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9.1 キウイの日・防災の日

冷たい雨が酷く降った翌日。避難所になっていた集会所から帰ってくると、庭に龍が現れていた。
平屋の雨戸を外して、眠い目を擦って見えたのは、力強く身体をうねらせ天を向いて爪を剥き出しにした龍であった。
龍は、樹の形を借りていて、立派な脚を濡れた地面に突き刺してしっとりとそこに在った。
緑の葉は龍の鱗であり、羽である。朝日を浴びて雨に濡れたその表面がてらてらと妖しく光る。葉脈を指でなぞると、くすぐったいのか震えてするりと指先から逃げていった。
嵐の去った抜けるような青空に、柔らかな真白の雲が三つ浮いている。
その下で、湿った庭に、私と龍だけ。龍の立つ奥は竹藪になっている。初秋の風が走って、笹の葉がざらざらと鳴った。
私は恐る恐るその龍の背に乗ってみることにした。嫌がるかと思ったが、龍はごつごつとした脚先に土のついた私の裸足をかけても大人しい様子で受け入れてくれた。
背中まで登り、木肌に耳を押し付けると、血脈のような水を吸う音が聞こえてくる。
タテガミの葉から落ちた滴が私の頬をすべり、驚いて見上げると風もないのに枝葉を揺らすので、龍なりの悪戯だったのだと分かり思わず笑ってしまった。
その日から、庭の龍は私の友人となった。
縁側に出て、緑茶を淹れ芋やら質素な茶菓子をつまみながら龍と話をするのが日課になった。
とはいえ、私がこの浮世のことを一方的に話しているだけで、龍は時折頷いたり枝葉を揺らしたりして聞いているだけである。
雨の日に嬉しそうに身をくねらせているので、日照りの続く時は竹藪の奥の川から水を汲んできて、体いっぱいにかけてやった。
柄杓で水をかけるたび、龍はゆっくりと穏やかな呼吸をくりかえす。私も友人の役に立てることに喜びを感じていた。この木の型を借りた龍の友人は、いつも穏やかで機嫌を悪くすることがなかった。
私の周りには気性の荒い人間や気を病んだ者が多かったので、私はいつも他人に対して顔色を窺っては奇妙な笑みで笑うのが常だった。龍と共に心穏やかでいられる時間が、私にとってはなによりの安らぎとなっていった。

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龍との蜜月を過ごすうち、霜月になった。霜月の名の通り、畑に霜がおり、上着は一枚ずつ多くなっていく。
朝になると、私は手足を擦り合わせて暖を取りながら、鉄瓶で沸かした湯で熱々の焙じ茶を淹れるようになった。
半纏を羽織って雨戸を開ける。たまげた私は瞼を擦り、もう一度大きく見開く。
朝日に羽や鱗を照らされた龍が、枝先からたくさんの卵をぶら下げていた。
「おめぇ、雌だったのかぁ」
驚きによろける足で近づき、労わるように胴体を撫でて声をかけた。冷たい木肌が大きく呼吸する。手を伸ばし、卵に触れるとぽろりと手の中に落ちた。
「おめ、これくれるのか」
ふさふさとした茶色い産毛につつまれた卵は、指の形がつくほど柔らかかった。鼻を近づけてみれば、甘酸っぱい果実の香りがする。
水場に戻り、小刀で卵を二つに割ってみた。甘い匂いのする汁がじわりと滲み、私の指についた。緑の果肉に、白い芯。粒々としたゴマのような種が詰まっている。
中身を少し切り出して口に含むと、初めて味わう爽やかな酸味と濃い甘みに背筋が震えた。うまい。心のなかがすっきりと、目の覚めるような気分に襲われて、夢中でひとつを食べ切ると、我にかえって龍のところに走り戻った。
だが、たくさんの卵を抱えた龍はもうおらず、そこには果実をいっぱいにつけた枝葉を堂々と空に広げる大樹があるだけであった。
朝の冷えた空気のなかに微かに龍の気配がして宙に手を伸ばすと、竹藪の朝露に宿る玉の光が煙のように縒り集まり、龍の形となって天へと昇っていくのが見えたのだった。

9.1キウイの日、防災の日
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