自分を救うもの。 悲しみの隣人。 何度も繰り返し押し寄せては返す波。 砂浜と水の泡。渚。 いつの間にか 悲しみと知り合いになり、 夜、または明け方に そっと迎え入れる。 幾重にも連なり 乾く暇もなく 涙に濡れて 心が割れ、 そして気付かぬうち 自分がそうとも知らぬうちに 乾き果て 乾き果て.. 悲しみの隣人。 その自分を知るもの。 迎え入れたときに 心強い、愛すべき隣人になる
なにかをお願いするわけでもなく、 難しい言葉をつかって その土地の精霊を鎮めるわけでもない。 様子を見て、声をかけ そよそよと吹く風に ふわふわと揺れる髪 整えるようにそっと撫でたり お昼寝の子にブランケットをかけたり そんな風に 様子を見に行く。 土地の巡り 土地の癒し。
自分の苦しみだけだったら人は死を選ばないかもしれない。それか、もっとずっと少なくなるんじゃないのかな。人の苦しみを背負うのは程々にしようよ。人はみんな自分の命しか生きられないのだから。
理解すること。理解したいと願うほど、遠のいてしまうこともある。理解したいと思われるほど、つらくなってしまう事がある。理解したいと思うほど、理解できないことに苦しみを感じてしまうこともある。理解できないならそのままに、理解できないままでも人を大事にすることはできる。
降り注ぐような光の粒 ヒラヒラと、または束になって落ちる 美しい花 日々の生命、気力、たとえば迷い、喜び すべてのことに言祝ぎが注がれる 晴れやかに。 そのままの自分で「有る」「在る」ことで 完全を纏いし命へ。
言祝ぎ
あなたは死の国、死の淵から戻ってきました。 ありとあらゆる苦悩、困難、痛み、悲しみ、恐怖.. 全身いっぱいにそれらを感じて、されど戻ってきたのです。 愛ある心と、勇気。 今まで感じて味わってきた死と思える苦しみを、いま赦すことができますね? あなたはその意味と愛情、あたたかさが分かりますね? 身体いっぱいにうけた苦しみを赦す。 嘆き悲しむものではなかったこと、それは赦せるものだと、今なら分かるでしょう。 これからどう生きるか、 もう知っているはずです。 なにに情熱
たくさん我慢して その都度なにが良いのか、なにができるのかいっぱい考えて行動して、色んなものを体の中に詰め込んで詰め込んで底の方に圧縮していく。 いざ、じゃあなにを今悩んでいるのか なにに困っているのか 自分に正直に出していこうと思っても 出てこないのではない? 色んなものが混ぜ合わさったまま 圧縮してしまった。 ひと塊りになって、説明しようと思っても 口が一つじゃお話できない。 全部分解して話そうと思っても 喉がパンパンになって 大きな塊が口から出せない。 ありとあら
役が入れ替わり立ち替わりして 次々とまわっていく。 昨日まで知らなかった役に今日から入るかもしれない。 昨日嫌だった人が、別の日に良い人になるかもしれない。 自分で経験しなければ分からなかったことがあって、どこが良かったのか、どこがダメでそうなったのか、その時にならないと知ることが出来ないっていうのがある。 想像することはとても大事。 でも経験しなければ分からないことがこの世の中多いよね。 人生ってだいたいそう。 うまくいってる人もうまくいってない人も、 みんな間違っ
初狩りって知ってる!?ゲームで絶対に最初にやられちゃう部分の事なんだけど、初手でやられることにより把握できて2度目にクリアできる様になってる!いいか!人生もそうだ!初狩りに負けるな!挑んでけ!人生の初狩りに負けるな!
人の幸せも楽しみなんだけど、自分の幸せも楽しみにしなくてはダメだよね?!!ハァァ最高..みんな楽しいことしまくろうな!!
天界からのメッセージ。 愛する人々に ありとあらゆる守りを授ける。 自身を護るものすべてを ひとつのこらず 着せるようにして 人々に与えていく。 地に両足をめり込ませ その身ひとつで すべてを受ける。 力を持ち、愛のある人。 今までずっとそうしてきたけれど そろそろ、自身の護りでもって 周りすべての守りにもなることに 少しずつ気付いてきたのではないですか? あなたの愛が溢れることで あなたが心身ともに 健やかなことで ありとあらゆるもの全てが 実は護られることにも
ピンクやオレンジ色をした雲の上に 白いアーチがひとつある。 そこには門番役の神父様がひとり。 アーチをくぐると、さらに上へと続く 細い階段がある。 人ひとりがやっと通れるような 手すりもない細い階段。 ひとりずつ上がって行く途中で たくさんの人が途中で落ちて行く。 それを見た私はすごく怖くて、 門の前に立つ神父様に「絶対に嫌だ!」と 断固拒否をして後ずさる。 あまりにも拒絶をするからか 神父さまは笑いながら 一緒にてっぺんまでのぼってくれた。 たどり着くと、ものすごく
いま何を見ているのか なにを見てきたのか。 知るというのは背負うことと似ている。 知ってしまったからには、 知らされてしまったからには.. 孤独であっても 孤高を生きていく人。 痛みを感じ、責任を請け負い 恐れでなく 愛で人を導く。 どれだけの人が どれ程のことに耐えているのだろう。 絶望を飲み込み、恐怖を内に入れ 咀嚼して咀嚼して 意味を読み解き 光を見出す。 霊感とは違う。 器として授けられた能力と引き換えに 請け負う苦難。 どうか、どうか 穏やな暮らしに少
第一印象で信用できるか分からないと思った..けれど何故か惹かれてしまう。 本来、貴方自身という存在はとても素晴らしい。なのになぜ愛を返してくれない人を愛してしまうのか。 自分がどこまで耐えられるのか確認していませんか? 大事にされたいと思いながら、大事にされないことで安心していませんか? 何故、貴方と同じだけの愛情深い人とは 付き合えないのでしょう。 何故、与えるばかりの役割になるのでしょう。 愛されるのが怖いですか? 愛に見合う自分ではないと思っていますか? 愛しても
土地、練り歩いてますか? 私、練り歩くの大好き! そうすると、その土地の状況がわかる。 異変がないかどうかを見ながら 土地に感謝をする。 声をかけて、お礼をつたえながら 綺麗だねーって土地を見る。 その土地の自然霊が今どんな雰囲気か やり取りしながら鎮める。 そんな感じ。 住んでいる場所も 出先も 旅に出た時は旅先も そうやって土地の雰囲気、 自然霊の状況を確認しながら 練り歩いてます。 祈りと感謝は とっても大事。