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8.13

F君はね、自分の顔が嫌いなんだそうだ。だから、学校に来るのに、自分の頭を家に置いて来るんだって。
少し大きめの制服をいつもきちんと着込んで、黒いランドセルを背負って登校している。
最初はみんな驚いて、距離を取ったり石を投げたり、前世で悪いことをたくさんしたから顔がないんだとか、変な噂ばかり立っていた。
でも、四年生にもなると通学路の人たちも、同級生もお母さんたちも、みんなそういうものなんだっていう顔をするようになった。人は、何にでも慣れてしまうんだ。
小学生の僕らがスマートフォンを持つことも、知らない大人に挨拶されたら逃げなきゃいけないことも、世の中が暑くなりすぎて学校にクーラーが設置されたことも今では当たり前になっている。(お父さん達の世代では、近所の大人はみんな知り合いでお菓子をくれたりするし、学校には扇風機も無かったんだって。今ではまったく信じられない)
F君に頭が無くても当たり前になったのは、実はF君がすごく面白い奴だということが分かったこともあったと思う。ただ頭が無くて無口で根暗な奴なんて、頭があったっていじめられてしまうかもしれないからね。その点、F君は面白かった。
彼はいつも、自由帳に文字を書いて僕たちと会話をした。F君は左利きで、なんだかそれも天才肌みたいでかっこいいんだ。人と違うって、本当はかっこいいことなのかもしれない。
F君の字は全部ミミズみたいだったけれど、すごく書くのが速い。あまりに速いから、みんな面白がって早口で喋ったりしたけれど、それにも筆談(っていうのだと先生が教えてくれた)で応戦してくるから、一目置かれる存在になったんだ。
この間の席替えで、F君の隣になった。窓際の一番後ろの席が一番の当たりと決めていたので、くじでそこを当てた時は飛びあがって喜んだ。
でも、ちょっとおかしいんだ。F君ったら、授業中に窓の方に体を向けているんだ。教室が四階だから、確かに眺めはいいし、雲の形当てゲームも好きだけど、なんだかずっとこっちに体が向いている気がする。
だけど、F君の左手はちゃんとノートを取っているみたいだから、もしかすると頭が無いと僕らとは違うところに耳や目みたいな機能があるのかもなぁとも思った。(こちらから見ても左腕が邪魔をするので、もしかすると書いているのはただの落書きなのかもしれないけれど。F君は漫画研究部に入っていて、絵がうまいのだ)F君の体の向きがあまりに気になる時は、空を飛ぶ鳥の数や、上級生の女子の体育を見ることにした。

きっと慣れるだろうと思ったけど、意外と慣れないものなんだな。人の体って、向いてる方に圧がかかるように出来てるのかなとさえ考えた。
寝てる時も、ずっとF君の体がこっちを向いている夢を見た。仲の良いメンバーにはこっそり言ってみたけど、自意識過剰かよって笑われたからもう言わないことにした。確かに目もついてないのに視線を感じる訳がないんだ。

ある日、F君が珍しくノートの切れ端を折りたたんだものを回してきた。クラスの女子がよくやるようなやつだ。
開いてみると、変わらずミミズみたいな走り書きで「 きょういえに遊びに来ない?親いないんだ 」と書いてあった。下に答えを書く欄が用意されているのが、F君の憎いところだ。
確かきょうはPTAの集まりがあるとかで、うちの母親もいないと言っていた。最近ますますF君はクラスの人気者になってきていたから、ここで一気に仲を深めるチャンスだと思った。
いびつな丸で囲まれた解答欄に、「 行く!おれの家も親いない 」と書いて先生が黒板を向いている隙に回した。

F君の家は、二階建ての普通の一軒家だった。どちらかというと古めで、親が中古で買ったものだと筆談で教えてくれた。
玄関にに入ると、むわりと湿気を帯びた暑い空気が流れてきた。どうやら朝から誰もいなかったようだ。F君の部屋は二階にあった。六畳くらいの和室で、勉強机と折りたたまれた布団と、本棚があった。
「お前の部屋、綺麗だな。おれの部屋と大違い」
そう言って笑ったが、F君は喋れないので変なジェスチャーをされただけだった。思えば、F君と二人きりになるのは初めてだ。会話が続くだろうかと急に不安になる。
押入れから座布団を出してくれたので、ランドセルを投げ出してそこに座った。ジェスチャーで下に飲み物を取りに行ってくる、というのでなぜかこちらも無言で頷いた。
「さてと、ちょっと物色するかなー」
部屋の主がいない間に、部屋を漁るのは仲間うちでは普通のことだ。ちょっとしたいたずらで、日記とか、昔の作文とか、見られたら恥ずかしいようなものを部屋主が戻ってくるまでに見つけて机の上に置いておくのが主流である。(僕はいつものメンバーに母の日に書いた書き損じの母親への感謝の手紙を読み上げられた)

本棚は下の方の段が怪しい。下の方の段には、巻数がバラバラの漫画雑誌と、筆談で使っている自由帳の束が番号を振って収められていた。悪口とか書いてないかな、と一番古い自由帳を開いてみたが、アゲハチョウが表紙のそれは本当にミミズが這っているようにしか見えず、よく小学一年生の頃はこれを解読できていたなと思う。何冊かめくってみたが、どれも大したことは書いてなかった。時間が無いので一番きれいなノートを手に取る。番号的にこれが最新のようだ。
めくろうとした時に、背後で妙な音が聞こえた。F君が戻ってきてしまったのかと思ったが、どうやらその音は押入れから聞こえてきているようだった。
小さなカスタネットを鳴らすような、小刻みな音。もしかしたら、虫でも入り込んでいるのかもしれない。夏は、そういうことがよくある。その音は押入れの上段から聞こえているようだ。虫に逃げられないように、そっと近づき、ふすまに手をかけた。嫌な虫じゃありませんように、と薄目を開けて慎重に開ける。虫の気配はないが、別の気配に目を見開く。
「なんだよ、これ」
震える手からノートが落ちた。目の前にあったのは、段ボール箱に囲まれた隙間に収まった、茶色っぽい風呂敷に包まれた人の頭ほどの大きさの何かだった。それは異様な匂いがして、カチカチと歯のなるような音と小さな呻き声が聞こえる。何より目を疑ったのは、その何かを包んだ風呂敷には同じくらいの大きさに顔が描き込まれた自由帳の切れ端がセロハンテープで貼ってあったことだ。その顔は、明らかに僕だった。

ゆっくりと階段をのぼってくる音がする。飲み物のグラスの中で氷が鳴る音も聞こえた。部屋の前でその音たちがぴたりと止むと、F君の左手がドアの隙間から見えた。
僕の手から落ちた弾みで足元で開かれた自由帳には、びっしりとおれの顔のパーツが描き込まれている。

813・左利きの日、怪談の日

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