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1.9 風邪の日

フリーターの友人Aが風邪をひいたらしい。
明日は朝から飲食店のアルバイトに行かねばならぬのに、熱は下がらず咳は止まらず、寝すぎたばかりに背中は痛く、大層困っているのだという。
SOSを受けたニート予備軍の私は、何を持っていけば良いかも分からず、さらにはもちろん金もないので、とりあえず身一つでフリーターの友人Aのところに風よりはやや遅めのスピードで馳せ参じた。
「やあA、ご機嫌いかがかね」
私はスウェット上下にウニキュロのふわふわライトダウンという軽装の上に、長すぎる母の手編みのマフラーを首から顔からぐるぐる巻きにして親指を立てた。
玄関に現れたフリーターの友人Aは、マスクに冷えピタ、パジャマに土気色の顔という、ザ・病人スタイルで私を出迎えた。
「グエッホ、ゲホ。Bよ。私はもう死に絶える寸前である。家から出られず食べ物も底をつき、餓死寸前だ。はーグエッホ、更に明日アルバイトに行けなければ、来月の生活費に大ダメージである。助けてくれグエッホ」
フリーターの友人Aは、じじいのように背中を曲げて力無い足取りで万年床へと戻って行った。
寝室兼居間へと続く襖を開けたままなので、入ってこいということだろう。
私は一瞬靴を脱ぐのをためらうほどに埃の溜まった床を心配し、しかし今は自分が裏返しに履いてきた靴下が汚れることよりも友の容態を気にするべきだ、それが人だと思い直して家に上がった。
つま先立ちなのは放置されたフリーペーパーやら求人情報のチラシやらが廊下に散乱し文字通り足の踏み場が無いからであって、床が汚いのを気にしているわけではない。…断じて。

私が寝室兼居間までたどり着くと、フリーターの友人Aは頬を赤くしたり青くしたりしながら焦点の合わぬ目をこちらに向けた。
「大丈夫か、A。まるで土人形のようだ。何か食べたいものはあるかい」
私の精一杯の優しさである。
「グエッホ、グエッホ。すまないな、B。お主だって自宅警備に忙しいであろうに…。プリン食べたい。トマトスープ飲みたいグエッあと可愛い彼女が欲しいグエッホ」
変な鳴き声のような咳に惑わされそうになったが、なんだか最後にすごい要求をされた気がして耳をダンボにして聞き返す。
「おいおい、水臭い事言うなよ。それに私は自宅警備員ではないよ。ニート予備軍だ。三日に一度は散歩だってしてるんだぜ。自宅の警備は愛犬のマックスにお任せさ。それより、プリンと何だって?トマトスープと何だって?」
「悪いな。俺は弱っているのかもしれない。わがままを言いすぎたようだ。君を困らせない。トマトスープは諦めるよ。だから、可愛い彼女をグエッホ」
私は初めて寝ている病人相手に裏手で鋭いツッコミを入れた。
スパーンと小気味いい音が四畳半の部屋に響く。
「いやいや、意味の分からない要求を挟んでくるな混乱する!彼女とか!風邪ひけば誰かがあてがってくれるなら私とっくに風邪ひいてるわ!自宅警備の言い訳にもなるしね!はぁ…取り乱してしまった。頭を冷やすためにもとりあえずプリンとトマトスープを隣のコンビニエンスストアで購入してこよう」
可愛い彼女というのがフリーターの友人Aなりの笑いの取り方だったのかは分からないまま、私は全力でツッコミを入れたのが久々だったので少々恥ずかしさを覚えながらAの小汚く形の変形したリュックを漁った。
「ん?おいおい、ブラザー。何をしている?」
フリーターの友人Aは、薄い枕に乗せた頭をブリキのおもちゃのように九十度ギコギコと動かし私を見た。
「俺はBだが、ブラザーのBではないぜ。何って君、銭を探しているんじゃないか」
私はタオルとか謎のモンスターのぬいぐるみとかを出しながらリュックの奥へと手を進めていく。
しかし、背後から伸びたフリーターの友人Aの腕が私の腕に絡みつき動きを止めた。
「な、何するんだっ」
「何って君、見舞いに来てくれたんだろう?それならば差し入れとかお見舞いの品とか持ってくるのが常識だろうよ。君は手ぶらで来たのだから、君の財布で買ってきてほしいものだぜ」
「はっ、笑止千万!何故フリーターとして着実に堅実に銭を稼いでいる君に、この吹けば飛ぶようなニート予備軍生活をしている私が銭を出さねばならんのだ!」
必死で伸ばした指先が財布らしいものの角に当たった。しかし何が病人かと疑わしいほどに力強いフリーターの友人Aに押され、掴みかけた財布の角がまた離れていく。
「馬鹿者が!君はそもそも実家暮らしだろうが!家賃も光熱費も食費すらも心配することなく、たまに夕方あたりに薄ぼんやりと自分の未来を心配しているふりだけしてみたりしている君が!こんな時くらい金を出してくれてもいいだろうが水臭い!」
さすがは毎日コツコツ働いているフリーターである。
私とは全く体力が違う。
フリーターの友人Aの腕が絡みに絡み、どうなってるのか不明なままふわふわライトダウンの首が絞まって失神寸前になったので、私はAの腕を全力タップして降参する羽目になった。
「分かればよろしいのだよ。あ、トマトスープはローリエが入っていたら嬉しいぞグエッホ」
フリーターの友人Aはすかさず万年床に首まで収まった。
いや、そのグエッホ設定明らかにいま思い出しただろう。
貧弱ニート予備軍の私は、心許なく薄い自らの財布を抱えてコンビニエンスストアに向かった。
外に出ると辺りは雪で真っ白だった。
コンビニエンスストアは隣にあるのに、行きに一回滑って転んで泣きべそをかいた私だ。
でも、少しいい事もあった。
レジのお姉さんが、ちょっと顔の配列はいまいちなのに感じよく笑ってお釣りも両手で渡してくれたのだ。
私は、可愛い彼女より私はこういう子を彼女にしたいなームフフ、と思いながらフリーターの友人Aの家に戻った。
戻る道すがら、アパートの大家が植えたのか知らないが、古びた門の両側に植えられた椿が目に入ったので葉を一枚むしった。
ローリエ云々とぬかしていた罰である。これを入れてしんぜよう。
だが、フリーターの友人Aは案外阿呆なところがあるので、きっと喜んでこの椿の葉をローリエと勘違いして食べることだろう。
そんな阿呆なところも、彼のいいところなのだなーと思いながら私は、今度は勝手に玄関の扉を開けた。

1.9 風邪の日
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