11.28 いいニーハイの日
扉を開けると巨大な男が玄関先で私のことを待っていた。
私は、寒い屋外からようやく室内に入った安心感から気を抜いていた。突然頭のおかしい大男が自宅の玄関に現れる想定などしていなかったので、胸中で盛大に舌打ちをする。
「おい、冗談ならやめておけ。俺は今機嫌が悪い」
私が歯をむき出すと、正宗は犬のような顔をしてふわふわの黒髪を左右に揺らした。
「冗談以外の何者でもあるものか」
奴は、ウニキュロのふわもこパーカーに下半身は星柄のトランクス、更に秋葉原のメイドの写真でしか見たことがないような太ももまであるソックスを履いて仁王立ちをしている。
控えめに言っても、吐き気がするほど気持ち悪い。
「冗談はその天パだけにしておけよ。殴るぞ」
私はくたびれたスニーカーを踵を使って脱ぎながら正宗を押し退けようとした。どうせいつものお遊びだろう。
しかし、奴はびくともしないで私を見下ろしている。
「草太くん草太くん。童貞の君にこの靴下の名前が分かるかね」
「お前、俺を舐めてるのか」
眉間に三本も縦じわを入れて睨みつけてやると、正宗は右足を伸ばして壁につき私の行く手を阻んだ。
「答えよ。さすれば道は開かれん」
「チッ」
今度はきちんと音を立てて舌打ちをした。奴が少々怯んだ隙に押し通ると、バランスを崩したのか背後で倒れる音が響いた。
居間のこたつに肩まで潜り込むと、その至福の時間に私の苛々が少しおさまった。
私は寒さには滅法弱い生き物だ。しかし、夏を思い出せば暑さにも滅法弱かった気がする。
こんなに寒いのに、大学院に行かねばならないなんて苦行でしかない。しかし企業に勤めて働くよりはマシな気がした。
いつもは邪魔な居候の大型犬も、部屋とこたつを温めていてくれるという意味では役に立つものだ。
正宗は痛むのか腰をさすりながらいそいそと私の背後に回り込むと、気持ち悪い格好のまま私の肩を揉み始めた。
「何だ。気色が悪い」
「そんなこと言わずにさ。だって、きょうはこのソックスの日だから」
「はぁ?」
私は寒さからの解放と心地よい肩の刺激を受けてうとうとし始めた頭で、きょうが何の日かをぼんやりと考えた。
「十一月、二十八日…。いい、ニーハ」
「正解っ!」
まるでクイズ番組の司会者のように声を張り上げ、私の頭を早押ししたのでとりあえず肘鉄を食らわせておく。
「何がだ」
長いソックスを履いて悶え横たわる男を路上に落ちているバナナの皮を見るくらいの目で見やる。
「きょうは、いいニーハイの日です」
そういえば、この長い靴下はニーハイソックスというのであった。しかし、筋肉質に太い男の太ももには一切マッチしていない。一体どこから手に入れてきたんだこの男は。
「…だから?」
「つまり、明日は何の日でしょうか」
長い前振りの答えがようやく見えた。
私は表情も変えずに肩もみを再開するよう顎でうながした。
正宗は喜んで私の背後にスタンバイする。
「焼肉は却下だ」
揉み始めた手を止めて「ええー!?おれがここまでしたのに?」と正宗が吠える。
「頼んでない。八月二十九日にお前に騙されて焼肉に行っただろ。もう充分だ。あれのせいでうちのエンゲル係数は馬鹿上がりした」
ふん、と鼻を鳴らすと、正宗はさっさと私の横を離れてニーハイソックスを脱ぎ、スウェットのズボンに履き替えた。
「草ちゃんのケーチ」
奴はあろうことか脱ぎたてのニーハイソックスを私の顔面めがけて投げてきたので、その後大喧嘩になったことは言うまでもない。