1.6 色の日・ケーキの日
長い正月休みが終わる。
年をまたいで十連休の最終日、私は新幹線や電車の発着が見える駅ビルの喫茶室で珈琲を飲んでいた。
青緑色の鼻の長い新幹線や銀色の車体にイタリアの国旗のようなベルトが入っている電車が駅から出入りするのを見て、あの中にはどんな人が乗っているのであろうかと想像して暇をつぶした。
長い長い休みであった。
なにせ、正月休みというものにはほとんど目的が無い。
夏休みであれば旅行の計画を立てたりだとか出来るものだが、正月休みとなると実家に顔を出したり挨拶周りをしたりするのに必ず元日と二日くらいは居る場所を指定される。
四十を過ぎて、その習わしは呪いかと思うほど身に染み着いている。
年末年始はどこに行っても人だかりにもみくちゃにされ、旅行に行こうものなら空港へ向かうまでの列車でもみくちゃにされる。
もみくちゃ覚悟で動き回るか、大人しく実家で犬でも撫でているしかないのだ。
昨日あたりから、私はもうこの長い休みに飽きていた。
しかし、そんなことは口が裂けても人には言えない。
浮かれた者達に歯噛みしながら笑顔で休み無く働く人々、不安にまみれながら受験勉強に明け暮れる人、小さな怪獣に部屋と神経を破壊されながら大量のお年玉をむしりとられる人。この私がのんべんだらりと過ごしていた十日間を必死に生き抜いてきた人たちもいるのだ。
ただ私には目的もなく、新年だからと新しい勉強を始めるほどの意欲もなく、部屋と神経を荒らす怪獣もおらず、機嫌をうかがう嫁も無く、お年玉をあげる親戚の怪獣さえもいない。
実家の犬にちょっといいおやつとおもちゃの土産を買い、年老いた父母にちょっと高級な豆大福を買って帰るくらいだから寂しいものである。
眼下に目を落とせば、日が傾いて薄暗い駅前広場に人はまばらだ。
皆明日から始まる日常に備えて家に帰ったのだろうか。日本人は真面目だと思う。
社会がそうさせるのか、血がそうさせるのかは分からない。私はどうも前者ではないかと考えている。
私は、長い長い休みを持て余していたにも関わらず、明日には終わると思うと惜しくなっていることに気がついた。
長い夢から覚めるような気持ちだ。早く社会生活の中に復帰したいような、このままいつまでも退屈を持て余す夢を見ていたいような。
「すみません」
私は黒いシャツに焦げ茶色のエプロンをつけた感じのいい店員を呼び止めた。
「今からでも、こちらのケーキセットに変更出来ますか」
店員の女性は、四十を過ぎた男が一人でケーキを注文しようとしていることにも驚いたりはしなかった。変わらず感じのいい笑顔で
「はい、もちろんです」
と答えた。
私は今まで食べたことのない、紅茶のシフォンケーキを注文した。休みが終わる最終日を何気なく特別なものにしようと考え、なんとなくケーキで締めることにした。
広い窓から見える柔らかそうな冬の雲を見ていたから柔らかいものが食べたくなったのかもしれない。
席に届いたシフォンケーキは思いのほか大きく、添えられたホイップクリームはまだ屋根の上に溶け残る雪のようにとろりとしている。
フォークを入れると、切れずに皿まで届くのではないかというほどに弾力があった。
真っ白のクリームをのせて一口頬張る。
柔らかくはっきりしない甘い味が口中に広がり、何度か噛むうちいつの間にか消えてしまった。
「ほう、なるほど」
私は楽しい気持ちになった。まるで、私のこの長い休みを具現化したようなケーキだったからだ。
冷めた珈琲で紅茶のシフォンケーキを堪能し、私はそれまでより軽くなった気持ちで伝票を持ち席を立った。
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