紀元前6世紀「シャーマン」呪文
「ゾロアスター」(/ツァラトゥストラ)古代アーリア人はミスラやヴァーユなど様々な神を信仰する多神教(原イラン多神教)である。この原イラン多神教を基に、ザラスシュトラ(ゾロアスター、ツァラトゥストラ)がアフラ・マズダーを信仰対象として創設したのがゾロアスター教のルーツだ。紀元前6世紀のアケメネス朝ペルシア成立時、既に王家と王国の中枢をなすペルシア人のほとんどが信奉する宗教であった。[ウィキペディア]
松本清張の「けものみち」を語るには、それが相応しいと考えたのです。なぜか、清張、晩年のライフワークだったテーマが「古代アクロポリス」宗教に傾注していたからです。
けものみち、といったら小高い山懐の雑草の中に残した「動物の回廊」と認識するのが普通ですが、それはそれで間違いではないのですが、その松本清張が云いたかったのは、人知れず、闇夜の世界でうごめく人ならぬ動物のごとく生きる修羅の世界、とくに弱肉強食に生きる人間、それらを描いた、そんなストーリーでした。(スノーデンはその鉱脈を探しだし世界へ白日夢としてさらした)。
あらすじ
『けものみち』は、松本清張の長編小説。「けものみち」に迷い込み、戦後日本の権力構造を垣間見た者たちの運命の変転を描く、著者の社会派サスペンスの代表的長編。『週刊新潮』に連載された。1964年5月、新潮社から単行本として刊行。
エピソード
和田勉によれば、著者が本作を書くきっかけは、仲居からの一通の身の上相談の手紙であったという。本作は(以前に連載された)『わるいやつら』以上の評判を呼び、本作連載時の『週刊新潮』は120万部を発行し、増刷となった。
小説中の「ニュー・ローヤル・ホテル」は、赤坂の高台にある3年前に新築されたホテルと描写されているが、モデルを「ホテルニュージャパン」(火災発生1982年(昭和57年)2月8日)とする推測がなされている。
本小説に登場する鬼頭洪太のモデルについて、推理小説評論家の権田萬治は、児玉誉士夫と推測し、加えて、辻トシ子(元・岸内閣副総理秘書官)の証言からトシ子の父である辻嘉六とする説も紹介している。
また、当時清張の専属速記者を務めた福岡隆は、秦野重武にはモデルがあるとしている。文芸評論家の細谷正充は、「政財界を裏から操る黒幕」という設定は、大藪春彦や森村誠一の小説、のちにはコミックなどのエンターテイメント作品に広く流布されているが、本作は、政財界の設定を使い勝手の良いガジェットとして扱うのではなく、政財界の闇そのものを真正面から取り上げ、徹底的にリアルな掘り下げをした点で、意外なほど少ない、例外的な作品となっていると評している。
松本清張 けものみち
貧しい一人の女が、男にささやかれ
過去を焼き捨て、大きな屋敷の「愛人」になった。
生まれ変わった女は、もう抱かれるだけの
おもちゃではなかった。
キャスト 米倉涼子 仲村トオル 若村麻由美 上原美佐 田丸麻紀 前川泰之 吹越満 東ちづる 佐藤浩市 平幹二朗(特別出演)
スタッフ
原作:松本清張「けものみち」(新潮文庫)
脚本:寺田敏雄
題字:武田双雲
演出:松田秀和(共同) 藤田明二(テレビ朝日) 福本義人
チーフプロデューサー:五十嵐文郎(テレビ朝日)
プロデューサー:内山聖子(テレビ朝日) 伊賀宣子(共同テレビ)
制作協力:共同テレビ
制作:テレビ朝日
ドラマの感想
出演していた俳優たちの極端な若さに、それが旧いキャストであることは明らかでした。テレビドラマですから、スタジオセット撮影がミエミエで、それも当時としての臨場感を出していたように思います。
平 幹二朗(1933年11月21日 - 2016年10月22日)が若いのにおどろきました。同様に佐藤浩市も若さに変化なく、いまと変わらないその姿に羨望です。
いま日本の「デレビドラマ」ありましたっけ?というほど見ませんし、まったく新聞と同じでアピールしてない。そもそも親も子も「居間」に居ないし、いたってね、座ってやっているのはスマホで、それしか見てない。だから「ドラマ」は進行しいるのに、いつの間にか終わっているとう塩梅です。
ですから子供たちにしたって学校行って「ドラマ」話題してないのかもしれませんよね。やっぱり「テックトックダンス」になっちゃうのかなあ。
だったら、ドラマの挿入歌として、それ、やっちまえばいいのにと思うのは素人なんでしょうね。なにせ人気「リハック」が潰されるご時世ですから。
そんなことですから、ドラマ「けものみち」を朝から晩まで説明するヒマはないし、世の中、とくに話題は世界標準ですから、国内ニュースばかリ見ていると、やらと狭い部屋に圧縮されたようで女優不倫とか、水着が卑猥とか、中学生を先生が買春セックスしたとか、どうしても話が狭く狭く四畳半スペースになってしまう。
だから、そこから少し抜け出して、けものみちを歩き回る「獣」はどんな種類が徘徊して、昼間は寝ていて夜歩き回る人間みたいな生活をしているとか、いろいろあります。
それで冒頭の「ツァラトゥストラ」が、けものみち、どんな関係があるのかとか、はたまた狐やタヌキも、そこを歩いたりしたら、その葉っぱを「金」に摺り変える術は、どう使うのかとか、切磋琢磨してがんがえました。
そしてたどりついたのが呪術師シャーマンです。ええっ、こじつけだって?
そんなことありません、と云うのがテックトックダンスじゃなくて「ツァラトゥストラはかく語りき」でした。
それを誰が語ったかというと「尾上縫」(おのうえぬい)という、当時まったく無名の旅館の女給仲居さんのようでした。
おのうえ ぬい「ツァラトゥストラはかく語りき」を語った
尾上 縫(おのうえ ぬい、1930年2月22日 - 2014年頃)は、日本の実業家、投資家、詐欺師。大阪府大阪市千日前にあった料亭「恵川」を経営していたという履歴です。まあ、ここいらは一般的な普通のひと、という印象です。
バブル景気絶頂期の1980年代末には「北浜の天才相場師」と呼ばれ、一料亭の女将でありながら数千億円を投機的に運用していた。しかしバブル崩壊とともに資金繰りが悪化、金融機関を巻き込む巨額詐欺事件を起こした。
バブル時代を象徴する人物の一人として「バブルの女帝」と呼ばれ、尾上をモデルとした小説を原作とした映画『女帝』も公開された。※シャーマン
バブル景気絶頂期の1980年代末には「北浜の天才相場師」と称され、一料亭の女将でありながら数千億円を投機的に運用していたようです。しかしバブル崩壊とともに資金繰りが悪化、金融機関を巻き込む巨額詐欺事件を起こした。
バブル時代を象徴する人物の一人として「バブルの女帝」と呼ばれ、尾上をモデルとした小説を原作とした映画『女帝』も公開された。
奈良県磯城郡多村新口(現・橿原市)の農家の5人兄妹の次女として生まれた。弟の1人は栄養失調で幼児期の内に死去するという極貧家庭であった。母は空海を熱心に崇め、尾上は毎朝般若経を唱えるのを聞いて育った。弟が栄養失調で死去したあたりから母は「狐が降りる」など祝詞(のりと)や経のような言葉を発していた。※シャーマン
母はさらに家事が苦手で、父は尾上が10歳の時に病死。以後、母は株の仲買人をしていた豪農の男の庇護を受けて生活していた。
1944年に国民学校高等科を卒業し、地元の織物工場の女工となった。いくつかの職を経た後に大阪に出て、デパートや水商売で5年ほど働いたのち、19歳で結婚して一女を儲けたが25歳で離婚。離婚後にスタンドバーを経営するも上手く行かなかった。
娘を元夫に預け、大阪ミナミのすき焼き店「いろは」で仲居として働くうち、店の客である経済界の有力者の支援で、旅館「三楽」を購入。改装して30代半ばで料亭「恵川」の女将となった。
金のある客だけを嗅ぎ分ける選別眼で年配の実業家の座敷に率先して出て支援を募る尾上の努力の賜物であった。バーや1971年に開業した麻雀店、1983年に「恵川」の隣で開業した大衆料理店「大黒や」なども経営し、不動産もいくつか所有した。
しかし尾上には経営の才能がなく、経営する店舗はいずれも赤字続きだった。担当した会計事務所の証言によると、一度しか食事に来ない客にも案内状を出したり、8000円の料理を食べた客に3000円のライターを贈ったりという、広告宣伝費の浪費などの経費の無駄遣いが目立っていたという。
他にも、料亭の建設改装費10億円を業者の言い値で支払った、神社の賽銭に数十万円も使った、水晶玉に8000万円を出したと伝わる。
放漫経営によりいつ店が潰れてもおかしくなかったが、店舗の経営資金は強力なスポンサーなどにより、どこからか調達されていたという。
1970年(昭和45年)の暮れ、清風学園創設者である平岡静人により高野山金剛峯寺報恩院で得度の路を開かれ、平岡から「純耕」の得度名を授けられている。平岡一族との親交は深く、一族が主催するチベット仏教寺院・ギュメ寺(南インド)への開眼ツアーにも参加しているが、この際に尾上は2,000万円をギュメ寺に寄進した。
■平岡 宕峯(本名 平岡静人)は、清風学園・清風南海学園創立者で、現在も清風学園では校祖、清風南海学園では学父として崇められている。広島県呉市下蒲刈町出身。佛教大学仏教学部卒業。勲三等瑞宝章。名誉哲学博士号。高野山真言宗大僧正。大阪府私学連合会会長も務めた。 ウィキペディア
しかし平岡一族は寄進は自身らによるものだと主張している。またそのツアーで尾上は平岡ともども宗教指導者・ダライ・ラマに面会し、平岡はその後ダライ・ラマを念仏宗無量寿寺に紹介した。
尾上は自身が女将を務める料亭の客らに対して、占いと神のお告げによって株式相場の上昇や競馬の勝ち馬などを見事に言い当てるとして評判となり、そのために料亭は繁盛した(占いは「大黒や」でしていた。占いにはガマガエルの石像を使い、ガマのお告げと称していた)。
バブル景気前夜の頃までには、それらの予想も神懸かり的なものとなった(特定の銘柄を挙げて株価の見通しを尋ねると、神がかり状態の尾上が「上がるぞよー」とか「まだ早いぞよー」とか答えたという)。多くの証券マンや銀行マンらが尾上に群がるようになり、彼らは「縫の会」と呼ばれた。
尾上は日曜日には、庭の弘法大師像を拝むことを習慣にしていた。多くの証券マンも訪れて一緒に祈り、高野山や小豆島への参詣旅行にも同行した。
金融界のアイドル的存在であった一方で情報交換を極端に嫌い、情報交換を求められるとその会社との取引は即座に停止した。また、奈良女子高等師範学校(現・奈良女子大学)出身と経歴詐称していたことが発覚。占いで得た布施は赤字続きの事業の損失を補填するために使われた。
バブル絶頂期の1988年には、2270億円を金融機関から借り入れ、400億円近い定期預金を持っていた。また株取引で48億円の利益を得て、1987年から日本興業銀行の割引金融債ワリコーを288億円購入し、55億円の金利を受け取っていた。同時期に興銀はワリコーや同行への預金を担保に尾上に融資を始めるが、これは銀行にとっては焦げ付きのリスクが全くない旨味のある取引で、行内では「マル担融資」と呼ばれ、1989年には融資残高は586億円にのぼった。
金融の自由化により銀行間の競争が激しくなり、融資先の開拓に苦慮していた興銀は、個人顧客の資産管理を総合的に手伝う「プライベートバンキング」といった中小企業や個人との取引に力を入れており、尾上に対して不動産投資も勧め、1990年8月には尾上の資産管理を行なう「株式会社オー・エヌ・インターナショナル」を設立した。
同年、テレビ番組『なんてったって好奇心』に北浜の女相場師兼料亭女将として出演し、カバン一杯の株券や預金通帳を見せたり「神のお告げ」を披露したりした。 ※シャーマン
しかし、バブル景気に陰りが見えると運用悪化により負債が増加するようになった。1989年の延べ累計額では借入が1兆1975億円、返済が6821億円で、270億円の利息を支払った。1990年末には、2650億円の金融資産を保有していたが負債も7271億円に膨み、借入金の金利負担は1日あたり1億7173万円にも上っていた。
以前から手を染めていた詐欺行為を本格的に始めた尾上は、かねてより親交のあった東洋信用金庫今里支店長らと共謀して、架空の預金証書を作成させ、それを別の金融機関に持ち込み、担保として差し入れていた株券や金融債と入れ替え、それらを取り戻すなどの手口で犯行を重ねた。
1991年8月初旬に尾上は東洋信金の架空証書の件を興銀の担当者にだけ打ち明けた。興銀は自行の債権33億円を売り抜けて回収している。その直後、同年8月13日に尾上は詐欺罪で逮捕された。
尾上は7億円の保釈金を用意して翌1992年3月に保釈され、同年6月に大阪地方裁判所で破産宣告を受けた。
逮捕の時点までに尾上らは「ナショナルリース」などノンバンクを含む12の金融機関から3420億円を詐取していた。金融機関からの借入金総額はのべ2兆7736億円、支払額はのべ2兆3060億円に達しており、拘置所で破産手続を行った際の負債総額は4300億円で、個人としては日本で史上最高額となった。
また、ノンバンク最大の貸し手であったナショナルリースの担当社員も特別背任罪で逮捕された。ナショナルリースは不良債権をグループのサービサーへ債権譲渡し、1998年までに親会社の松下電器が未収債権について損失負担する形となり、2001年に松下クレジットとの合併を経て2010年に住信・パナソニックフィナンシャルサービス、さらに2012年に三井住友トラスト・パナソニックファイナンスとなっている。
尾上に巨額の融資を行い、支店長らが詐欺に加担していた東洋信金はこの事件により経営破綻して消滅し、預金保険機構の金銭援助を得て、1992年10月1日に三和銀行が救済合併して資産(正常債権)と一部の店舗を引き継ぎ、他の店舗網は府下の複数の信金へ譲渡された。
尾上は起訴され、裁判で1987年にワリコーを担保に25億円の借り入れを行ったことについての供述を求められると「特に必要なかったと思うのですが、頻繁に客として来てもらったので」と語った。尾上は頼まれると断れない性格であった。また金融の知識は無きに等しく、当時投資を行う者なら誰でも知っていた公定歩合という単語すら知らなかった。
尾上の弁護人は裁判で「尾上には株式の知識が全くなく、周囲に踊らされていただけであり責任能力はない」と主張したが認められず、1998年3月に懲役12年の実刑判決を受け、2003年4月に最高裁が尾上の上告を棄却し、実刑が確定した。
刑務所に収監後まもなく要介護状態となりひとりでは何もできなくなったものの、元気な時には毎晩拝んでいたという。
2017年3月20日、MBSテレビで放送された『激撮!直撃!!スクープ ヤマヒロ×西靖▼関西あの事件あの人は今? 4時間生放送SP』にて、一連の詐欺事件が紹介された。
その時点で3年前(2014年頃)に死去し、高野山の尾上家の墓に納骨されていたことが明かされた。
金融機関との関係 Question book-4.svg
出典検索?: "尾上縫" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2021年12月)
住友銀行
1986年、三和銀行に多かった預金を担当者の熱心な勧誘により住友銀行日本一支店に移行した。尾上は同支店の支店長から上客として扱われ、週2~3回尾上の店に支店長が訪れ、接待にも使われた。さらに支店長の計らいにより支店の年末パーティに招待されたり、行員の前でスピーチを行ったりという待遇を受けた。支店長の社用車も使用したことがある。
日本債券信用銀行
日本債券信用銀行の部長は尾上の店に花を飾り、掃除を手伝う際には観葉植物の葉の裏側まで拭いていたという。
日本興業銀行
バブル景気の当時は「銀行の中の銀行」と呼ばれていた興銀は、本来は法人以外との取引は受け付けなかったが、尾上は特別に取引を許された。また「床の間を背に座る」(常に上座にある)と言われる興銀マンを下座に従えたと伝聞され、驚きと共に溜飲を下げた人士があった。
日本勧業角丸証券、山一証券
1988年当時、日本勧業角丸証券難波支店長は尾上の店の奥の1畳ほどの部屋に午前9時から午後5時まで常駐し、各証券会社から送られてくる株式売買の報告書を整理し、帳簿を付けた。夕方に会計事務所の事務員が店に来て帳簿に基づいて支払いのための小切手を切った。後に変わって山一証券が常駐した。(その後山一は破綻1997年11月24日) 資料ウイキペディア
それは失われた30年、とピタリ符号
その報道と実体乖離は、随分あったと推定できますが、その一連の推移は、どれも皆納得できるものでした。
当時は、そうした巨額が右往左往している実態など、表面にでることなく、社会的な水面下でやりとりしていたようです。また「バブル」下降線のころで、その綻びが出はじめた頃のような記憶があります。
丁度それはゴルフ場造成乱立期で、日本国中、競って山林を開発していました。なぜ、そんな大規模に事がすすんだかといったら、金融シティバンクに金が大量資金ストックし、その行員がバナナ叩き売りのような、融資口上して、会員権を「商店主」に売りさばいたからです。市町村も固定資産税アップで、許認可ハンコ乱発したのでした。
もともとゴルフ会員権と云うのは時価相場評価ですから、需要過多であれば高騰し過小になれば紙くずです。そんなところを口車に載せて行員がセールスしますから、「明日には倍の1億になります」といって、その気になって買ったのがゴルフ会員権です。そんなことを日本全国でやった。いやそれで余計なことまでして世界に出て田舎者まる出し金満親父を演じた。
ですから日本国中が大宴会しているようなものです。その金庫番は誰がしてたのでしよう。そんな大規模自転車操業が続くわけがありません。その後の風船爆破は周知、知っての通りです。
それを「失った30年」と誰が命名したのか知りませんが、それを奪った奴は誰なんだかしらないのですかね。奪ったのはね~為政者ですよ。不良債権粛清大号令を発して、中途半端な商店主小金持ちを締め上げて、ことごとく奈落に突き落とした。で涙ながらにテレビの前で謝罪したって後の祭りです。その関係者らは、相応の年配者たちでしょうから、3/2はいま、いないでしょう。でその後継者層が最終ランナーで、最下位争いしてますから、もう6年まてば明るい未来が、やってくる? ※成田悠輔が云ったあの人達・・・
いくら大金持ち大富豪だって、酒と同じで個人でやったら密造酒作りで捕獲されます。だから個人じゃなくて力のあるやつ、といったら国しかない。まあ云ってみれば権力統治の゛源泉゛ですから誰も文句が云えない。
その権限で金を作れば政策の一環として社会は納得するし、輪転機製造しても、それを偽札だ、とは云わない。れっきとした「日本銀行券」通し番号入り、です。そんなことを、ある人から教わったので、もうやり放題です。それがだれだって?、ここ では云えません、各自で調べてください。
その、昔から伝えられる狐の化身、タヌキの変幻術は、絵空ごとのようにおもえますが、実際、彼らにはその秘宝が伝授されていると感じることがあります。
稲荷さんに守られた祠伝承は、門外不出の番人で神を守る。 タヌキは、よからぬ不審者を、呪術をもって相手を欺く。そこにはむかしから云うシャーマンがいて、人間世界を守っている。
その化身が輪転機スイッチを押したとしても、なんの痕跡もなく、一晩で紙幣の山を作ってあげたとしても、それが社会の民らに到着したなら、それを平和な国と呼ぶのでしょう。
画像 祈祷師 | MIRAPRI SNAP
アゼルバイジャン 拝火の歴史をめぐる アテシュギャーフ・ヤナル ダグ
ゾロアスター教
今、ロシアとウクライナの戦争状態です。この先行は誰にも判らない。もし判るとすれば戦力指数の兵役と兵器です。ウクライナが持ちこたえている訳は、NATOとアメリカが武器供与しているからでしょう。もしそれがストップすれば結果は自明です。その対極のロシアは 武器輸出国としての実績がある。アメリカも同じです。戦争終結したときに損益収支勘定が、どうやって作られるのか、その戦後処理が問題です。
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