3.17 漫画週刊誌の日
それは、ちょうどお盆の頃だった。
夏休みを持て余し始めた高校生の僕は、土曜の深夜のその日、親に内緒でこっそりと家を抜け出した。
目指すは近所のコンビニだ。
そのコンビニは月曜発売の漫画週刊誌を日曜日に陳列する。
ここらでは一番早く漫画週刊誌を手に入れることが出来るということを知ったのは、去年就職で東京に出て行った兄の入念な調査によるものだ。
兄も僕も漫画が大好きだ。
しかし、二度読んで終わりの兄とは違い、自慢じゃないが僕は一冊の漫画週刊誌を七回は読む。
そのコンビニで日曜の昼に手に入れることがほとんどだから、日月と水に二回ずつ、火木金は部活と塾でほとんど時間がないので我慢。そして日曜の次号に向けて土曜にまた最初からおさらいをして、続きへの期待を最高潮まで持っていって日曜の新しい号へと向かう。
いつもの流れはこうだ。ただ、今週号は面白すぎた。
スパイ物も海賊物も忍者物もすべてが伏線の回収途中で、夏休みで時間が有り余っているということもあり僕の脳内では大推理大会が開催され続けた。
もう待てない。頭が爆発しそうだ。
金曜の時点でそう思ったが非力な僕にはどうすることも出来ない。出版社の偉い人にコネはないし、漫画家に知り合いもいない。
何かしていないと落ち着かず、スマートフォンで続きを探してみたが当たり前のように続きなんてどこを探しても載っておらず、同じように次号を待てぬファンたちの推理合戦が繰り広げられているだけであった。
それで僕は、初めて夜中に部屋を抜け出してコンビニへと急いだ。
兄の情報によると、そのコンビニは漫画週刊誌を置くためにコンビニを始めたと行っても過言ではないような漫画好きの店主がやっている店で、零時きっかりに陳列棚に漫画週刊誌を並べはじめるらしい。
手際良くならべていく側から、待ちわびたファンがどんどんとそれを取っていくこともあるのだというから、僕は胸が高鳴った。
この町にもそれほどまでに週に一度出る漫画連載を楽しみにしている仲間がいるということが何故か誇らしかった。
静かな住宅街のなか、そこだけが白い蛍光灯で煌煌と光っているコンビニが見えてきた。
スマートフォンのホームボタンを押して時間を確かめる。十一時五十八分。
僕は慌てて早足でコンビニへと向かった。
本の陳列棚の前にアフロヘアーに近いモジャモジャ髪の店員が膝をつき、ビニール紐を解いているところだった。きっと例の店主だ。
そして、大きさや積んである質量からして間違いなく、店主の手元にあるのが僕の求めたものだ。
待ちわびた物がもうすぐ手に入ると思うと、僕の体は喜びに身震いした。
全国の漫画ファンなら分かるだろう。待望の、続きが載った本がどれだけの喜びを与えてくれるかを。
入り口付近でお菓子を見ているふりをしているうちに、ついにその時が来た。零時だ。
腕時計を確認したアフロヘアーの店主が、最初の一冊を陳列棚に置く。
僕は不自然極まりない、何気なく来てみたら最新号が出たみたいだから手に取りますよ風を装って、その漫画週刊誌に手を伸ばした。
最新号はスパイ物の主人公とヒロインがこちらに向かって手を伸ばしている華やかな表紙だ。良い。すごく良い。
ヒロインと僕が互いの手を取り合うところで、僕は横から入ってきた生身の別の手に触れた。
「「あっ」」
横から手を伸ばしてきたのは、クラスの女子の上沢さんだった。
「上沢さん」
「広田くん」
同時に声をあげた間で、せっせと棚に漫画週刊誌を並べる店主が不思議そうな顔をしていた。
上沢さんは眼鏡をかけ、夏休み前より少しふくよかになった身体をグレーのスウェット上下に包んで茫然としている。
僕はといえば、前髪をピンで留めてドラ◯もんのTシャツにどこでもドア柄のショートパンツという、学校の女子には絶対に見られたくない格好だったので、身動きできずに棒立ちになっていた。
まさかこんな夜中にクラスのやつに会うとは思わないじゃないか。その時多分上沢さんも同じことを思っていた気がする。
僕らは無言でそっと漫画週刊誌を手に取り、上沢さんは紙パックのスムージーを、僕はゼロキロカロリーコーラを追加して会計をすませた。
終始気まずい沈黙が流れていた。
店の外に出て、無言で小さくお辞儀をして逃げるように闇に消えようとする上沢さんに、僕は思わず声をかけた。
「危ないから、お、送るよ」
自分でもなんでそんなことを言ってしまったのか分からない。語尾が自信なさげに小さく消えていったのが恥ずかしい。
たぶんあの頃、ヒョロヒョロの僕より上沢さんの方が強かったのではないかと思う。
ただ、強いから守るとかそういうのではなく、なんだかその時はそうしなければいけないような気がしたのだ。
その後上沢さんとはその漫画週刊誌の大ファン同士ということが縁で急速に仲が縮まった。
紆余曲折あったものの、十五年後の今では、上沢さんは広田さんになり、今も僕の隣でニヤニヤしながら漫画週刊誌の最新号を読んでいる。
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