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3.28 鶏の日

通勤途中に見た風景の話だ。
空は明るく晴れているのに、風はまだ冷たい山の頂の雪の温度を運んできていた。

トレンチコートではまだ早かったかと少し後悔をしながら、私はコートの襟を搔き合せて半ば走るように公園の横を歩いていた。
地下歩道に入る前の道を渡ろうとした時、視界の端に何か白いものがちらついた。
動きの不自然さに気を取られ、何だろうかとそちらに目線をやる。
すると、そこには枝を大きく天に伸ばす木があり、その木の枝の先々に無数に宿された鶏卵が規則的に揺れていた。
私は驚き、思わず足を止めた。
冷たい風に揺れる鶏卵は、ほのかに白く発光しているように見える。
「これは、木蓮」
私は思わずその存在を定義付けるように呟いていた。
よくよく見れば、どこにでもある白木蓮である。
しかし、その白木蓮はあまりに立派に蕾をつけていた。
その蕾のひとつひとつが鶏の卵大で、ちょうど細く尖った方が天を向く形で並んでいる。ざっと百はあろうかという数だ。
冷たい風に負けず、生命のあたたかさを有した白い明かりを、ゆったりと左右に揺らす蕾たちは圧巻だった。
まだ花として咲いていないその姿が、何だかとても神々しく見える。
遠くから踏切の降りる音が聞こえてきて、突然私は我に返った。
「会社、行かなくちゃ」
鞄を肩にかけ直し、私は歩き出しながら横目でその白木蓮をギリギリまで眺めた。

地下歩道に入ってついに姿が見えなくなると、私は夢を見ていたみたいだな、と思う。
あの白木蓮は生きていた。白い卵たちを産み出して枝の上で温め、花が咲くと中に宿っていた何かの魂が春の空に飛んでいく。そんな風に思えてならない。
地下歩道のひんやりとした空気の中に、私の靴音が響く。
二度目の踏切の遮断機が降りる音ではもう我に返ることはなく、頭の中でぽかりぽかりと白木蓮の花を咲かせては空に飛び立つ魂を見送っていた。

3.28 鶏の日
#小説 #鶏の日 #卵 #JAM365 #日めくりノベル

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