環境問題への優先順位
先日、環境への欺瞞に対する記事を書きましたが、この欺瞞への違和感については、考え続けていました。
自分でも否定しきれない何かがあったからで、まだまとまってないながら、書いてみようと思います。
一つ言えるのは、環境問題は自分の生活の優先順位の一番ではない、ということです。
もし一番であれば、私自身はもっと家族に環境のことを働きかけているはずだし(うちの家族は私以外はそれほど環境問題に関心がない。家庭の平穏を優先してしまっている)、仕事もそれ関連のものに転職をしているはずだし(今のエンジニア関連の仕事を続けてしまっている)、余暇もその活動にあてているはず(子供と過ごす時間を優先している)です。
しかし、それをしていない。
日常の細かい選択を行う中で、環境問題のことをある程度脳内に占めながら決断はしていっているのですが、どうしても圧倒的一番に持っていけていない自分がいます。
このnoteを書き始めたきっかけに、いい加減、自分がずっと気になっている温暖化のこと、環境破壊のことを自分の人生に取り入れたいと思ったというのがあるのですが、結局、少し優先順位は上がり、そのことに対する時間や思考の割合も増えたりはしたのですが、やはり一番にはなれていない。
罪悪感があるものの、世の中の人も大部分はこんなもんか、環境問題に対する意識はそれ以下なんだろうと思います。
でも、世の中を変えるには、この大部分の人をどう行動変容させるかにかかっています。
さて、衆議院選挙をしています。
選挙の論点は色々あり、今回は、裏金・経済あたりだったと思います。
温暖化や環境問題が上がらないのは、個人的には賛成なのですが、日本の大部分の人々が中小企業であり、中小企業であればより経済に関心があるであろうし(自分の生活が景気に大きく左右される方が、大企業よりは中小企業に属する人に多い)、そのあたりは欧米とは違うところなのだろうと思います。
欧米だと、環境問題が論点になることがあるらしいのですが、このあたりの日本特有の事情もあるのだと思います。まぁ、そうでなくとも関心は低いように思うのですが・・・
また、少し話題は変わります。
日本は結構、民主主義が好きな国民だと思います。小学校の頃からそう学んでいて、社会主義の国はどちらかというとさげすむ感覚にいる人が多い気がします。この日本の制度を誇らしげに思ってもいますし、投票は大事なものという感覚も一応は持っている人が多いと思う。でも、その割には封建的で事なかれ主義。投票率も低い。
このあたりの感覚も、多くの人から環境問題の関心が低い要因な気もしています。投票と一緒で、1票の影響力が低い。1票が大事なのは当たり前ですが、やはり1票は1票。温暖化も一緒で、1個人・1家族・1社が頑張ったところで影響はしれている。
そういうものに対して、あまり関心も持てずに事なかれ主義となる。
それより、ほかの自分が影響力を持てる中で求められることをするほうがしっくりくる。
こういう人が多いのではないでしょうか。
ここまで考えてきましたが、多くの人が、環境問題を1番と考えないといけないわけではないと思えてきました。まったく関心が無い状態から、少しでも興味領域に関心をもっていければ、それでよいのだと思います。
自分自身も、そうだと思ってきました。
まったく関心なく、今まで通り環境を破壊し続けるのではなく、自分の生活で出来る範囲の中で、出来ることを増やしていくだけで、政治や企業の行動は変わるはずで、その結果、多くの命を救うことになるのではないかと思います。
単純な二元論ではなく、多くの人・多くの考え方がある中で、この問題にどう向き合っていくのか、というのを考えさせられました。