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『あの頃』を生きる自分はいないのか


藤井青銅さんの『ラジオにもほどがある』という本に出会いました。

この本の中の青銅さん(書いてるのも青銅さんだけどな,,?)があまりに愉快で,ところどころ猪突猛進で,そしてキレッキレなので,あまりにくそまじめでこざかしい(と言われそうな)自分が何を書こうとて,負けそう。

とにかくこの青銅さんという人が面白い人,というよりはなんでも面白がる人。青銅さんの人物像は,めちゃめちゃ真面目な人なのか,成績優秀な頭の図抜けた人なのかとかいろいろと思っていました。だって引っ張りだこだし,色々関わったり手をひいたり駆け引きが上手そうなイメージがあったから。

いやあ,ただただ面白く生きている方だなあ。(おそらく相当頭の回転は速いし,先見の明もある)

しかしそのシンプルさにまた惹かれました。自分ならいろいろ肩書きもつことに拘るのに。おいら逆じゃないか・・・


本に出てくる中でどうしても興味があるのが,『芳賀ゆいのオールナイトニッポン』。

突然すみません。

聴いたことある人いませんか?いたら話聞かせて貰えませんか?

どうにもこうにも面白そうなのです。作り話?想像の中で生きている?いかにもやりそうなこと?バーチャル?実在しない?,,,え,まって,,,。え,大人の遊びなのかな,これは。わからない。かなりトレンドにもなってたっぽい。え,そんなところまで上り詰めるって何事。すごいな。

どうしても聴いてみたい。しかしここで懸念事項がひとつ。

一回のオールナイトニッポン聴いただけじゃ面白みが分からないんじゃないのか。

それが盛り上がった背景。その当時の風潮や雰囲気もあったんじゃないのか。盛り上がり方とか,文化の感じとか,感じ方,受け入れ方も,今とは全然違うんじゃないのか?と。

そう考えると,毎週私がこまめにやっているラジオの録音も後になってどう使えるものなのかわからない。10年後の自分が聴いたら,当時の生活が瞼の裏に浮かぶのか。まあそれはいいけどいつまでも過去の良い思い出にすがるっていいことなのか。

プラスそれを若い子たちが聴いたら違うんだろうな。なんて。

エンターテインメントとは時代と切り離せないのか。



芳賀ゆいちゃんの話を読んでいくと,ある程度盛況の中できっかり引き際を設けたらしい。なんだか,伝説になるものって終わり方まできちんと計算されてる。ファンモン(ケミカル在籍時代),King Gnuなんかも思い浮かべる。“生きてる限りは 勝ち逃げできねーな”(Creepy Nuts『バレる!』)にも何か通ずる気がする。

エンターテインメントって,誰かの生き様なのかぁ。

人の生き方が売り物。いつか,Alexandrosの磯部くんが言っていたそんなようなことが浮かんだ。ますます芳賀ゆいちゃんのことが気になる。

誰か思い出話聴かせてくれませんか。



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