1.13 ピース記念日
黄色味がかったクリーム色の地に、くすんだ金色でオリーブの葉を咥えた鳩が印刷されている。
子供の頃の私は、父の吸うロングピースの煙草のパッケージを見て、ゲームに出てくる正義の軍の紋章のようだと思った。
鳩が上向きではなく下向きなのが何だか格好良い。
「父さん、吸い終わったらそれちょうだい」
煙草の空きパッケージを欲しがる私に母は苦言を呈したが、父は母のいないところでこっそりとピースの空きパッケージをくれた。
父は母のことをとても大事にしていたので、いいじゃないかなんて言って喧嘩になるようなことはなかった。
なのでその時はただ静かに笑っていたが、父は私のこともとても大切にしてくれていたので、母に見つからぬように忘れた頃に何枚かずつその空きパッケージを分けてくれた。
「何に使うんだい」
と父が微笑む。
「内緒だよ」
と私はいたずらな笑みを浮かべて部屋に引き返した。
平和の象徴の鳩の下に、キリッとした紺字でPEACEと表記されているのもいい。
その時の私にはとても大人っぽく洗練されたデザインに思えた。
私は一枚ずつ鳩とロゴを切り取って、架空の王国の地図上に貼り付けていった。
この地図の全面を鳩の紋章が埋め尽くしたら、この王国は終わりなき平和を手に入れるという設定をしていた。
たまに空きパッケージの匂いを嗅いで、少し甘さのあるその香りに大人の気分を味わったこともあった。
そういう時は、母が部屋に入ってこないか耳をそばだてながら緊張していた。
煙草の匂いを嗅ぐことが悪いことだと思っていたに違いない。
そして、思い切り吸いこんだあとは背徳感と達成感にくらくらした。
ある日家に帰って王国を平和にするミッションの続きをしようと思ったら、隠しておいたはずの布団の下から地図が無くなっていた。
私は一気に血の気が引いていくのが分かった。
きっと、母に見つかったのだ。
何も言えずにしょんぼりと肩を落としている私に、母は何も言わなかった。
それ以来、私が父に空きパッケージをねだることもなく、父が母の目を避けてそれをくれる事も無くなった。
私の王国は、終わりなき平和を手に入れる前に母の手によって滅ぼされたのだ。
そして今、私は大人になった。
だけど煙草は吸っていない。友人でも吸う人の方がわずかで、吸っていても大抵電子タバコだ。
きっと時代が変わっているのだろう。
だが、私は時々あのかすかに甘い煙草の香りが恋しくなることがある。
中学生の頃、美術の宿題で必要だったので父の部屋でハサミを探していたら、棚のなかに美しい銀の空き缶を見つけた。
クッキーが入っているような、そんな形の缶だ。
私は父が高級な美味しいクッキーを独り占めしているのかと勘違いして憤慨しながら蓋を開けた。
すると、中には綺麗に広げられたピースの空きパッケージが何十枚も入っていた。
父は、私が欲しいとねだったら分けるつもりで取っておいてくれたのだろう。
その場でぽろぽろと涙をこぼし、私は缶の蓋を閉めて父の想いと平和の象徴をしまった。
あれだけあれば、私の王国は終わりなき平和を手に入れられることだろう。
部屋に戻って布団をかぶり、泣きながら頭の中で金色の鳩を空想の地図に貼り付けていった。
今こうして心穏やかに暮らせているのは、父がくれた鳩たちが私の心を守ってくれているからだと思う。
屋外にある喫煙所の脇を白い息を吐きながら通り過ぎる時に、なんとなくそんなことを思い出したのだった。