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9.22 国際ビーチクリーンアップデー

静かな朝のビーチに流れ着くのは、空き缶や流木、角が取れた色とりどりの瓶のカケラだけではない。
私、幸村一雄は、二十年以上に渡り砂丘横のビーチ清掃活動ついでにビーチコーミングをしていながら、その事実を初めて知ることになる。
その日波打ち際に打ち上げられていたのは、二十代半ばに見える男だった。
せめて、女の子であれば人魚にでも見えただろう。しかし、倒れている下半身が剥き出しで水に浸かった男はどうみてもガタイのいいただの男の姿である。
気味が悪いと思ったのは、半袖シャツの二の腕から下に、虹色に光る透明な鱗が生えていることだ。
もしかすると、特殊メイクかなにかの可能性もあるので、私はとりあえず男の口元に手を当てて息があるかを確かめた。
「ううん、息、あるな」
私は面倒の匂いが潮の香りと共にぷんぷんと立ち上っていることに気がついたが、ここで見捨てたらもっと面倒なことになるかもしれないとその場を走って離れることを思いとどまる。
次に私は、男の腋の下に両手を突っ込んで砂浜に引きずり出した。持ち上げてもよかったが、水を吸った服を含め、予想以上に重かったので諦めた。歳はとりたくないものだと痛む腰をさすって慰める。
「おーい、おい。お兄さん大丈夫か。起きてくれ」
頬のあたりを軽くはたいて声をかけ続けると、男はあろうことか欠伸をしながら目を覚ました。
目を開いた男の瞳が、鱗と同じ虹色に光ったような気がして私はギョッとしてしまう。
「おじさん、誰」
きつく眇められた眼に睨まれ、こいつは元気そうだと確信した。
「近所に住む幸村というおじさんだ。お前こそなんで下半身丸出しでこんなとこに倒れてるんだ。事件か事故か、それともただの趣味か?」
男は、私から目を離さないまま鱗のついた手で下半身をまさぐった。
「あれ、本当だ。履いてないや」
男は困惑した様子でやっと下半身へと目線をやったが、よく見れば綺麗な顔を真っ赤にさせてまた私を睨みつけた。
「いや、待て。俺は何もしてないぞ」
私は完全なる異性愛者であり、いくら綺麗でも男を脱がせる趣味はない。妻とは十年以上前に離婚しており、それ以来男やもめの一人暮らしだが、血迷うほど女にもてない訳でもないと思っている。
とりあえず、だんまりを決めこまれてしまったので、万が一濡れた時のためにリュックに入れておいた海水パンツを渡してみた。
「ありがとう。えーと、幸村」
素直な反応には好感が持てたが、敬称略は少し気になった。私が何も言わずにいると、男は座ったままで私を見あげてきた。
「ねぇ、幸村。ついでに食べ物は持ってないの」
男の瞳はもう虹色には光っていなかったが、空腹のためか奥の方がギラギラとしていた。私は襲われて荷物を奪われるのも嫌だったので、大人しくおやつのビスケットの袋詰めを出した。
「幸村って、いいやつだね。きっと良いことあるよ」
「そりゃ、どうも」
私はカツアゲにあった気分だったが、男がビスケットの袋の口を開けるとそこからまぁまぁの量の海水を入れてしまったので、この男は頭がおかしいのかなと思うことにした。
「お前、それ、しょっぱくないのか」
ひたひたになったビスケットを魚みたいに無表情で口に運ぶので、見ているだけで気分が悪くなってくる。
「なんで」
男はパクパクと口を動かしながら、首を傾げた。私は、やはり怖いのでここを離れようと思った。
「じゃあ、無事みたいだから行くわ。おじさんはビーチのクリーン活動が残ってるから」
片手を挙げて踵を返す。
「あ、水着どうすればいい?」
男の声は無視をして、振り向かずに全力の早足で湿る砂浜を踏みしめた。せっかちな奴と思ってくれればいい。
頼むから、追っては来てくれるなと強く願い心の中で繰り返した。

次の日からは、台風の影響でしばらく海が荒れていたため、ビーチに近づくことはなかった。
嵐が去ると、濡れた砂丘から緑が芽吹いて広がっていた。地元の団体が頭を悩ませている問題だ。砂丘をウリに観光客を呼んでいるのに、野原になってしまってはかなわない。生態系も変化してしまうだろう。
私は、夕方でもまだ暑い空気に包まれるビーチに散歩がてら清掃に向かった。
男が倒れていたところは、もう穏やかな波が打ち寄せているだけであった。
「さすがにいないか」
ほっとしたようでいて、怖いもの見たさの気持ちもあったことに気づく。台風は、水を濁らせ浜辺にいらないものや宝物の様々を打ち上げていた。
私は、やりがいのあるビーチを前に、ゴミ袋と宝物袋の二つを持って清掃に挑んだ。
数百メートル進んだ先で、流木に絡まる見慣れた海水パンツを見つけた。泥に汚れてはいるが、デザインの一部からして明らかに私のものである。
「あいつ、捨てていきやがったな」
疲労感から深いため息を吐いて、もう着られなくなった海水パンツを自ら拾う。ゴミ袋に入れる直前に、中から虹色の鱗が大量にこぼれ出た。
ひとつ拾って陽にかざすと、それはオパールのような輝きを見せた。
「こんなに落としていって、あいつ大丈夫なのかよ。いや、これも特殊メイクの一環か?」
しゃがんで丁寧に拾った鱗を、わたしはなんとなく宝物の方の袋に入れて、海水パンツはゴミ袋に放り込んだ。
「半魚人の恩返しだとでも思っておくか」
歩き出した背後で、大きな魚が跳ねるような音が聞こえた。

私が、持ち帰った鱗でブレスレットを作り、顔なじみの経営するカフェに置いてもらうと、カフェ店員は私の半魚人の鱗という命名を勝手に変えて、人魚の鱗と商品タグをつけて並べていた。
いつの間にか購入客の間で幸運のブレスレットなんて噂が広がり、私の作ったブレスレットは瞬く間に在庫が無くなった。
私は売上金でビーチクリーン用の立派なトングと新しい海水パンツを買った。
私は、手元に残った五枚の鱗でアンクレットを作り、左足首にお守りがわりに巻いている。
いつかまたあの謎の半魚人に会ったら、今度は私が何か返してやろうと思っている。

9.22 国際ビーチクリーンアップデー
#小説 #国際ビーチクリーンアップデー #JAM365 #日めくりノベル

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