褪せることは無かった。部内ルールは脳髄に染み渡っており、午前三時を過ぎて会話がままならないほどに眠気が襲ってきてもなお、トランプを切る手は止まらなかった。重い瞼を何度も開閉させながら、私は「大富豪という共通項」を持っていることに感謝した。それが無ければ、今ここで同じように眠気と闘いつつ大富豪に興じる仲間はいなかったのだから。
いつかはお互いがお互いの場所で、別々の共通項を作り、高校時代の関係を薄めてしまう日が来るのかもしれない。それでも、私は「共通項」を作ってくれた仲間たちを忘れることは無い。きっと一年後、五年後、十年後と、月日を重ねても忘れない。その誓いを胸に、また新たな場所で新たな「共通項」を作ることが当分の自分の生きがいになるのだろう。