長雨
池袋駅から少し歩いた所にある雑司ヶ谷霊園には、南池袋斎場という斎場もあります。正しいのかわかりませんが、雑司ヶ谷霊園の中に南池袋斎場も併設してあるような印象です。それを発見した時は驚いたものです。
「あ、斎場もあるんだなここ。凄いなあ」
だって便利じゃないですか。雑司ヶ谷霊園の中に斎場もあるんだもん。私の父が死んだ時は、葬儀ホールも、斎場も、御寺も、全部が離れたポイントにありました。だから間を車移動で継がなくてはいけませんでした。しかし、雑司ヶ谷霊園には南池袋斎場もあるのです。近くには護国寺なんかもあります。もしかしたら南池袋斎場の中に、葬儀ホールもあるかもしれません。そしたら超便利です。父が死んだ時の流れで言えば、まず終末病院で死んで。あ、そう言えば終末病院が火葬場に近かったなあ。それから家に電話が来て病院から葬儀ホールに運ばれて、そこから火葬場に運んで御骨を御寺に持って行って一晩安置して、次の日に葬儀と初七日。そして納骨です。うちの、私の父の場合はそうでした。
南池袋斎場が葬儀ホールとしても利用できたとしたら、病院か何かから南池袋斎場に直で運んで、それで火葬まで行けます。護国寺の檀家だったらそのまま歩いて御骨を持っていけます。護国寺でなくても、近くに他の御寺が幾つかあります。大鳥神社の方とか。東通りの途中にもある御寺に向かう参道口があるし。池袋公園の方にもいくつか御寺があります。御寺に御骨を一晩安置。それから、池袋なのでホテルも色々とあります。ネットカフェDiceもあります。個人的には南池袋一丁目の交差点の池袋ロイヤルホテルというのが気になります。池袋ロイヤルホテル東口店。そこで一泊。晩御飯は下のホルモンふたごに行こうと思います。〆は無敵屋のラーメンという事も出来るのではないでしょうか。
雑司ヶ谷霊園に行く度、南池袋斎場も眺めます。南池袋斎場を眺める度、いいなって思います。ただし、入った事はありません。私には関係がないからです。だから南池袋斎場がどうなっているのかは、はっきりとはわかりません。でも斎場だし、火葬場もあるでしょう多分。無かったら大変だと思います。地元の火葬場は山の中の森の中の、なんか隠されたような場所にありました。池袋、雑司ヶ谷界隈でそういう事は無いでしょう。あと、ホテルはとらないでも、斎場で一泊できたりしないのかな。なんか素泊まり的なやつで。
雑司ヶ谷霊園の南池袋斎場。私は大体の場合、雑司ヶ谷霊園には朝行くので、まず閉まっています。でも、こないだ行った時、たまたま開いていて。門が。開いていて。斎場の建物にも明かりがついてて。あら、今日はもしかしたらそういう事があるのかしらん。となりました。私はしばらく雑司ヶ谷霊園をぐるぐる回ったり、東通りにあるベローチェというカフェに行ったり、南池袋一丁目の交差点のジュンク堂書店のある通り、東栄会本町通りにあるベローチェというカフェに行ったり、明治通りを目白の方に歩いてベローチェというカフェに行ったりして時間を潰しました。それから雑司ヶ谷霊園に戻ったら、南池袋斎場に人が、まあまあの人数の人がいました。南池袋斎場の中はどうなってんだろう。私はそれを遠目に眺めながら思いました。
ところでうちの父が死んだ時は、コロナ禍の最終盤。終焉期でしたので、参列者というか、参加者は母と姉と私以外、誰も居ませんでした。コロナというものにかこつけて、そうしたのです。親戚を呼んだりとか、そういうのが面倒だったと言えば、そうなるでしょう。父もいたずらに、というとあれかもしれないですが、人に来られたりとかそういうのが嫌だったと思いますし。まあそれも生きてる側が勝手にそう解釈しただけの話ですが。
そんな父の葬儀の時、私は喪主を務めました。とはいえ母と姉と私だけの父の葬儀でしたので、喪主と言っても何もしていません。葬儀ホールから父の遺体を火葬場に運ぶ出棺の時に霊柩車の助手席に乗ったくらいです。父の遺影を持って。その様を姉に笑われて。まあ私も笑いましたし。この部分要るのかなと思って。怪訝な顔を写真に撮られて。あと火葬場で火葬開始のボタンを押したくらい。
ただ火葬場にて、その火葬場の係の方に、
「最後に何か一言、挨拶などをされますか」
と聞いてこられたので、それには驚きました。即、いいえと答えました。母と姉と私だけの葬儀。父の葬儀。一言って言われても。そんなの。気恥ずかしい。父も恥ずかしいと思う。棺の中で照れちゃうと思う。顔赤くなっちゃうと思う。勿論、係の人はそういう仕事なんだというのは理解してますけども。
そして、コロナ禍の終わった現在です。
もしかしたら今は喪主からの一言っていうのがあるのかもしれない。参列者も多少居たし。そう思って、遠目から、雑司ヶ谷霊園の中から、私は南池袋斎場を眺めていました。
暫くするとマイクの音声が聞こえてきました。係の人でしょうか。「それでは最後に喪主であります〇〇様より、お別れの挨拶でございます」と聞こえてきました。私は興奮しました。これがきっと私が火葬場で遭遇したあれなんだ、喪主からの挨拶なんだ、と思いました。何言うんだ。最後の挨拶って何言うんだろう。そう思っていると音楽が聞こえてきたのです。そして若干擦れたような、若干外れたような歌声が聞こえてきたのです。
『長崎は今日も雨だった』でした。内山田洋とクールファイブの。喪主の人が歌っているみたいです。『長崎は今日も雨だった』でした。何故なのかはわかりません。故人が長崎の出身だったのかもしれませんし、この歌が好きだったのかもしれませんし。ただでもとにかく『長崎は今日も雨だった』でした。
そういうのもアリなんだな。そう思いました。なら私もLOVEPHANTOMを歌ってあげたらよかったなあ。そう思いました。
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