済生堂薬局 小西本店に行った。
神奈川県の小田原駅から歩いて15分ほどのところに、『藥』と書かれた緑色の店頭幕のある老舗の町家がある。これは江戸初期(寛永10年)から16代続いてる薬屋さんで、街の博物館として開放されており、誰でも中に入って自由に見学ができる。中に入ると店主の方が出てきて、いろんなことをお話ししてくださったので、覚書としてここに記そうと思います。
建物自体は大正12年に関東大震災で倒壊したのち、その倒壊した建物の一部を再使用したり近くの山の木を切ってきたりして、震災から2年後に再建されたものだそう。その際にこの百味箪笥(薬箪笥)が作られたのだが、この箪笥の材料は欅の木だそうだ。普通、たんすは桐で作るのだが、震災で主要都市の東京が被害を受け、資材が調達しにくかったために倒壊した建物の木で作ったのがこの百味箪笥なんだそう。
また、ここへ小学生が社会科見学に来ることがあるのだが、子供達はこの百味箪笥と薬研を見て、”千と千尋の釜爺のやつだ!”と言うらしい。
箪笥の引き出しの中は自由に見ていいとのことで、引っ張って中を見せて頂いたりした。古新聞と共に漢方薬の袋が入っていた。昔はビニール袋などは存在しないので、ここに直に生薬を入れていた。この箪笥は古いので隙間があるが、昔はもっとぴっちりした造りで、害虫などが入れないようになっていた。
店舗内の上部にずらりと並んでいる製薬会社の看板は、大正頃に作られたもので、ガラス板にすべて手描きで描かれているものである。ガラス版なのは、後ろから電気で照らして看板を光らせるためだそう。自分はこのタイプの薬の看板が現存しているのを初めて見たかもしれない。う~ん良いな。
ちなみにここは一応現役の薬局でもあり、普通にのどぬ~るスプレーとか売っている。
この店のオリジナルグッズも作られていて、藥という字や初荷という字がモチーフになったトートバッグやキーホルダーなどのグッズが売ってある。このグッズや看板になっている藥の字は、書が達者であった11代目の書いた看板から選んだとのこと。
日本各地を探してもなかなか無いと思われる場所なので、行く機会があれば訪れてみることをおすすめしたい。