『ボートレーサー』

 高校三年生の私は、進路を決め兼ねていた。大学に行く学力はないし、そもそも勉強は嫌いだ。就きたい仕事もなければ、専門学校にも興味が沸かない。だからと言ってこのままフリーターというわけにもいかない。

 どうしたら良いか分からず、街をぶらついていた時、ふと1枚のポスターが目に留まった。
『あなたもボートレーサーになりませんか?』と書いてあり、格好いい女性が映っていた。

 よく読むと、年収1,000万円は稼げるそうで、トップクラスになると億も夢ではないと。しかも男女で同じレースを闘うらしい。

 ポスターの女性が魅力的だし、何より私でも稼げるかもしれない。そう考えて何となく応募してみた。

 筆記試験は簡単な問題だったし、体力テストも難なくクリア出来た。面接では動機を聞かれ、素直に答えた。

 沢山の受験生がいたため、どうせ落ちるだろうと思っていたが、意外にも合格した。4月から教習所に入り、訓練を行うとのことだった。

 入校するための持ち物等を揃え、入校式の前日を迎えた。何気なく資料を読んでいて、目が点になった。

-なお、入校に際し、髪型は男子は3ミリ以下の丸刈り、女子は耳と眉を出したショートカットとする。例外は一切認めない-

 こんな文言見逃していた。髪を切らなきゃいけないの?何それ?長い髪が好きなのに…。でも『例外は一切認めない』なんて書いてある。バッサリ切らないといけないんだ…。

 慌てて街に繰り出したが、美容室がどこも休みだった。途方に暮れていると、床屋が目に入った。

 この際躊躇してはいられない。髪を切るんだから床屋でもいいや。生まれて初めての床屋に入ると、ポマードの匂いがして、思わず顔を背けた。

 場違いな所に来たと思ったけど、入ってしまったものはしょうがない。これから床屋を探すのも面倒だし、日が暮れかけている。ここで切ってもらうしかない…。

「こんにちは。今日は顔剃りですか?」
「いいえ、カットをお願いします。」
「いいですが…あまりお洒落な髪型は出来ませんよ。」
「いいんです。耳を出したショートカットにして下さい。」
「前髪はどうしますか?」
「眉が見えるように切って下さい。」
「分かりました。部活にでも入るのですか?」
「いいえ。明日から競艇学校に入るためです。」
「ああ、競艇ですか…それは大変でしょうに。じゃあバッサリ切っちゃいますよ。」

 バッサリという言葉にビクッとなる。本当は今のロングのままでいたい。ショートにしたら、どれ位で元の長さに戻るのだろう…。

 結んでいた髪を解かれると、ブロッキングもせずに一気に首筋で切られた。冷たいハサミが首に当たりビクッとなる。ざくざくと切られてボブにされた。

 ハサミはまだ止まらない。これからもっと切られるんだろうな。嫌だなぁなんて思っていると、気づいたら耳が丸出しにされていた。

 後ろを切っている時に理容師は動きを止めた。
「お客さん、襟足が立ってまとまらないから、刈り上げにしますね。」
「か、刈り上げですか?」
「そう。でないとみっともないし、短い方がいいでしょう。」

 刈り上げなんて…運動部の一部の子しかしていない。あんな頭にされちゃうの?

 私の返事を待たずにバリカンのコードを繋ぎ「下を向いて下さい。」と言われた。カタカタと聞いたことのない音がして、襟足に冷たい感触が走った。そしてバリカンで刈られた-。

 い、いやっ!何これ…!!くすぐったいような変な感触がした。

 バリカンなんて初めてだ。髪が根こそぎ奪われていくようで、とても悲しくなった。私の動揺をよそに、バリカンはどんどん後ろの髪を刈り上げていく。このまま坊主にされちゃうんじゃないかとヒヤヒヤした。

 理容師がバリカンを置き、顔を上げると、店内の注目を浴びていることに気づいた。私の髪が切られるところを全部見られていたんだ…。顔から火が出るぐらい恥ずかしかった。
 
 最後に前髪もパツッと切られた。出来上がったのは、後ろを無残に刈り上げられたショートカット。あまりにもショックで声が出せず、そそくさと床屋を出た。

 家に帰って後頭部を確認すると、青々とした刈り上げにされていた。美容院でやればもう少しはましになっていたかもしれない。床屋なんかで切らなきゃ良かった…。バリカンの感触を思い出して、ゾクッとした。

 入校してから訓練は厳しかった、肉体的にも精神的にも追いつめられ、辞める生徒も続出した。でも私はやっと見つけた目標に向かって、歯を食いしばって耐えた。

 友達も出来た。同期の女子が4人いて、皆で励まし合って耐えた。女子は誰一人欠けることがなかった。

 訓練が進み、やがてスタート練習に入った。これが難しく、一向にいいタイミングでスタート出来ない。フライングを重ね、なかなか上達しなかった。それは私以外の3人も同じだった。

 私には素質がないのか。自信を無くし、徐々に訓練に身が入らなくなっていた頃。女子4人が集められて教官に怒鳴られた。
「おいお前ら、なんだそのやる気のない態度は!スタートが全然出来ない上に、最近訓練に身が入っていないじゃないか!そんなことなら今すぐに辞めちまえ!!」
 私たちは誰も顔を上げられなかった。ようやくリーダー格の優里が口を開いた。
「辞めるのは嫌です…私やっぱりボートレーサーになりたい…。」
「口で言うのは簡単だ。それが行動に出ていないじゃないか!」
「…」
「やる気があるんなら一つぐらい行動で示してみろ!」
 その後も長い時間説教された。

 寮に帰り、4人で集まった。皆無言だったが、優里が言った。
「ねえ、みんなで坊主にしない?」
「ええっ!?」
「教官は『行動で示せ』って言ったじゃない。私たちに今出来るのはこれぐらいよ。」
「だからってなにも坊主にすることはないんじゃ…女子なんだし…。」
「そこよ。女子がここまでするぐらい必死だとアピールすればいいのよ。それにほら、武藤先輩や白鳥先輩も、訓練生時代に坊主にしたって聞いたことがあるわ。」

 確かに現在トップレーサーとして活躍している女子の先輩は、訓練生時代に坊主になったと聞いたことがある。先輩たちも同じような状況ちだったのだろうか…。

「私はやるわ!」京香が言った。
「髪なんかどうでもいい。坊主にすれば気合も入るだろうし。」
「私もやる!」朝美も続く。
「玲子はどうするの?」
「私は…どうしよう…。」
「じゃあいいわ。私たちがやるから、それを見てから決めてちょうだい。男子からバリカンを借りてくるから。」

 みんなの顔を見渡す。本気だ…本当に丸坊主にするつもりだ…。確かに教官は行動で示せって言ったけど、こういうことなのだろうか?

 戸惑っていると、優里が本当にバリカンを借りてきた。刈り上げにされた時を思い出してゾクリとした。

「言い出しっぺの私からやるわ。」誰かやってくれない?
「じゃあ私がやるわ。一度やってみたかったのよ。」と京香。優里にケープ代わりの新聞を被せ、バリカンのスイッチを入れる。優里の前髪に、勢いよくバリカンが入る-。

 あっという間に優里の前髪がなくなり、青々とした地肌が現れる。
「うわって!何これ!すごい短いじゃない!!」
「あっ…やだ!このバリカンアタッチメントが付いてない…1ミリだって。」
「1ミリって…ツルツルじゃない!」
「まあいいでしょ。丸坊主なんだから。」
「まあいっか。続けてよ。」

 1ミリ…ほとんどスキンヘッドだ…こんなに短くなるなんて…。おしゃれ坊主なんて言葉があるけど、そんなものではない。男子何ら変わりのないただの丸刈りだ。私もああなるのかしら…。

 その後も京香はバリカンを進めて行き、優里の黒髪が次々に刈られて行く。そして優里は丸坊主になった…。

「凄い!髪がないよぉ!」
「ザラザラしてる~。」遠慮なく頭を触る京香。
「なんかサッパリしたわ。次は京香でいい?」
「うん、お願いね。」
 
 京香もバリカンであっという間に丸坊主になった。次に朝美が座る。小柄でショートが可愛い彼女も、バリカンで刈られた。泣き笑いのような顔をしていた。

「さて、3人とも坊主になったけど、玲子はどうする?無理にやらなくてもいいよ。」

 私は考えた。目の前で丸坊主にされる3人を見て、こんなことやりたくないと心底思った。床屋でベリーショートにした時も嫌だった。女の子なんだし、別に丸坊主にならなくても、行動で見せて行けばいい。

 でも…女子4人のうち3人までもが丸坊主になり、私だけやらないのはどうなんだろう。仲間関係にヒビが入るのではないだろうか。周りの男子も「なんであいつだけしないんだ?」という目で見るだろう。

 それを考えると、丸坊主にしないリスクの方が大きい気がする。髪を刈られるのは嫌だけど、仲間が離れていくのはもっと嫌だ…。

「私も…やるわ…。」本心では言いたくなかった。でも、口が勝手に動いていた。
「そうこなくっちゃね。」
 新聞紙をかけられる。バリカンを構える優里。グッと唇を噛みしめ、目を瞑りその時を待つ。
「大丈夫よ、そんなに緊張しなくても。みんなやったんだから。」
 そうは言っても丸坊主になるのは本当に嫌だ。そんな私にお構いなしに、額からバリカンが入った。バリバリと刈られる前髪。床屋で刈り上げにされた時よりも衝撃があった。

「い、いやっ!!」思わずのけぞった。
「だめよ。ここで止めたらかえっておかしくなっちゃうわ。じっとしていなさいね。」
 優里は次々に髪を刈り取っていく。どうしてここまでしないといけないのか。バスケ部の子が試合に負けてスポーツ刈りにしてきたことがあったが、女の子が丸坊主にしたのは見たことが無い。まさか自分がそうなるとは、夢にも思わなかった。

 だが途中でバリカンの音がおかしくなり、とうとう止まった。
「え?何でこんな時に故障するの?」
「このままじゃダメよね。」
 半分ぐらい坊主で、あとの半分はショートのままだった。坊主になるよりも恥ずかしい。
「私、教官室に行ってバリカン刈りてくるね。きっとあると思う。」

 5分ぐらいして京香が戻ってきた。手には銀色の見慣れない物を持っていた。
「電気バリカンがないからって、代わりにこんな物を貸してくれたわ。手バリカンっ言うんだって。」
「な、なにそれ…そんな物でやるの?」
「いいじゃない、バリカンに変わりないんだから。これでもきちんと坊主に出来るわ。今の中途半端な髪型よりもましでしょう?教官に使い方を教わってきたから大丈夫よ。」

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