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鳥獣戯画 相撲節会 ササラ

【国宝】実は謎だらけ!?「鳥獣人物戯画」を解説【明恵上人】
2021/04/09 #山田五郎 #うさぎ #相撲
皆さん、鳥獣戯画のウサギやカエルって
可愛い〜💞と思いませんか? 相撲したり水遊びをしたり…😍
しかし実は、とても謎が多い国宝だったのです…❗️
【国宝 鳥獣戯画のすべて】 東京国立博物館 平成館
2021年4月13日(火)〜5月30日(火)

五郎さんと一緒に「鳥獣人物戯画」 真相に迫りましょう?そんなYouTubeを見たので、じゃ、それ調べてみようか、と不埒に思ったのが動機でした。

その「鳥獣人物戯画」については謎 謎 謎で、だからナゾだったのです。と云っても素人が、そのナゾを調べて、よしんば知ったとしても、何なのか、というアンサーも生まれるのですが、まとりあえず、やってみる価値はあるし、違っていたとしても、私の素人推理を誰も支持しない、という歴史学問閉塞壁は、大昔からあったので、逆説云いたい放題ってのがあります。体よく云えば大胆推理です。

まず戯画図のメイン兎とカエルの相撲図で、勝っても負けても笑ってる図がナゾです。ですから、その基本行素性を知る必要があった。

通説 鳥獣戯画
「日本最古の漫画」とも称さる。京都市右京区の高山寺に伝わる紙本墨画の絵巻物。国宝。鳥獣戯画とも呼ばれる。現在の構成は、甲・乙・丙・丁と呼ばれる全4巻。
成立については、各巻の間に明確なつながりがなく、筆致・画風も違うため、12世紀 - 13世紀(平安時代末期 - 鎌倉時代初期)の幅のある年代に複数の作者によって、別個の作品として制作背景も異にして描かれたが、高山寺に伝来した結果、鳥獣人物戯画として集成したものとされる。
作者には戯画の名手として伝えられる鳥羽僧正覚猷(とばそうじょう かくゆう)が擬されてきたが、それを示す資料はなく、前述の通り各巻の成立は年代・作者が異なるとみられることからも、実際に一部でも鳥羽僧正の筆が加わっているかどうかは疑わしい。ウイキペディア

これが総てで、年代、依頼者不明、作者不明制作意味不明、のナゾで唯一「高山寺」落款が証拠で保管されていた、という紙本でした。私が感じたのは旧いのに「虫食い」痕跡がまったくない、のが不思議でた。

また、原資世相が旧いのに画質筆タッチが新しい、と感じたのは、そもそもこれが「写本」写し、という古代伝承スタイルまた、コピーであるという意味からして、素性を伏せる、というテクニックは否定できません。
となると、これは「原本発掘」が明らかにされないと「永遠のナゾ」としてい未来永劫語り継がれることになります。

推定時代が平安、鎌倉、ということですが、資料から読み取れたのは、もっと古くて、遣唐使で高級官吏だった「吉備真備」が唐から持ちかえった、膨大な模写資料の中の一部、でした。その中に古代音楽「蕃楽」(今の雅楽)もあって、太子が奨励した朝廷音楽を形式化するのが必須だったようです。

考察、古典的な基本線描画
相撲図で、勝っても負けても笑ってるウサギとカエル図が、一緒に笑ってしまうような達者な筆さばきです。線がシャープに描かれているので、筆が固い毛のもの、和紙はにじみが全くないので、古代紙(こうぞ)雁皮紙上質な天然繊維のもの、と推定。背景の水流と草木の筆致がタッチが違うように見えるのでその書き手が、分業で違う作家が描いている。
作家が日本人か唐人か、を判定するには、もっと資料が必要ですが、現況では日本人とみられます。
その根拠ですが、戯れ画の図ですから、遊びの図で、じゃ何を遊んでいるのか、といったら上級階級(朝廷、貴族の支配層、いまでいうならガーファの大金持ち層へのひがみ)であり、だから、一人二人(猿 蛙)の頭に載った烏帽子が、その象徴です。

もっともの関心事は相撲の図で、相撲は古来より相撲節会(せちえ)と称して、雅楽の中にも曲があった。相撲の原資は占いで亀甲と同じように勝ち負けの勝敗占いをした、という古式です。
だから東西力士の勝敗結果を読み取って、それに対する参賀の意味で勝った方位力士に対して曲を演奏した、という古式です。今でも、国技館では、そんな行事をすることが稀にあるようです。

しかし、その相撲の原義と、うさぎとカエルが笑って転がる図形は、と考えても呪術的に見えない、そんなことを感じました。

じゃ別の謎の意味はどこにあるかと、逡巡しても何も出てこない。私のライフワークとして雅楽演奏がありますので、冒頭の「吉備真備」の持ち帰った資料の中にヒントはないかと、思ったら午前2時だったので、そのまま寝てしまいました。

明けて、その続編がこれからです ゛゛゛



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職人尽歌合 七十一番職人歌合 摸本
図解説 右手に持つのは楽器 竹ササラ 推定


神話や伝説にも登場する相撲

https://web-japan.org/kidsweb/ja/virtual/sumo/sumo03.html

相撲に似た格闘(とう)技は世界各国で大昔から行われてきました。今もあるのは韓国のシルム、モンゴルのボフ、トルコのヤールギュレッシュなどです。日本では4世紀ごろの古墳(こふん)時代(3世紀ごろ~7世紀ごろ)の出土品に相撲人形があり、古事記(712年)、日本書紀(720年)の神話、伝説にも登場します。稲作(いなさく)が始まると、農民の間に、その年の稲(いね)がたくさん取れるように祈(いの)ったり、豊作かどうかを占(うらな)ったりする行事として行われていました。奈良(710年~794年)・平安時代(794年~1185年)には宮ていの儀(ぎ)式(相撲節会)になり、天皇の前で相撲を取る天覧相撲が行われました。


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