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12.3 奇術の日・妻の日

僕の妻は自由人だ。
きょうは朝早くから「友達と出かけてくる」というから、「気をつけて行ってらっしゃい。ちなみに、どこに行くの?出来たら帰りに髭剃りクリームを買ってきてほしいんだけど」と何となしに頼んだら「いいけど、帰ってくるの来週だよ?」と言われた。
どうやら話をまとめると、会社員時代の同僚と五泊六日でアメリカのセドナへ行ってくるとのことだった。
妻は小さな鏡を覗き込んで器用にピアスをつけながら「あ、洗面所の流しの下見てみて。確か予備のクリーム買っておいたと思う」と言い、支度が終わるとスーツケースを引いてあっさり出て行ってしまった。
それはもう近所に買い物に行くような気軽さだった。
私はふむ、と頭を掻いてから飼い猫のパフに餌をやると、珈琲を淹れ、ソファに座ってテレビを見た。
土曜日の朝は明るくてまったりとした番組が多くてよい。
アメリカのセドナ。どんなところだろう。ガラスの机に置いたマグカップに手を伸ばすと、その隣にあるガイドブックが目に入った。さっきまでその存在に全く気づかなかったのが我ながら不思議である。
アメリカ・セドナと表紙に大きく書かれた本にはたくさんの付箋が貼ってあるが、彼女はこれを持って行かなくてよかったのだろうか。
手に取りページをめくってみる。付箋がついている箇所は180度開いた跡があるから、きっと必要なところだけコピーしていったのだろうと少し安心した。
「セドナ、は、神秘の土地。ボルテッ…クスと呼ば、れる、世界有数のパワースポットの集合体です?」
ざっくりと付箋の箇所だけ目を通し、なるほどと本を閉じた。
飼い猫のパフが餌を食べ終わり私の脚にまとわりついている。
「お前の母ちゃん、こういうの好きだもんな」
冷めはじめた珈琲をすすり、膝に乗ってきた猫を撫でる。
「多分また変な人形とか煙をたく葉っぱとか、鐘とか買ってくるんだろうな」
私は特にそういったものに興味は無いのだが、彼女といると不思議なことが起こることも確かだ。
無くしたものの場所を当てられたり、母親に電話しろというので連絡を取ったら風邪をひいて寝込んでいたり、盗み食いをすれば必ずバレるし、帰りに内緒でパチンコ屋に寄ってもいくらくらいすったかまでお見通しなのである。
金欠の時にはお金が急に入れた覚えのない棚から出てきたりして助かっていることもある。
どういう仕組みなのかは分からないが、私は何かカラクリがあるのだと思っている。
しかし彼女に聞いても「それは世界のカラクリよ」とあっさり言われてしまうだけなので、もうあまり気にしない事にした。(世界のカラクリというのは彼女の口癖でもある)
「さてと、僕も出かけようかな」
猫を膝から退けて、マグカップをシンクに片付ける。
ポロシャツとチノパンに着替えて洗面台に立った。
「えーと、洗面台の下の棚…っと」
観音扉を開くと、何やら思いもよらぬ白くて四角いものが目に飛び込んできた。それは、髭剃りクリームの缶に貼られた妻の手書きのメッセージであった。
『パチンコに行くときは、パフの水を取り替えて電気とテレビを消してから行くこと 妻より』
私は唖然としてしまった。一体このメモはいつ用意されたものなのだろう。突然出現したようにしか思えず、実は監視カメラで私のうろたえる姿を近くのどこかで見ているのではと疑ったが、しばらく探してもそれらしきものは何も見つからなかった。
私は首を傾げながら髭を剃り、猫の水を取り替えて、電気とテレビを消してからパチンコ屋へと向かった。

帰り道に入った飲み屋のカウンターできょうの出来事を大将に話すと「世の中の大抵の奥さんってやつは奇術師みたいなもんだからな。観客の俺たちにはタネも仕掛けも分からねぇことだらけだよ」と頭を掻きながら教えてくれた。
そうか、うちだけではなかったのか。世に言う女の勘みたいなやつも奇術の一つなのかもしれない。
きっといまウチの奥さんは遠く離れたパワースポットで、さらにその技を磨いているに違いない。
少し怖いけど、楽しい奥さんで良かったなぁとしみじみしながらタコワサで焼酎を飲んだ夜だった。

12.3 奇術の日、妻の日
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