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カクウメガネ

「カクウメガネという生き物の化石が発見されたんだってさ」
 そう、本橋君は言うのです。私は急にどうしたのだろうと思ったのでした。場所は綾瀬でした。東京都足立区。綾瀬駅でした。どうしてこんな所に来たのか、呼んだのかと私は思ったのでした。本橋君の頭がおかしくなってしまったのかと思ったのでした。
 本橋君とは綾瀬駅西口で待ち合わせをしました。時間通り、頑張って、私にとって初めての、人生で初めての綾瀬駅でしたので、事前に、前日、それから当日と、ナビタイムで調べて時間を確認したり、どこで乗り換えるのか、日暮里、西日暮里? 西日暮里も行ったことねえなあ。とか、不安に駆られて、ドキドキして、乗り換えの時とか、改札を抜ける時とかSuicaが鳴るのではないかと、んで、ゲートがバーンってなるんじゃないかと、それで後ろの人とかにチッってされるんじゃないかと、そういう事を色々と考えたり、不安になったり、お腹痛くなったりしたのです。
 それでも何とか、時間通り、約束した時間の五分前には綾瀬駅に到着しました。乗り換えも改札を出る時もゲートはバーンってなりませんでした。事前にSuicaに3000円入れていたのが功を奏したのでしょう。五分経って約束の時間になっても本橋君は来ませんでした。LINEなんかも入っていませんでした。
 約束の時間から五分程経った辺りで、携帯が震えたので本橋君かと思ってスマホを見ました。
 本橋君ではなく母親からのラインでした。
「タブレットでディズニー+にログインできなくなったんですけど」
 という内容でした。
「スマホだとログインできるんですけども」
 って続けてきました。
 そんな訳ないだろうと思いました。するとすぐに画面にメールが来たという通知が来て、ワンタイムパスワードの書かれたメールの本文が現れました。
「やあやあ」
 声をかけられたので顔をあげるとそこに本橋君が立っていました。約束の時間から十五分ほど経過していました。怒るほどではないな。そう思いました。
「あ、どうも」
 私はワンタイムパスワードの画面をスクショしたものをLINEで母親に送信しました。
「綾瀬駅に何か用事ですか」
 私がそう言うと本橋君は「まあまあ」と言って歩き出しました。どこに行くのだろうか。私はそう思ったのです。どこに行くにしてもまず行先は言えよ。と思いました。
「ここが綾瀬駅かあ」
 私の前を歩きながら本橋君はそんな事を言っていました。
 お前も初めて来たのか。なんで私をここに呼んだんだよ。
「初めて来たんですか?」
 綾瀬駅。何しに来たんですか。
 その時、スマホが振動しました。立ち止まって見てみると、
「ワンタイムパスワードを入力したのにログインできないんだけど」
 という母親からのラインでした。
 とりあえず、無視しました。本橋君はその間も歩いて行ってしまっています。私と本橋君の間にはちょっと距離が開いていました。私は別にいいかと思ったのですが、本橋君は急に振り向いて、
「おい何してるんだ」
 と言いました。
 何してるってなんだよ。ちょっとLINEが来たんだよ。ば、だから見てたんですよ。歩きスマホ駄目でしょう。
「さっさと来なさいよ」
 本橋君はそう言って、私が近づくまでそこで立ち止まっていました。子供じゃねえんだから、別にいいだろちょっと離れてても。
「せっかくの綾瀬駅なんだぞ」
 本橋君はそんな事を言うのです。知らねえよと思いました。縁ねえんだよって。縁が無かったのです。私には。これからの人生が、人生でどうなるかわかりませんが、今まで縁なかったのです。綾瀬駅。
「綾瀬駅に行きたーい」
 ってなった事も無かったのです。
 だから、知らねえよと思いました。
 スマホが振動しました。
「ちょっと、タブレットでディズニープラスにログインできないんですけど」
 という母親からの再度のLINEでした。
「何でスマホばっかり見てるの」
 本橋君は言いました。
 母親がディズニープラスにログインできないのだ。というのが恥ずかしかったので、
「いやちょっと」
 というだけに留めました。
「せっかくの綾瀬駅なのに」
 ディズニープラスがね、スマホだとログインできるのにタブレットだとログインできないって母親からLINEが入ってるんだよ。
 ワンタイムパスワードが書かれたメールも何通も来ていました。
「ここだよ」
 先を歩いている本橋君がそう言ったので、顔を上げて見てみると、そこにはオリーブの丘がありました。
「オリーブの丘だ」
 私はそう思いましたし、そう言いました。
 オリーブの丘というのは、まあ、一言で言ってしまえば、サイゼリヤの亜種です。
 オリーブの丘だ。なんとかの丘とか、なんとかヒルって聞くと、すぐにサイレントヒルを思い浮かべちゃうんだよなあ私。
 オリーブの丘だ。
 サイレントヒルを想像しちゃう。
「オリーブの丘ここにあるんだ」
「オリーブの丘がここにあるんだよ」
 本橋君は言いました。そしてオリーブの丘に入っていきました。オリーブの丘に行きたくて来たのか。と私は思いました。
 なんでだよ。
 と思いました。
 私は生活圏内にオリーブの丘があります。大宮に。湯けむり横丁っていう大衆浴場までの道程に。だから、別に。別の所にあるオリーブの丘を知る必要が無いのです。縁もゆかりもない綾瀬駅の近くにあるオリーブの丘を知らなくても、行かなくても大丈夫です。
 もっと行ってしまえば。
 縁もゆかりもない綾瀬駅の近くにあるオリーブの丘は私にとって別にどうでもいい存在です。綾瀬駅近隣の人達にだって大宮の湯けむり横丁迄の道程にあるオリーブの丘なんてどうでもいいでしょう。あっても無くても。そんな事どうでもいいと思います。
 それです。
 私はどうでもいいんです。
 綾瀬駅のオリーブの丘とか。
 どうでもいいんです。
 それなのに。
 どうでもいい綾瀬駅のオリーブの丘に本橋君は。
 本橋君の家の方にオリーブの丘があるのかないのかは知りません。
 私は大宮にオリーブの丘があれば、他はどうでもいいんです。
 でも、例えば、
 もしかして、
 もしも、
 本橋君の家の方にオリーブの丘が無いからって。
 それで、
 私を綾瀬駅に、
 縁もゆかりもない。この先の人生で二度と来ることも無いかもしれない。
 綾瀬駅に呼んだのだとしたら。
 それは、
 もう、
 包丁じゃないかな。
 包丁。
 スマホが振動しました。
「おーい」
「ワンタイムパスワードを入力したのにディズニープラスにログインできないんだけどー」
「おーい」
 母親からのライン。
 ワンタイムパスワードのメールが何通も来てます。
「何してんだよちょっと」
 本橋君は私の所に戻ってきて言います。
「あ、ちょっと」
 なんかボーっとしてて。
 席につくと、本橋君が言うのです。
「カクウメガネという生き物の化石が発見されたんだってさ」
 カクウメガネってなんか、
「ミンダナオで」
 ミンダナオ。どこだっけ。
「ミンダナオ島で発見されたんだってさあ」
 ミンダナオってどこだっけ。聞いた事ある気がする。
「メガネウラの亜種らしいんだよ」
 メガネウラってなんか聞いた事あるなあ。
 スマホが震えました。
「なんかエラーコードが出ました」
 エラーコードが表示されている画面がスクショで送られてきました。
「エラーコード21って出てます」
「学名が面白いんだよ」
 学名?
「カクウホシイチレビューっていうんだ」
 カクウホシイチレビュー?
「なんでそんな学名になったんだろうねえ」
「エラーコードについてディズニーに確認してください」
 その時、私の頭の中には本橋君の事も綾瀬駅の事もオリーブの丘も母親もディズニープラスもワンタイムパスワードもエラーコード21も何も無かった。
 勿論カクウメガネの事もメガネウラの事もミンダナも何も無かった。
 森村誠一のドラマスペシャルの事を思い浮かべていた。
 森村誠一女のサスペンス捜査線上のアリアの津村和子の事を思い浮かべていた。
 フジテレビでやってた。
 いつ頃だったのかは覚えていない。
 でもやってた。
 その事を思い出していた。
 佐野史郎さんが出てた。
 石黒賢さんも出てた。
 殺人現場に居た津村和子。
 でも彼女は自分は第一発見者だと言って容疑、犯行を否定する。
 記者会見を開いてまで犯行を否定する。
 でも、
 でも、ほんとうは。
 ほんとうは。
 ほんとうは

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