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「読書会」

十代のライフワークは、祖母との読書会だった。

1冊読み終える毎に、その本を読んだことがない祖母の為に読書感想文を伝える。

きっかけは小学生の夏休みに書き上げた読書感想文を祖母に読んでもらったことだった。
祖母は、「あらすじを書きつけただけじゃダメだ。」とか、「自分の感想をもっと書きなさい。」とか、教師が言う決まり文句を一言も発さず、ただ「面白かった」と言った。
この時から私には、本を読み、その感想を思うままに祖母に伝えるという仕事が与えられた。

読書会とは言ったが、課題図書が与えられたことはなく、本という媒体を通じて、祖母と対話する会というのが実態であった。

人が多く死ぬようなサスペンスには顔を顰めたため、人死にが少なくなるようにショート・ショートに改変したりした。
横文字塗れのSFは辞書を捲る手を待ち、解説を加えながら話した。
祖母の趣味を阿って、時代小説ばかり読んだ時もあった。
(不思議と本のジャンルが「面白かった」の傾向と結びつくことは無かった。)
好きな作家が見つかった時には、まるで旧知の友人を紹介するかの様に、その作品と作家性を嬉々として祖母に話した。

高校でバンドに傾倒し始めるまで、数週間に一度のペースを崩したことはなかった。
大学進学の為地元を離れた後も、帰省のたびに“読書会”は開催された。祖母が病床に臥せるまで。

一体、祖母にとっての“面白さ”の食指は何だったのだろう。其れを今になって考えてみる。私を沢山の多様な本に触れさせることが一つの目的だったのかも知れない。祖母が与えてくれた“面白かった”という不確実な報酬が、私を読書へと駆り立てたのは間違いない。

読書会が無くなってから、読書は本当は独りでするのだと気づいた。
祖母との読書会は突き詰めれば、“誰かのために読む”という体験。これはある種、共有を義務とした変わった読書体験だった。本来本が持つ、究極の孤独と内省という性質よりも先に、究極の共有と対話という性質を少年の私は知ってしまった。

映画でも音楽でも同じ。誰かが生み出したものには“誰か”が居る。それを体験することでその“誰か”の顔が像を結ぶ。
その瞬間に私と生み出されたもの、そしてその“誰か”が繋がる。
その悦びを私が感じ取った様子が、祖母にとっては“面白かった”のかもしれない。そんな風に今は思う。答えは永遠に分からない。

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