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行ったこともないチベットでのこと

僕がまだ学生の頃の話だ。チベットを一人で自転車横断する旅をした。ゴビ砂漠を抜けてチベット高原を横断して目的地はネパールだった。標高平均は4500M。途中、勾配のきつい坂道が延々と続いた。高山病にかかって頭痛を抱えながらペダルを漕ぎ続けた。心の支えは眼の前に聳える世界最高峰の山々だった。気温の低下でパンクを繰り返した。凍ったせいでオイルも効かなくなってチェーンが切れた。旅の予定は大幅に遅れ、食料もなくなる寸前だった。自分の計画の甘さをつくづく恨んで、一生分の涙を流しながら自転車を押すだけの工程が5日も続いた。三度目のパンクを指先を温めながら修理している時、若い男女と小さな娘の三人組とすれ違った。三人は五体投地と呼ばれる行に取り組む親子だった。自分の村から一年かけて聖地と呼ばれる山を目指す巡礼者だった。その距離2400キロ。
 五体投地と呼ばれる過酷な行があることは知っていた。数歩ごとに体を大地に投げ出し、這いつくばるようにして祈りながら前へ進む。女と娘は体の倍以上もある大きな家財道具を背負い、夫に水と食事を与えながら後をついていく。男が着ている洋服は既にボロボロで、幾重にも縫い込んだ継ぎはぎだらけの肘と膝あても、とっくにその役目を終えていた。彼は家族の健康と日々の感謝を捧げる為の巡礼だと言った。僕はもっと話を聞きたくてタイヤの修理もそこそこにこの親子の後をついて行こうとした。けれど祈りの邪魔をしないでほしいと断られ、仕方なく別れることにした。絶望に瀕していたアメリカ青年の冒険は、この親子との出会いで無化された。乾燥した大地にも咲く花はある。ぼくにとって彼らはまさしくそれだった。家族の幸せと今日の感謝。人はそれ以上の何かを祈る資格はないと思った。ぼくも、この親子と出会うためにチベットを目指した巡礼者だった。
 という物語。

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