2.11 干支供養の日
お爺さんが運ぶ紙袋のなかで、小さな犬がキャンと鳴いた。
お爺さんは足を止めてあたりを見回したが、寂れた裏通りで辺りに犬の姿はなく、まさか自分の紙袋の中から聞こえた声だとは思わずに、首を傾げてまた歩き出した。
お爺さんが向かっているのは近所の寺である。そこでは一年家に飾って役目を終えた干支飾りを引き取り、元の土に還してくれる。
さよならの日を迎え、紙袋の中の犬は誇らしげであった。
孫娘に購い求められた時にかけられた、お爺さんが元気で長生きしますようにという優しい願いを叶えることができたからだ。
お爺さんに怪しい気配が近づこうものなら、犬はキャンキャンと鳴いてそいつを追い払った。
天寿ばかりはどうしようもないが、人からもらう気苦労や悪い気にあてられないようにと犬は日々目を光らせた。
それでもお爺さんは寒くなると腰が痛くなるようだったが、毎年のことのようなのでそればかりはどうしようもなかった。
お爺さんは孫娘に贈られた犬を、それは大事にしてくれた。
といっても、お婆さんの仏壇の端に置いて時たま埃を払ってくれたり微笑みかけてくれたりするだけだが、犬にとってはそれがとても嬉しいことだった。
大抵の干支飾りというやつは、二月も越える頃には忘れられてしまうことが多い。
大切にされていた犬は、忠義を尽くして一年間お爺さんを守った。
腰の曲がったお爺さんは、横断歩道の赤信号で止まる度に痛む腰を叩いて宥め、その振動は犬にも伝わってきた。
寺の敷地に入ると空気が変わり犬は鼻を鳴らしてああ、と気がついた。
お線香の香りと、緑の香り、そして懐かしい他の犬たちの匂いがした。
「これはどうも。今日は晴れて暖かですな。歩いていらっしゃったんですか」
庭を掃除していた和尚に声をかけられたお爺さんは「ええ、あったかくてね。そげなもんで歩いて来ました」なんて言いながらしばし立ち話をしていた。
話がひと段落ついて二人の間がしんと静かになると、それではとお爺さんが紙袋を和尚さんに渡した。
「こいつのこと、お願いします」
和尚は紙袋の中をちらりと覗いてうなづいた。犬は変わらず丸い目を向けて和尚を見ていた。
「こいつは役に立ちましたかな」
「ええ。おかげさまで、ぴんぴんですわ」
「それは何より。犬も喜んでますでしょう」
犬はそれに応えるようにキャンと鳴いたが、二人には聞こえていないようだった。
お爺さんは深々とお辞儀をして寺を後にした。
和尚は掃除の手を止めて、紙袋から犬を取り出し役目を終えた仲間たちの中に並べた。
「お勤めご苦労さんでした」
犬は、清々しい気持ちだった。
寂しさよりも、役目を全うできたことに安心していた。
そして土に還り、出来ればまた干支飾りとなって人の人生の断片を見てみたいと、ひっそりとそう思ったのだった。
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