SDGsを欺瞞と感じることについて
SDGsやサステナビリティについて、欺瞞と感じている人たちが一定います。
今の資本主義一辺倒よりも良い未来に向かっているのは間違いないので(温暖化や格差などが実際に起こってない、と思わない限りは)、むしろ良いことだし、ここまで世界を巻き込んだ風潮にすることが出来たマーケティング担当の方は本当にすごい人だなと思います。
しかし、SDGsに対して疑念を抱いている人はいるし、なんとなくですが、気持ちもわかるような気もします。
これがなぜか、考えてみました。
話は変わるのですが、子供の教育においてご褒美を動機に努力させてはいけない、という風説があります。
試験でよい点数をとったらお小遣いアップ!とかそういうやつです。
これは、ボランティアなどを実施する人に金銭的な報酬を与えるとボランティアをする意欲が下がった、という実験が元ネタらしいです。
この実験結果、勉強などに当てはめるのもおかしな話で、お小遣いもらえるなら勉強を頑張る意欲がわく人は普通にいる気がするし、なんなら会社組織はこの心理を利用して形成されているのがほとんどだと思います。
で、この実験ですが、勉強やスポーツなどに当てはめるのは無理筋な感はあるものの、この実験自体はそういう結果になるだろうな、というのはわかります。
他人に対する善意でやっていることが、自分の報酬になったりすると、「そういうつもりじゃないんだけど・・・」という気持ちになると思います。
お金の使い方で満足度が高いものの上位に募金・プレゼントが来る、というのと心理的な作用としては似ていると思います。
話は戻って、SDGsやサステナビリティに対する欺瞞についてです。
この気持ちが生じるのは、他人に対する善意で報酬を得ている人がいる、という気持ち悪さからではないかという仮説です。
なんとなく裏がある感というか、従来にはないお金の稼ぎ方だし、資本が資本を産む資本主義の本質とも違っているし、いろんな意味で気持ち悪いというのはわかります。
ここから直感的に怪しさを感じ取って”欺瞞”と表現したりする人が多いのではないでしょうか。
。。。と色々書きましたが、感情移入しようと思って一生懸命考えた結果、これならわかる、と思ったのが以上の内容です。
いういうのを気持ち悪いと感じたり違和感を感じたりする人はいると思うのですが、あまりしょうもないことに気を取られなくとも、実際に起こっている社会問題に対して、愚直に何をしべきか考えるほうが前向きでよいのでは?と個人的には思ってしまいます。
と、空想の他人を想像しながら思い至りました。
この違和感がどこから来るのか?が分かれば、気持ち悪さを解消したアプローチが出来るのかもしれません。