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12.8 事納め

洗濯物を干しに外に出たら、キンと冷たい空気が鼻の奥を痛くして、あぁ今年も冬が来たのだと思った。

土間にはご近所からいただいた白菜や葱や大根が、本当に山の形に積まれている。
私は泥のついた太めの葱を五本選ぶと、袖をまくって流しの前に立った。

私がこの山間の村に越してきたのは今年の春の終わり頃だった。
消えてしまいたいほど生きている実感がなかったデザイン業界の会社員時代に、たまたまこの村の移住者告知ページの担当になった。
村の政策で移住者にはほとんど無料で使われなくなった民家を貸し出しているというので、私はそのページを仕上げると同時に村の担当者に移住相談の連絡をしていた。
村がどこにあるかもはっきりは分からないまま、それでも何だかやっていけそうな気がしたのである。

そして、半年後に私はこの村にやってきた。女一人で山間の村に移住することに、周りの人間たちはとても否定的だったが、何かを言われるたびに私は「ふーん」と思った。
ふむふむ、の意味の「ふーん」である。

「やっていける訳がない。娯楽もなく若い人もいないようなところだ。すぐ飽きて後悔する」「そんなとこ行ったら女の墓場じゃん。結婚とか子供とかどうするわけ?一生棒に振るよ」「何ヶ月で帰ってくるか賭けしようぜ」
全てに対して、私は「ふーん」と思った。どの人たちも、私と同じくらいに生きている実感がなさそうな人たちだったから、やっぱりそう思うのだなという程度だった。

実際に来てみると、驚くことに私はみるみるうちに生命力を取り戻していった。
朝早くに起きると、山の方から霧が流れてきてそれが鴇色に染まっていたり、夜も早く寝るので知らない鳥の鳴く声が子守唄になったりする。
都会にいるときは朝とか昼とか夜とかの区別を考えたことも無かった。
お店はずっと空いているし、人はいつでも誰かは起きているし、空気はいつも変わらなかった。ただ鈍感になっていただけかもしれないが、身体も心もデジタルの一部と化していた気がする。
人間はデジタルに憧れてこれまで社会を進化させてきた。
でも、この村に来て分かったのはやっぱり人間は人間でしかなくて、いくら憧れてもデジタルな存在にはなれないということだ。
横浜で見たプロジェクションマッピングの映像にも心を動かされたけれど、大自然のスペクタクルには勝てないと思う。
ただ、大自然の不便なところはそのスペクタクルがいつどこで起こるか分からず、また起きるかどうかも分からないのに遠くへ行かなければいけないことだろうか。

葱の泥を氷水ほどに冷たい水で洗って、棒状に切る。豆乳と生クリームを加えてグラタンにして、お世話になっているご近所に配る予定だ。

レシピはタブレットで検索した。よく考えれば、今や日本中の大抵の場所で携帯電話やパソコンも使えるし、それを使ってデザインの仕事をすることも出来る。
日数はかかるがネット通販も届くので、この間はブレンダーを格安で手に入れた。
ここでは新鮮な野菜や果物が余るほど手に入るので、料理が楽しくなった。大体は素材の味で美味しく仕上がってくれるのがとても助かっている。
今までの食事はバランス栄養食かコンビニ弁当、良くてファミリーレストランで仕事をしながらという日々だったので、気づけば何年も味なんて気にしていなかったように思う。

だからといって、確かに村の暮らしはいいことばかりではない事は確かだけれど、それでも私はここに来て良かったと思っている。
自分の命を自分の力で守るのは、大変だけど清々しい。

葱のクリームグラタンの種が出来たので、冷凍しておいたチーズをたっぷりのせてオーブンに入れた。
あとはお茶を入れて、かりんとうを食べながら録画したドラマを見る予定だ。
何だか小学生の頃の冬休みみたいだなぁとも思う。
のんびりした時間の中で、ゆるりと生きる。先のことは分からないけれど、しばらくはこのままでいようと決めた。

きょうは事納めなのだと隣のおばあさんが朝白菜を持ってきてくれた時に言っていた。
人間の仕事を終わりにして、年末年始の神事に備える期間に入るのだそうだ。
地区の神社で行われる神事の準備にも混ぜてもらえることになっている。
葱グラタンを持っていきながら何か必要なものがあるか聞いてこよう。
ありがたいことに今年中が締め切りのデザインの仕事もまだまだ残っているが、冬休みの宿題みたいな心持ちで取り組むことが出来そうだ。

今夜はあと何を食べようか。
葱グラタンの焼ける香ばしい香りが漂ってきて、私は大きく伸びをしてその甘い匂いを少し冷たい空気とともに胸いっぱいに吸い込んだ。
日は傾きかけて、静かにきょうが過ぎていく。

12.8 事納め
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