歌舞伎の変容世界
10歳フランス系日本人歌舞伎役者
「尾上眞秀」檜舞台
公演日程(5回公演)2007年3月 フランス政府から、團十郎さん、海老蔵さんそれぞれに「コマンドゥール」、「シャヴァリエ」という芸術文化勲章が贈られるという栄誉ももたらされ、パリ公演は大成功。それは日本人として歌舞伎を愛する者として"うれしくも幸せな"出来事でした。
という歌舞伎座海外公演は、過去にありましたが、実際の歌舞伎役者が、フランス人の血統で、それが歌舞伎歴史の中でも、「初代尾上眞秀」というのは、日本の伝統芸能界でも初代、のようでした。
おそらく百年来の閉ざされた伝統門戸が、初めて開かれた襲名披露でした。
さらに将来的には、世界歌舞伎座として、海外でも注目されることでしょう。
2023年09月01日
歌舞伎役者「尾上眞秀」に仏紙も注目!
実は他にもいた「外国人を親に持つ歌舞伎役者」
「歌舞伎界の青天の霹靂」 10歳のフランス系日本人歌舞伎役者「尾上眞秀」に仏紙も注目!
5min2023.8.22 Photo by MATSUO.K / AFLO SPORT
ル・モンド(フランス)Text by Philippe Mesmer
俳優の寺島しのぶとフランス人クリエイティブディレクターのローラン・グナシアの息子、寺嶋眞秀が「初代尾上眞秀」として歌舞伎デビューを果たした。仏紙「ル・モンド」も彼に注目し、その初舞台と歌舞伎界の多様性について報じている。
歌舞伎界に起きた「小さな革命」
舞台で繰り広げられるのは仇打ちの物語だ。岩見重太郎という若武者が、父親を殺した仇敵を探して諸国を行脚し、その道程で大蛇や狒々(ひひ)を退治する快挙を次々に成し遂げる。伝説のような話ではあるが、主人公は16世紀に実在した人物だ。
そんな岩見重太郎の一生に再び命を与える演目が、歌舞伎座で上演された。主役を務めたのは10歳のフランス系日本人の寺嶋眞秀(まほろ)。5月2日から初代尾上眞秀の名で歌舞伎役者として初舞台を踏んだ。
歌舞伎は男系男子による継承が伝統だ。そんな閉鎖的なギルドに男系男子ではない眞秀が入ったこと自体が、小さな革命だったといえる。
眞秀は大女優の寺島しのぶの息子。寺島しのぶは「人間国宝」七代目尾上菊五郎の娘だ。女性の寺島しのぶには歌舞伎の花道を歩いた経験はない。歌舞伎は女の役も女形が務める、男だけの世界なのだ。
『音菊眞秀若武者』は、眞秀の初舞台のために歌舞伎脚本家として名高い今井豊茂が書いた新作で、踊りと立廻りの2部から成る。眞秀は舞台で祖父の菊五郎に見守られながら、25回の上演をこなすことになった。
3歳で膝をついて「舞台に立たせてほしい」
菊五郎が率いる音羽屋は、18世紀の京都で興された名門であり、代々女形も輩出してきた。團菊祭は1936年に始まった恒例の興業だが、2023年はそこに眞秀の初舞台が組み込まれ、加えてシャネルとアニエスベーがそのサポートに入ったため、フランス色の強い團菊祭となった。
「僕は小さい頃から歌舞伎が好きでした」
東京中心部の一家の邸宅で、眞秀はそう語った。紋の入った黒の羽織に、ゆったりしたパステルグリーンのズボンという姿だった。少し内気な様子があったが、その立ち居振る舞いには優雅さと気位が窺えた。
以下割愛
初代「尾上眞秀」の初舞台を発表
2023年5月、歌舞伎座の「團菊祭五月大歌舞伎」で、寺嶋眞秀が初代尾上眞秀(おのえまほろ)を名のり、初舞台を勤めることが発表されました。
歌舞伎人
▼左より、ローラン・グナシア、寺島しのぶ、迫本淳一松竹株式会社代表取締役社長、寺嶋眞秀、フィリップ・セトン駐日フランス大使、尾上菊之助、尾上菊五郎
寺嶋眞秀は、平成29(2017)年5月に4歳で歌舞伎座「團菊祭五月大歌舞伎」『魚屋宗五郎』の酒屋丁稚与吉で初お目見得し、以来多くの舞台出演を重ねてきました。フランス人を父にもつ眞秀の初舞台の記者発表が行われたのは、フランス大使公邸。ここで歌舞伎に関連した会見が行われるのは初めてのことです。
詰めかけた取材陣を前に、眞秀は見事なフランス語の挨拶を披露。続けて日本語で、「僕は小さい頃から歌舞伎が好きでした。今年の5月、尾上眞秀として初舞台を踏むことになりました。僕はいつか、僕とパパの母国のフランスで、歌舞伎公演をやってみたいと思います。お客様に楽しんでもらえるように練習に励みますので、5月の舞台にどうぞお越しください」と、素直な気持ちを込めて、まっすぐな瞳で呼びかけました。
眞秀という名前で踏み出す
孫の初舞台について、菊五郎は、「誠にうれしいことでございます」と喜びながら、5月公演の眞秀の初舞台に自分自身も元気な姿で臨みたい、と語ります。菊之助は、「日本では、身内に慶事がありますと、家族全員で応援するという文化がございます。私も叔父として、彼を支え、修業の手助けをできれば、と思っております」と、穏やかな口調で述べました。
眞秀が初舞台を迎えるにあたって、菊五郎もいろいろな名前を考えたそうですが、本人の望みもあり、既に多くの人に親しまれている「眞秀」という名前で出発することになったと言います。これからどのような歌舞伎俳優になりたいかと問われ、間髪入れずに「ひーまみたいな面白い役者さんになりたいです」と、答えた眞秀。「ひーまとは私のことです」と言い添えながら、菊五郎も思わず顔をほころばせました。
初代尾上眞秀の初舞台を発表
いつかフランスでも公演を
将来フランスで歌舞伎の古典の作品を伝えることや、俳優への挑戦など、眞秀はしっかりと自分の言葉で、あふれる夢を語ります。また、歌舞伎の好きなところや演じてみたい役について、「弁天小僧」(『弁天娘女男白浪』)や、鬼が出てくる作品や変身…といくつもキーワードを挙げながら、「立廻りが僕にとって一番面白い」と話し、さらに立役と女方については、「どっちもやったことはあるのですが、立役の方が多かったので、女方もやってみたいと思います」と、意欲を見せました。
5月の初舞台の演目について、安土桃山時代の豪傑である岩見重太郎をモデルに、「賑やかな明るい場面や激しい立廻りの場面を考えています」と、作品の構想を明かした菊五郎。「私の通ってきた道でございますが、(立役と女方の)どっちがいいかはやってみないとわからない。今回も初舞台では女方立役、両方をやらせてみたいと思っています」と、大きく広がる可能性に期待を込めている様子です。
菊之助はこれまでの共演を振り返り、「とても舞台を楽しんでいる感じが体からにじみ出ている。修業は厳しいこともたくさんありますが、その心を忘れずにこのまま進んでいってほしいと思います」と、甥へ気持ちのこもった言葉を贈りました。大らかに、その成長を見守る温かな眼差しに包まれて、5月の歌舞伎座で尾上眞秀が新たな門出を迎えます。
歌舞伎座「團菊祭五月大歌舞伎」の詳細は、決まり次第、公演情報等でお知らせしていきますので、どうぞご注目ください。
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世界に散らばるミイラの人権問題を考える
博物館は古代エジプト人の人権を尊重して「ミイラの展示」を止めるべきなのか
7min2021.8.13 クーリエ ジャポン
仏ルーヴル美術館に収蔵されている、プトレマイオス朝時代のミイラ Photo : DeAgostini / Getty アンダーク(米国)Text by Doug Struck
Images 画像ギャラリー
ミイラの展示は博物館に人を呼ぶ。だが同時に、古代エジプト人の遺体の展示にまつわるジレンマは、世界中の研究者や学芸員たちを悩ませ続けている。
1823年、米マサチューセッツ総合病院の主任外科医、ジョン・ウォーレンは2500年前の死体を解剖しようとしていた。ある支援者から寄贈され、外科病棟で見物料を取って展示されていたこのエジプトのミイラを検証すれば、古代人についての知識を深められると思っていた。彼は古びた麻の包帯を注意深く切断し、そこで手を止めた。
黒ずんではいるが、見事な保存状態の頭部があらわになっていた。高い頬骨、茶色い毛髪。歯は白く光っている。ウォーレンは後にこう記述している。目の前にいるのは一人の人間であって、彼をそれ以上「邪魔する気にはなれず」、そこで終わりにした、と。以下割愛