理論って何だろう。 実践とそっから生まれるもの
僕は経験第一主義者でやってきたのですが、現在理論を基本路線としてる皆さんに囲まれていて、同志や師に話を聞きつつ「理論とはなんぞや?」を真剣に考えています。
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手を動かしていればなにかことは動く
行動しないと進まない
考えてばかりじゃあ何も周りに伝わらない
経験知
悩み相談して、アドバイス頂くときに、私は「動け!」っていって頂くことが多いです。先輩、先生、いつもありがとうございます。
頭の中で全て上手くいくように考え、上手く生きようってしているのだと、私は周りの人に言っていただき気づきました。愚かですね。
周りの人って、すっごく自分のこと見えてるんですね・・・怖いなw
「これが足りんよ」って言っていただいた通りに動いて、かなり解決するなんて、周りの人との連携どんなに重要だろうか。(もちろん、相談してすっきりすることも大有りです)
今外から自分どう見えてるか、って昔学級活動とかのときにめちゃくちゃ頑張って考えながら動いてましたけれど(ちょっとかっこつけて言うとこのメタ認知)、 自分のことをいくら見て動こうとて、感情持って動いてるわしらに自分のアバターみたいなのが映る訳がないですね。
しかし、人の言ったことを鵜呑みにして成功するだなんて、
そんなん自分の頭を使っていないじゃん・・・?
と、別にいいのにそんなことを考えてしまいました。
人に言われたことを「はい、的確です。先輩の仰るとおり」って
ついていきます!って
それが言える恩師に出会うこと、めっちゃくちゃ重要ですよね。
だけども、そうもいかないときのほうが多い。こうしたらいいよ、って人に言われて素直に受け入れますか? ・・・受け入れるのか。
ひとが言ってくれたんやからって謙虚なのはいいが(だからそこ足りてないよ私)、自分の考え方に反する考えや行動を取る人が相手じゃあ「もうええ」って何にも信じられんとかないでしょうか。
僕は、そーやって、人のことあんまり受け入れられないタイプです。。
人のことってそっくり受け入れないといけない? では、どうすればいい?そこでよくわからなかったアイツなんじゃないかなあと思うのです。
こういう考え方がある。こういう傾向では、こうなりやすいよ。
理論って、こういうものであってんのかな?
大学で学ぶものは理論と実践の両方。が、
即効性でいえば、実践のもつ力って絶大と思う。
「こうしたら、ウケる!」
「自分がこう動けば、相手がこう出てくれる」
そういう、一個一個の経験は自分の行動の方向性を決めてくれます。そして、自信もてます。こう動いたら相手がこっちに対して何か動いてくれるだなんて確信できたときには。
だが相手は確実にその1人というわけではない。それに、その先生の技術をそのままそっくり僕ができる場合と、アレンジして自分なりにできるときと、全くパーなことありますよね?だから数当たって、自分にしっくりくるもの探すんだけど、、、。
理論って、そういうときに、
「多くの事例では、こういう傾向がうまく言ったといいます。」
って、一つ一つの事例じゃなくって、傾向として教えてくれるものなのでしょう。
だから、自分の状況に当てはめたら使えるというか。相手の傾向にあった考え方を得て、それに対してどう出たらよいのか知るみたいな。人生哲学そのままもらうわけじゃなくなるけど、いくつか理論組み合わせて、自分の考えをもってやってみたらどうだいと。
理論を使うには適切かどうかの判断も要るし、何が必要か見極める必要もありそう。だが、自分の知識として傾向と対策を持てることはいいこと!
めちゃくちゃ抽象的な文章書きすぎてんな。。。しかも自分でもこんがらがってきてます。笑 ごめんなさい。意見ください。
うーん、例に落とし込むと
カレーを作りたい! → じゃあ鍋出してこよう
カレーつくりといったらまず鍋を出す。これは実践知かと思います。これくらい簡単な場合はそれでも良いんですけど。。
カレー作りたい → 鍋ない → じゃあどうする?
→ 底のある深いもの、なにか無いか? → お皿ならある! → じゃあレンジでカレー作ろう
みたいな。これが理論みたいな感じかしら。深い器があればカレーはできる、となれば鍋に拘らなくともカレー作ってその場を切り抜けていけるわけです。
ここまで書いてきた文章が、理論推しの意見に読める気がします。
実際、大学は理論と実践の往還をする場ってよく言われますね(言われますよね・・・???)。理論一辺倒はいざというときに何も役立たず、な気もします。
ほら出たといわんばかり、いいとこ取りですね。まあ、とはいうものの、やっぱり、頭も行動力も使えた方が良さそうなものだなあ。
まだこれから、考え方変わってくんやろなあ。
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