身体知について
人間は大脳が発達して、その結果社会や生活環境を大きく変えながら生きています。しかし、身体は昔のままで進化がおいつかない状況というのはよく言われます。
例として挙がるのは肥満です。
昔は食料がいつも確保できるわけではないので、食べたものをエネルギーとして蓄えることが正しかったが、今や肥満が理由で疾患にかかる人が沢山いる、といった内容です。
AIが出てきたり、世の中は動きが速く目が回りそうになりますが、身体は変わっていないので、不整合がおきがちです。
思った通りに体が動かないことは多々あるのですが、身体は変わっていないということがわかれば、打つ手は色々とあります。
テレワークよりも出社しろ!というのも1つかなと思います。
メリデメは両方にあるので、どっちが良いというつもりはないですが、テレワークだと人とのつながりが希薄になるのは間違いないと思いますし、チームワークや一体感は薄くならざるを得ないと思います。
キックオフとかの儀式めいたものも、関係者の思いを一つの区切りとして持たせる意味として大きいと思います。
さて、この身体知は記憶や経験にも左右されます。
岡潔という数学者も、身体知を使って数学をしていたそうです。岡潔にとっては、”1”という概念を身体知としてしっくりこない中で数学は出来ないそう。
掛け算の九九も9の段まで覚えている人と、12の段まで覚えている人では数学の考え方や捉え方なども変わってくるでしょう。
時間の捉え方も、文化によって異なるそうです。
現代人は、ほぼほぼ一直線に前に伸びている感覚で時間をとらえていますが、後ろ向きに歩いているように捉えている人々もいるそうですし、前とか後とか関係なく悠久の時を連想して捉えている人々もいるそうです。
現代人は、時間間隔を一直線に前に伸びているものとしてとらえている。
そのため、未来に投資することが好き。
未来の自分を今の自分と捉えることが出来ると、投資が出来る。
逆に、投資をしてしまう。
今よりも未来にかけてしまう。
この、時とともに良くしていきたい、という捉え方が、今ある資源を食いつぶしているような気もします。
食いつぶすことによって滅亡する未来も具体的に見えなさ過ぎて自分ごと出来ないし、未来の自分をよくしたいので。
この身体感覚を変えないと、解決しない問題が、現代にはいくつかあるように思います。