赤ちゃんのお世話期に

…わたしは無事出産し
子どもと


一体となる生活が はじまりました

わたしはすぐに「記録」を
始めます 実に詳細に
それはさながら「書類作成」

わたしは自分が
何をしたかを残したかった

…マタニティ期は
行き急ぐように出産準備をしたり
今のうちにと様々な用件をこなしていた

それが終わり 
赤ちゃんと一体化する暮らし

仕事のように 
1日の結果が出るわけじゃない日々…

わたしは アパレル勤務だったので
1日の結果は売り上げという
数字で目に見えてわかります

1日のスタートは朝礼を行い
今日の実行内容を
スタッフと共に確認します

今日の天気 曜日 季節による
お客様動向を予測…

最近の好反応商品
好結果の出る接客対応 
ディスプレイなど

検証結果を打ち出し
本日の取り組みを部下と共有する

その 描いたストーリーに
できる限り近い結果が出るように
身体と頭を使ってお店の空気を動かす

店構とそこにいるスタッフ…
その「舞台」を見て
お客様が惹き付けられるように

そして
わたしの投げ掛けや 取り組みで
スタッフの士気が上がるように

そんなお客様とスタッフが出会い
商品たちがあって
店全体が キラキラと輝くように

そして最終 
閉店後に終礼で振り返る…
明日にまた 繋げていく

毎日 やるぞーって思ってました
…そんな
仕事脳が抜けてないままのわたし

そんな 1日の「起承転結」
静かな店内がだんだん混みあってきて…
人が人を呼び
いつしか大きな盛り上がりをつくる

1日にハイライトシーンがあり
ピークタイムの意識が 
染み付いていたわたし

そこをリセットせずに過ごす
赤ちゃんとの暮らしは
わたしに妙な「焦り」をつくりました

まず 単調な暮らしに
自分の頭の働きが
低下してるんじゃないかと
なんとなく不安になりはじめ
ぼんやりとすることが増えました

…かつては
お客様からどう見えるのか?
部下にはどう映るのか? 

わたしの感情の抑揚は
多くの人に影響がありました
けれど今は
昼も夜もない 赤ちゃんとの暮らし

言ってみれば常に寝不足ですから
ぼんやりとしていて当たり前といえば
当たり前

避けて通れないお世話期です
母になれば 多かれ少なかれ
体験するシーンでしょう

「みんなやっていること
だから やれること」

一見 まかり通る理屈ですが 
わたしには通用しなかった
わたしは明らかに
感情の抑揚が薄くなっていました

…ある日 赤ちゃんを抱っこしていて
静かな空間の中
ぼんやりと目の前のテレビ番組を見ていました

すると 思いの他
急に爆笑ポイントがやってきて
「わははは(*^▽^*)!」
と笑いました

それは久しぶりの笑いでした
ただ 自分には よく聞き慣れた笑いでした
お店ではよくこうして笑っていた…

でも そのとき
赤ちゃんは 急にせきを切ったように
泣き出しました
驚いたんでしょう 急な笑い声に

けれどそれを見て
わたしの方が驚きました

表面は
「あー急にびっくりしたよねー」
って言いながらあやしました

ただ ここで泣かれたことで
ああ わたしのこの笑い声は
この赤ちゃんにとって
非日常なんだ

わたしはそれほど 
かつてスタンダードだったこの笑い声を
発声してないんだと自覚しました

当時のわたしのしていること
何も 特別なことはありません

でも 今なら思います
重要なのは「何をしているか」
じゃない
「どんな気持ちで それをしているか」

わたしの表面は よくいる初心者ママ
しかし内面は 
キレキレのビジネスウーマンだったんです


…わたしの尊敬する方の一人に
オーストラリアの
精神医学者フランクルがいます

かのナチス・ドイツの強制収容所で
三年間過ごした方

三年の間に彼は 
その場にいた他の方々と同様に
耐え難い それは過酷な体験をします

しかし同時に 他の多くの人たちが
しなかった取り組みもします

それは何か?

表面→強制労働させられている
内面→脳内で音楽を奏でる

表面→解放される日を待ち望む
内面→著者として本に書く内容を制作

…といったように
内面の自身が
極めて主体的であるのです✨

この 脳内が自分軸であること
これにより 多くの方がそこで潰れていく中
フランクルは生き残ります

…わたしの表面の家庭生活と
個人としての内面は
非常にアンバランスでした

今 わたしが
当時のわたしに コーチングするなら?

自分の内面は
どのように生きたいのか?
「こんな風に生きたい案」を
片っ端から 出してもらいます

わたしにはライフシフトできない
抜けきれなかった
パターンがあります

フランクル先生に 当てはめてみたら
よくわかります

表面→仕事
内面→ふにゃふにゃ

次は?
表面→赤ちゃんのお世話
内面→意識朦朧

笑笑(^-^;なんだか情けないですが
結局のところ
生活をシフトできない原因 それは

わたしの内面の主体性が
見つかっていないから

これがわたしの脳内が選択していた 
「パターン」だった


「在り方」は選択できる
何をするかでなく
どのような存在意義をもって 
そこにいるかということ


それを出していたら…
なにもがつがつ「書類作成」しなくとも
一つ一つの行動意義が見えてくる
生きる価値を 感じられる

思いと行動が一致したら
毎日が宝物のようになるから✨

そんなことには気付けず…

わたしのプチ鬱期は続き… 
結局わたしは 

アパレルの世界に
戻ります


…続きます…!✨

娘が引っ張って 破壊するほど
気に入った メリー

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