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5.22 国際生物多様性の日
「今あなたの周りにいる生き物を数えてみてほしいんだ。思いつく限りを数えて僕に教えてみてくれ」
陣内教授が春子に言った。
春子と陣内教授は囲碁サロンで出会った仲間だ。
この日は喫茶店でクリームソーダを飲みながら雑談をしているところだった。
「陣内せんせ、人間も数えていいのかしら?」
陣内教授はアイスクリームとメロン色のソーダの間にあるシャリシャリを口に運びながら、春子の質問に嬉しそうにうなづいた。
「いいね、春子さん。もちろんだとも。だって、人間は動物の一種だからね」
春子は指折り動物の数を数え始めた。
陣内教授はシャリシャリを全て食べ終えてしまうと、新たなシャリシャリが生まれるのを待つようにスプーンを置いた。
「人間はね、勘違いしやすい。人間だけ特別で、他の動植物は自分たちの支配下にあると思っている。後から出てきた新参者が生かされているだけなのに、本当に生意気なものだよ」
「せんせ、私は五十種類くらいしか思いつきませんでしたけど。もっともっといるのでしょうね」
春子は恥ずかしそうに頬を染め、赤いうずまき柄のストローを小さな口にくわえて冷たいソーダを吸った。
「いや、五十も思いつくとはすばらしいよ。春子さんは動植物のことをちゃんと見てあげているんだな」
窓から差し込んだ緑陰が二人の間の机の上に落ちて揺れる。
「そうですか。せんせに言われると恥ずかしいわ」
陣内教授は両手で大きくひとつの丸を宙に描いた。
「地球がある。この地球の上では、およそ40億年かけてここまでの生物が進化発展してきたと言われているんだ。それぞれがそれぞれの種を支え、丸い地球の生態系が出来ている」
説明をしながらその丸をばらばらと崩す仕草をする。
「あら。壊れてしまうの?」
「そうなんだ。40億年の間に淘汰されてきた種もある。しかし最近の絶滅というのは、そういうのとは違う。自然的に言えば不自然な絶滅と言っていい。一つの虫の種を絶滅させることで円が崩れ、動物や我々の生活へと波紋を広げていく。それを分からずに、虫の一匹、動物の一種、植物の一本と侮るのはなげかわしいことだよ」
ばらばらと崩れた生態系の円を、教授は集めて灰皿に入れると、火をつけたマッチをそっとそこに入れた。
空の灰皿の中で、マッチが生態系の円を燃やした。
「ああ、春子さん。僕はあなたに会いたかった」
陣内教授の前の席で、メロンソーダのアイスクリームが溶けていく。
向かいにある革張りのソファに座る者はおらず、喫茶店の店員は不思議そうな顔でクリームソーダを二つ並べた陣内教授を見ていた。
絶滅した春子さんの姿の上に落ちる緑陰は、陣内教授の瞳の中でゆらゆらと燃えて揺らめいていた。
5.22 国際生物多様性の日