1.24 ゴールドラッシュデー
コール・ミー、コール・ミー。
営業時間はバーが開いている夜八時から十時まで。
この商売を始めたのはたまたまだった。
古くからの友人であり、適当すぎるバーのマスターに留守番を言いつけられた時。
ウイスキーダブルを一杯お駄賃にしてやるというので、彼が氷を買いに行っている間薄くなったジンバックを啜りながらカウンターで本を読んでいた。
どうせ週末でもないのにこの店に来る客なんていない。
予想が当たってあくびを噛み殺していた頃、目覚ましのように突然電話のベルが鳴った。
放っておけば良かったのに、反射的にオレはその受話器を上げてしまった。
「…もしもし?」
回線の向こうはざわついている。荷物のなかで勝手に発信ボタンが押されてしまったような、何かに擦れるような音も聞こえた。
受話器を下ろそうとしたところで、ハスキーな女の声が漏れ聞こえ、受話器を耳に戻す。
「もしもし、潤ちゃん?」
潤というのは友人であるマスターの名だ。
「いいえ、違いますよ」
眠い目を擦りながら否定すると、何故か女は喜んだ。
「へえ、じゃあ誰?…いい声してる」
「それはどうも」
別に名乗る必要もないだろう。たとえ上客だったとしても、オレに店番なんて任せるあいつが悪い。オレは頭を掻いてまたあくびを噛み殺した。
「まぁいいや。ねえお兄さん。ちょっと聞きたいんだけど。
自由を手に入れたい女がいるとするでしょう。仮にA子とするわ。A子は人気者で、いつも人の目を気にして生きていなければいけないの。それがお金にもなってるから。みんなの物でなくちゃいけないA子は、その枠が窮屈になってきた。誰か一人、特定の相手に恋だってしてみたい。それでね、」
「ああもういいです。それ、もう答えは出てるんでしょ?」
酔っ払いの長話に付き合うつもりはない。薄まりすぎたジンバックはもはやただの甘い水だ。
「え。なんて?」
「飛んじゃいなよ。オレはあんたを知らないし、実はそんなにみんながみんなあんたのことを見てるわけじゃない。一部のやつは困るかもしれないけど、あんたの日常生活なんてたかが知れてるからね。アフリカやインドの奴があんたの一挙手一投足に注目してると仮定してごらん?あんた神様かなんかなんじゃないの?人間は人間らしく自分のこと考えてやればいいよ。
カウンセリングは以上です。お代は今から言う口座に振り込んでね」
最後の方は酔っ払いの冗談だった。
まさか翌日、本当に口座に大金が振り込まれているなんて。
「なあ、昨日ハスキーボイスの酔っ払いから電話受けたんだけど、あれ誰?」
昨日と同じバーカウンターで通帳を見ながら知らない個人名を凝視した。
「はあ?男?女?」
「女。履歴に入ってたっぽい」
マスターはグラスを拭きながら斜め上を見て思考を巡らせ、あ、と小さく口を開けた。
「それあれだわ。絶対言うなよ?」
誰もいない店内で声のボリュームを落としたので思わず身体をカウンターの向こうに傾ける。
「え、あれが?」
更に数日後には、ある大物タレントが突然の無期限休業を発表したとワイドショーが騒ぎ立てた。
なんとなく立ち寄ったコンビニでも週刊誌の見出しがそれ一色なので、なんとなく気まずい。
「すごい適当なこと言っちまったぞ、俺」
一冊だけ週刊誌を買ってみたが、ほとんど推測としか思えない記事しかなかったので、オレは夜飯のラーメン鍋の下敷きにすることにした。
一か月もしてワイドショーが彼女のことを忘れ始めると、バーに不思議な電話がかかってくるようになった。
「おい、悩みを聞いてくれる奴がいるって電話がすごいんだけど」
あいも変わらずカウンターでジンバックを飲んでいるオレにマスターが文句を言った。
試しに出て適当なことを話してみたら、次の日金が振り込まれていた。
どこで番号を入手しているのか、それからというもの代わる代わるたくさんの男女、主に女から電話がかかってくる日々が始まった。
どうやら一部の界隈では大物タレントを解放したカリスマカウンセラーということになっているようだった。
世の中の悩みは尽きない。自分の悩みを解消しようと、きょうもオレの適当な助言に人々が群がる。
「こんな奴の話きいてて大丈夫なのかね、この人たち」
受話器を置いて、ため息を吐く。
「値段は勝手に相手が決めてんだからいいんじゃないの。それに、おまえ真っ当な事ばっか言うし自分見失ってる人たちには有難いんだろうな」
そういうもんか、と黙った電話を眺める。
なんか知らないけど、役に立つならまあいいか。
A子は元気でやっているだろうか。あれから電話は来ない。
飛んだ先が明るい空の上であればいいなと思う。
コール・ミー、コール・ミー・ベイビー。
1.24 ゴールドラッシュデー
#小説 #ゴールドラッシュデー #JAM365 #日めくりノベル
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