見出し画像

祈り

 長い間、ボンレスハムのボンレスって言うのをスルーして生きていたんです。その、見えてなかったって言うか。見てなかった。認識してなかったって言うか。そういうものだと思って生きていたんです。そこに意味があるとか、そういう事を考えなかったんです。考えてなかった。うん。疑問に思わなかったって言うか。学生時代の英語の授業でボーンって言うのが骨って習って、レスって言うのが無い。失うみたいな意味って習って。それでもボンレスハムの事にはたどり着かなかったんですね。私は。至らなかったんです。
「ボーンコレクターって骨収集家なんだー」
 とは思いました。ただ、それでもボンレスハムの事は思いませんでした。考えませんでした。巡ってきませんでした。家の電話がコードレス電話とかだったらもしかしたら至ったかもしれません。でも、家の電話は黒電話でした。レガシーコストの。子供の頃は嫌でした。黒電話。あとピンクの電話でした。嫌でした。その当時、天才てれびくんで電話で参加するゲームみたいのがあったんです。視聴者が参加できるゲーム。それに参加したいなあって思ってました。でも黒電話でしたから。黒電話ではダメなんです。ピンクの電話も当然駄目です。参加資格すらないんです。プッシュホンの電話に憧れましたね。子供の頃。凄く憧れました。プッシュホン。コードレス。親機と子機。憧れました。何度か言ってみたりしました。親に。でも替えてはくれませんでした。そんなものいらないだろうって。黒電話で何の問題も無いだろうって。すげなく言われました。すぐにサッて感じでした。私の願い。そんなのすぐ右から左みたいな。サッて感じでした。子供の気持ちなんだと思ってんだ。と思いました。天てれのやつに応募したいのに。友達が家に遊びに来た時とか黒電話使った事ないみたいな感じがありました。これどうやって使うんですか。みたいな。恥ずかしかったです。黒電話。ピンクの電話。でも、大人になってから、なんか逆にそれでよかったなって思えて来たって言うか、まあ、なんかね。なんか。それについての感情が私の中の落としどころに落ちた、落ち着いたって言うかね。未だに実家は黒電話です。ピンクの電話もあります。でも、もうほとんど使われてないと思います。携帯。スマホあるし。あと今考えると怖いですよね。誰だかわからない相手からの電話。知らない電話番号からかかってきたらすぐに番号を調べられるじゃないですか今は。黒電話は無理ですからね。ディスプレイないし。でも、それでも、化石同然になってはいるけど、でも未だに実家の電話は使えます。鳴らしたら鳴ります。でれれれれれん。って言います。心臓弱い人とか心臓発作、心臓麻痺を起こす様な音が出ます。でれれれれれんって。実家のどこにいても黒電話が鳴ったらわかります。でれれれれれんがすごい音なんです。だから分かります。本体も重たいし、受話器も重たいです。あれで殴ったら人死ぬ気がします。ゲームキューブ並みに鈍器感があります。鏡月の瓶なみに。子供の頃、天てれの電話使って参加するゲームやりたい。プッシュホンに替えてほしい。って思ってましたけど、私の願いなんて右から左で替えてもらえませんでした。それで親を幾分か恨んだり憎しんだりしました。でも大人になってからは黒電話でよかったな。替えないでよかったなって思うようになりました。なんか身勝手ですよね。
 閑話休題。
 えーっと、そんな感じで、ボーンはわかったんですが、コードレス電話じゃなかったから、レスに関して身近に無くて。だからボンレスハムの事は最近まで、知ってはいるけど知らないっていう感じでした。気付かない。見てたけど見てないっていう感じでした。
 今年の春先、一か月だけなんですが食肉加工場で働いたんです。食肉加工場って言うと大げさかな。スーパーの西友のね。工場、倉庫があるんです。新座に。そこで短期の夜勤の募集があって。しかも交通費が出るって言うのでね。行ってみたんです。新座って言うと武蔵野線です。武蔵野線沿線のもっと先、新三郷って言う所にコストコがあります。普段、武蔵野線は利用しないんですけど、でもそういうの、きっかけがあったらもしかしたらもっとコストコに行くかなって思って。途中までとはいえ交通費、電車賃も出るしね。
 だから、行ってみる事にしたんです。そしたら配属されたのが食肉加工を行う部署でした。そんなの面接で一個も聞かされてなかったんですけど。でもまあ一か月だしなって。
 部署内のボンレスハム製造現場でした。
 でもボンレスハム製造現場で何するんだろうって。私も。多分、他の短期で入って来た人達も思ってたと思います。私を含めて三十人位いました。短期バイト。週五勤。九時間拘束八時間労働一時間休憩。土日休み。夜勤帯。高時給。みんなおいしい仕事だと思って入って来たんでしょうね。私もそうだし。
 ただ、ボンレスハムの製造現場って言われてちょっとキョドりました。私も。他のみんなもキョドってたと思います。不安だったと思います。まあまさか屠殺はしないだろうけども。大きな肉塊を均等に切ったりするんだろうか。私はそんな事を考えていました。
 そしたらみんな一つの部屋に入れられて、そこに並んだ椅子に座るように言われて。
 で、私達を連れてきた係の人が一旦、退室して、少しして戻ってきた時にカート、台車を、二段のステンレスワゴンを押して入ってきて、そのカートの上にハムが。ハムの塊があったんです。大きな肉塊の状態のハムが。
 そんで、今はもう、一つとして覚えてないんですけども、いくら頑張っても思い出すことも出来ないんですけども、その係の人が、なんか、小粋な、ちょっとした話、ジョークというか、私達が緊張して固くなっているのを慮ってだと思うんですけど、小品みたいな話をしたんです。そんでその後で、ワゴンに乗ってる大きな肉塊の状態のハムを差して、
「これは、こちらは、今はまだ骨を取り除いていない状態のハムです。ハムの塊です」
「そこで今から皆さんに、このハムの塊に祈ってもらって、骨を取り除いてもらいます」
 って言ったんです。
 ホントに。本当にそう言ったんですよ。祈って。祈りって。祈りでハムの骨がとれるのかよって思いました。当然ですよね。でも、祈れって言うから。だから、私達は手を合わせて祈りました。ハムに。短期バイト全員で祈りました。ハムの塊に。そしたらね、ハムからね、肉塊から、骨がね、徐々に抜け始めて。誰も手とか触れてないのに。ワゴン台に乗ってる肉塊から徐々に、骨が抜け始めて。
 で、んで、その時に私わかったんですよ。
 あ、ボンレスハムのボンレスってボーンレスの事なんだ。ああ、そうなんだ。って。
 それからあと、やっぱりというか食肉加工の現場だから寒くてね。しんどかったです。
 初日以降、徐々に人が辞めていきました。来なくなったり、電話が通じなくなったり、したそうです。その仕事が理解できなかったのか、あるいは馬鹿にしてたのか、それとも祈りをうまく出来なかったのか。まるで、ああ、それこそボンレスハムから骨が抜けていくみたいに。徐々に人が少なくなっていきました。私は一応最後までいましたよ。途中一回だけ、体調不良で休みましたけど。その体調不良も現場の寒さによるものなのか、あるいは祈りに力かけすぎたのか、祈りすぎたのか、今となってはもうわかりませんけども。
 最終日、係の人に「君は祈りが上手だね」って言われました。もしまた機会があったら是非にも来てほしいって。祈りが上手って言うのは嬉しかったですけどもね。でもね、その一か月で十キロくらい体重が落ちましたからね。あとその後の二か月位ずっと体調悪かったですし。古賀コン5の辺り。あの辺り。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?