5.29 幸福の日
おじいさんは、おばあさんの作った朝の味噌汁を飲みながらにこにこと笑っていた。
「どうしたんですか。何かいいことでもありましたか」
おばあさんは、おじいさんの湯呑みに緑茶を注ぐと、二人の間にあるまめざらに残っていた黄色いたくあんの端っこを口に運んだ。
それはおじいさんが食事の最後に食べようと思って残しておいたものだったが、ポリポリと音を立てて首を傾げるおばあさんを見たらおじいさんはそれだけで満足してしまった。
「いやね、今日も幸せだなと思ってね」
おじいさんは、毎日これを口にする。
朝起きて腰が痛くなかった時、庭に猫が遊びにきたとき、コンビニのくじが当たった時、おばあさんと手を繋いで買い物に行く時などがそうだ。
「あら。いつものシャケと玉子焼きとお味噌汁と白いごはんだけですけど」
おばあさんは感心するように頷きながら噛み砕かれたたくあんを飲み込んだ。
「いつもの食事をあなたと食べられるんだから、僕は幸せ者でしょうよ」
そう言ってお味噌汁のお椀を傾け、最後の一口まで飲みきった。
「今のあなたって、本当に幸せ上手ね。昔はいっつもしかめ面だったのに」
おばあさんは呆れたように笑いながら、いそいそとテーブルの上を片付け始めた。
「きっとあなたのおかげでしょうね。どれ、僕がさげますよ。あなた今日腰が痛いって言ってたでしょ」
おじいさんは自分の皿とおばあさんの皿を重ねておぼんに載せ、軽々と持ち上げると台所へ向かった。
「何で今日はあれがあるって分かってるのかしら。うちの旦那、エスパー?」
おばあさんはよっこいしょ、と立ち上がると、おじいさんには内緒で買った苺のケーキを取りに玄関に向かった。
ケーキ屋を営む娘夫婦の作る苺のケーキは、二人の大好物なのである。
台所からは水を流す音と共に鼻歌が聞こえてきて、おばあさんもつられてそのメロディーを口ずさんだ。
「あらら。私もすっかり幸せ上手ね」
「んー?何か言ったー?」
「何にも言ってないわよー」
痛む腰を押さえながらも足取り軽く、おばあさんはおじいさんの喜ぶ顔を想像してくすくすと笑った。
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