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伊庭孝の言葉に心を動かされ遼遠なエッセンスがある

令和時代において「古語」の遺れてしまった追加話し(古語拾遺)
2022年の今の世相を考慮すると、その結論に到達してしまう。
また「伊庭孝」(いばたかし)の生きた昭和初期という時代が古典音楽の貴重な残滓として日常生活の中に生きていた時代ということも見逃せない要素であることは間違いない。

だとしてもそんなことを思うのは私一人の自己満足であったのか、と最近思うことが、しばしば感じるのは、単なる老い、その一つの更年期症状なんでしょう。だって民放テレビ広告は、朝から晩まで、そのクスリの宣伝ばかりしているから。

そうした時代背景を目敏く察知していた伊庭は、己が感じた音楽に対する気持ちを誠実に述べていたのでした。

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(日本音楽概論)、はじめに論じている記述では将来を見据えた伊庭の気持ちがひしひしと伝わってくる。

「日本音楽という言葉は、おそらく今日以後は、新しい意味を帯びて、次第に内容が変じて来るであろう」、と断って西洋と東洋の音楽がクロスオーバーすることを予告しているが、近年、ごく一部ではあるが現実にそのことが起っている。すくなくと私にはそう思えた。

伊庭孝の言葉に心を動かされ遼遠なエッセンスがある。

「日本音楽という言葉は、おそらく今日以後は、新しい意味を帯びて、次第に内容が変じて来るであろう」、と断って西洋と東洋の音楽がクロスオーバーすることを予告しているが、近年、ごく一部ではあるが現実にそのことが起っている。

「政治的には明治元年に日本は新たに生まれ変わった。我等の研究する日本音楽は、その維新の前の音楽であり、それに関連する諸相である。日本の旧い音楽的活動は決して明治以前で終息したのではない。明治改元直後は無論のこと、現代においても猶盛である。しかも西洋音楽と何の関係もなしにである。そうである以上私どもは慶應を以って日本音楽を締切ってしまうことは到底出来ない」。

現代世相に蔓延している盲目的な西洋音楽一辺倒の傾向を昭和の初期でありながら既に察知したその伊庭孝の信条を今の時代に同調するものが殆どいない、ということが危機的であると私は想う。

かつて狛近真(こまちがざね)がその当時の音楽情況を憂いて著した『教訓抄』と心情心理的に同等である。

しかし、その当時と現代社会の置かれている環境が余りにも違い、寛喜3年「寛喜の飢饉」の年、諸国の大飢饉があった2年後の1233年である。そして『日本音楽概論』が発行されたのは1928年だった。

『日本音楽概論』の緻密なプロットとはまったく無関係に、昭和という時代が日本にとって激動の時代であったことを物語る生き証人として『日本音楽概論』が名著であることに変りはない。

「空理空論・想像を許さず一々資料の出典を明らかにされた学者的態度」と伊庭孝の業績を絶賛したのは文学博士今井通郎である。

当時の日本音楽界が置かれている情況を博士は真摯な視点で分析していたのである。そこには次のような論旨で書いている。

洋楽作曲家は、ただでは歴史のある伝統をもった欧米作曲家と伍しては行けず、彼等のもたない日本音楽を素材としたもので対しなければ、勝負にならないことを知り、日本音楽を知らなければならない、ということになっており、教育音学界においても、教員養成機関の教育大学、学芸大学は勿論、音楽大学でも日本音楽の教育をうけないで卒業させられ、教壇に立てば、日本音楽の教材のもられた音楽教科書を取扱わされる現代の音楽教育の現状であるから、何としてでも、その教育担当者は日本音楽を知らなければならない境遇に追込まれているのである。(本文抜粋記事)

と辛辣な論評をしている。それは1969年当時を語ったものだ。その論説は2022年の現代社会に向けて発信しているかのようである。

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博士の抱いた危惧が何も解決されず現代に至ってしまった経緯は、伊庭孝が『日本音楽概論』を著した心情とピッタリ重なると(私)は感じていた。それは日本文化の過渡期現象でもある。博士の抱いたその危惧を国内で音楽を職業とする専門家が安閑として見過ごした訳ではない。

日本を代表する作曲家の一人、間宮芳生氏は1990年5月に発行された『現代音楽の冒険』の中でヨーロッパの音楽で育った耳、日本音楽で育った耳が聴く古典音楽を次のように語っている。

「日本の作曲家が雅楽、能、文楽など、日本の伝統芸能を聞き換えるとき、つまり、かつての自国の都市文化と現代の耳との交配が起きるときは、自国文化といえど、これは東西問題という分類をするのがいい」。

「インドネシアの伝統的音楽ガムランには、幾種類かの伝統的な音階がある。ヨーロッパの音楽で育った耳や、日本音楽で育った耳には、はじめて聞くその音階のガムラン音楽は、どの音も全部調子はずれに聞こえる。少し馴れてくると、今度はがぜん魅力的に聞こえ出すだろう。その魅力のうちの半分は、その不思議な音程、調子外れが魅力だと感じるということになる」。

(『現代音楽の冒険』間宮芳生著 岩波新書)

(※そんな時代はとうに過ぎ去ってしまった。今となってはすでに過ぎ去った昔には戻れないのである。自著HPより抜粋)


(※2/10再追記)

「伊庭孝」のことについて、しつこく当該ブログに書いているが、あいかわらす「アカデミズム」書にまったく興味ないというか、閲覧痕跡がみあたらない。

よく云われる比喩に、絵を習うのに当時の「フランス」に渡って何を学んだか、というとヨーロッパ渡航歴に「浮世絵」を見せられ、その絵描きは「浮世絵」の作法をまったく知らなかった、という伝説の逸話は、まことに日本人の無節操感をよくあらわしており、自己アイデンティティぶ認識を見事に証明しているのではないかと。

最近でも西欧に渡航するアラサー女子のニュースをよく耳にするが、ギリシャはとっくに済んで、あとトルコのイスタンブルのブルーモスク「アヤソフィア」に行きたい、という話しを風のたよりに訊く。

で、奥州の平泉・中尊寺については何も知らない、という浅学度は平均的日本人意識のようだ。もっとも西欧文明のギリシアからオスマントルコまでの歴史を学ばせたのは、明治維新国家であるから、それを揶揄すべき論理はどこにもない。

とにかくそうしてフランスで学んだものは、自国の古い先人の技であった。これでは自己アイデンティティーを語るスペースはどこにもない。

その延長が"伊庭孝"であるとするなら、日本と云う国は、これからもずっとギリシア自然科学を学び続け、その後に育った「ニュートン」や「アンイシュタイン」学説を探して読みふけることもないだろう。

PHOTOHITO   平泉 中尊寺金色堂


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