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成田悠輔氏の「探し物は、なんですか?」

探し物は、なんですか?は「民主主義」だった

知る人ぞ知るその「成田悠輔」氏は、若くして日本を代表する「研究者」(あえて何々者とできないほど多岐にわたる)であり、日本はおろか、世界が注目する逸材である。

一説によれば「ギフテッド」との流布もあるようだが、拡大解釈すればあのマイクロソフトの「ビル・ゲイツ」に比肩すると大言壮語しても、おかくしくない。
冒頭文にもあるように、この未曽有の世界経済危機に対して何が起因しているかという問いに「実はこの民主主義的な政治制度というものがその苦境の原因になっているということがわかったりする」と、鋭い指摘をしている。

NHKがシリーズでやっている「欲望の資本主義」の中で述べているように、日本を除いた著名経済学者たちは、その「民主主義」は空気のような存在で、「議論のテーマ」にはなり得ない、というのが実態だと思うが、さてこの日本でその「民主主義」を定義することの難しさは、余りあるものがある。
そのことを成田氏は、「苦境の原因になっている」と云い切ったことに大きな意味がある。これまでその「民主主義」に異論をはさんだ経済学者はなかつたからである。

成田悠輔氏のプロフィール


2022年11月09日記事

イェール大学 成田悠輔先生

客員ファカルティーにインタビュー! 第13回
イェール大学 成田悠輔先生にお話を伺いました!

一橋大学経済研究所 2021年5月12日収録

民主主義に関する研究とコロナ時代

Q:  今一番取り組んでいらっしゃるご研究は何でしょうか。

成田: そうですね。色々な研究をしているのですが、ここでお話して面白いのかもしれないのは民主主義に関する研究です。一言でいうと21世紀の世界においては民主主義というのは呪われた仕組みなのではないか、という研究をしています。

どういうことかというと、2020-21年のコロナ年について考えてみると、実は民主主義的な国ほどコロナで亡くなっている人の数が多いということが分かるんです。
つまりアメリカとかイギリスとかフランスみたいな国はコロナでしくじってダメージを受けていて、それに対して中国とかエジプトみたいな専制国家というのはすごくうまくコロナの封じ込めに成功しているんです。
加えて、民主主義的な国ほど去年のGDP成長率が低いということもわかります。さらに、これらはただの相関関係なんですが、この相関関係は因果関係でもあるということを示すこともできて、この民主主義国家たちが去年経済においても人命においても苦しんでいる理由は何なのかということを調べてみると、実はこの民主主義的な政治制度というものがその苦境の原因になっているということがわかったりするのです。
そういう意味で、このコロナ禍においては民主主義的な政治制度というのは経済においても人命においてもネガティブな方向に働いたらしいということが分かります。
これはある種、近代社会の経験則に対する反例だなという感じがするのです。産業革命から冷戦崩壊にいたる近代経済史の一つの教訓は、民主主義的な方針を取った方が、長い目で見ると経済も成長するし、人々も安全で安心な社会で暮らせるようになる。
そういう民主主義的な政治制度への信頼が常識的な考え方だったと思うのです。この常識がどうやら今世紀に入って崩れ始めているらしくて、これがコロナによってすごく明らかになった、というような研究をしています。

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一橋大学



今後民主主義の良くない側面、民主主義のダメな側面が更にはっきりとしてきてしまうのではないか、という懸念もあります。それがデータの点と関わっていて、中国みたいな国を見れば明らかだと思うのですが、データみたいに中央集権的に何かを集約してその集約したものをスマートな人たちが分析したり活用したりすることによって価値を作り出すというタイプの産業とか政策というのは、民主主義的な仕組みと相性が悪いと思うのです。
今後どんどんデータによってデザインされて、データによって方向づけられていくような社会になればなるほど、今言った民主主義的な政治制度の持つ足かせとしての側面が強くなってきてしまうのではないかなという気はしますね。
じゃあ民主主義は諦めるべきなのかどうかといったらそれは難しい問題で、別に私たちが民主主義的な政治制度を取る理由は必ずしも経済成長したいからとか、感染症のような問題や天災がおきた時にそれを早く封じ込められるからという短絡的な理由ではないわけですよね。
たぶんもっと本質的に民主主義的な政治制度がそれ自体として良い、とか民主主義的な手続きを踏んで透明性高く何か決めることに価値がある、というような分かり易い成果指標とは別の規範的価値ということを私たちは民主主義に見出しているはずです。
だからそういう成果指標には表れないような価値と成果指標のあいだのある種の戦いみたいなものが今後起きてくるのではないかな、という予感します。イメージとしては、民主主義とか個人の自由みたいなものを犠牲にしたような国がガンガン豊かになってガンガン成長して有事や緊急事態にもものすごくてきぱきと対応できている、ということを私たちが目にしたときに、私たちはなお民主主義的な仕組みというものを取り続けるべきだと思い続けられるのかどうか、というような問題ですかね。これが今後数十年間ですごく重要になると予想しています。

Q:  人々が一生懸命が考える以前にデータ的なものがたくさん出てくると、意識しなくとも民主主義的ではない決め方が自然に進んでいってしまう、ということもありますか。
成田: そうですね。それは避けられないある種の実験として、望むか望まざるかにかかわらず進んでしまうのではないかな、という気がしています。つまりあまりデータがリッチでないような19世紀、20世紀的世界だと、選挙をやって代議士を選んで彼らが議論をして物事を決めていくという、いわゆる僕たちがイメージする民主主義的な仕組みがすごく理にかなっていたと思うんです。ただ段々と僕たちが意識的に情報を収集したり意識的に考えたりして決断するという以外の物事の決め方がデータによって可能になってくると、僕たちが選挙に投票するとか政治家たちが国会に集まって議論するとかということがすごく無駄なんじゃないかという気もしてくるわけなんですよね。そんなことをする暇があったら勝手にデータを集めてそのデータでよさそうなものを決めてしまえばいいんじゃないかと考えるのも自然なことではないかと。そういう風にデータとか私たちの無意識みたいなものに世の中の選択をゆだねた時に何が起きるのか、ということはこれまで人類が実験したことの無い挑戦だと思うのです。こういう挑戦があるとそれが本当に望ましい結果を生み出すかどうかはさておいて、とりあえずそれを試してしまうというのが人間という動物の性なのかなと思っていまして、いわば人間の自由とか選択ではなくてデータが指し示す正しい方向というものに身をゆだねるという方法は今後避けがたく進んでしまうはずです。
Q: 日本もそのような方向に行ってしまいそうな感じがしますが。
成田: 日本は良くも悪しくも成熟して安定した民主主義社会の典型みたいな部分はありまして、みんな自分の意見みたいなものを持っているし、世論のようなものもすごくうるさいじゃないですか。こういう社会では独断的なリーダーとか集約されたデータみたいなもので特定の方向に突き進むようなことはしにくくて、とても慣性の強い社会なんだと思うのです。そういう意味では日本のような社会が、良くも悪しくものろくて安定した民主主義的な合議での物事から逸脱するためにはすごく大きな危機が来ないとダメなのかもしれません。大地震とか大噴火とか本当に国を脅かすような危機が訪れて初めて今の社会の仕組みというものを日本が捨てる可能性が出てくるのではないでしょうか。
Q: 今のコロナの危機はそこまで大きくないですか。
成田: 現状だとまだ全くそこまで大きくなくて、日本の政治や行政の仕組みが目に見えて変わるには程遠いですよね。2011年の大地震の時も同じで、あれで変わるかなと期待した人たちがいたけれど、10年たってみるとあれで大きな社会の制度とか規制とか雰囲気がすごく大きく変わったということはなかったと思うのです。ということは、2011年の地震や今回のコロナよりもっと大きな危機が来ないとこの国が変わることはないのかもしれない。
さらに、変わらなければいけないのかどうかもわからないです。この国はこういう仕組みで世界でそこそこ豊かで3番目に大きい国の地位を保ち続けているので、このままでいいという考え方もあると思います。
ただ、戦前の世界を考えると、大地震や大恐慌、そして感染症のようなそこそこ大きな危機がいくつか重なることですごく大きな政治制度の変容が生まれたわけですよね。今世紀にもこのようなことが起きる可能性はあると思います。そういう合わせ技の候補の一つが、地震や噴火などの大きな天災と緊張している東アジア情勢からの外圧の組み合わせです。非常に危険な状況に陥るリスクが十分にある時代に生きているんだろうなという気はしていますね。
Q: 民主主義の危機のようなものが、先生がそれを研究されている意義ということでしょうか。
成田: あとづけで言えばそうですね(笑)もともとコロナ前から民主主義の危機のようなものは叫ばれてきたじゃないですか。中国のように民主主義に逆行している社会がすごく成長しているとか、アラブの春のような民主化運動が壮大にぽしゃってしまったとか、アメリカや南米で目の眩むようなポピュリスト政治家が出てきて、フェイクニュースやソーシャルメディア上の情報汚染によって民主主義の基本的な要件(高品質で共通した教育と情報)が機能しなくなってきているといったことはこの10年ずっと言われてきたことですよね。それが今回コロナでさらに大きく激しい形で見える化されたという印象がすごくあって、日米で起きていることを見ていて今お話ししたような研究にたどり着いた感じですね。
さらにもっと長い目で見ると、そもそも民主主義と経済の関係や、民主主義と人命の関係というのは社会や人間についての科学・思想の一番重大な問題の一つですよね。そういう問題に本質的に興味があって、ただそれにどうアプローチしたらいいのか分からず、もっと技術的な問題や、もっと直接的に使えるようなツールのような研究を色々やってきたのですが、社会科学の根本問題に戻ってみてもいいかなと最近思っている感じです。政治家の人たちと話すYouTube番組(https://www.youtube.com/playlist?list=PLwYx57BBCEc29AtxmoHt5b5O8n8Ho4q8v)をやっているのもそういう問題意識の一環です。
若い研究者へQ: 日本はどう進んでいけばよいと思われますか。

成田: それがわかれば苦労しないですが(笑)何かが良い・ダメという分かり易い基準にしたがって一番を目指していくより、自分たちにとって何が重要なのか、何を作り出せれば満足で、何は諦めてもいいのかというアイデンティティのようなものをはっきりさせることが大事かもしれないですね。たとえば、フランス政府やフランス人がフランスという国やフランス企業がインターネット産業でイノベーションやGAFAMを創り出せていないということに落胆しているところを見たことがないのです。それは彼らのゲームではないという感じで諦めきっているんだと思うんですよね。そういう諦めを持っていないということが日本の問題なのかもしれないな、と思いますね。人とあまり比べる必要はないという気がします。比べる競争は誰かが負け犬になりますから。
日本のゲーム産業とか京都ブランドはそれに成功してますよね。他の人の物差しで自分を評価する必要があまりなくて、もともと内輪な日本のドメスティックな文化の中からモノや作法を作っていって、なぜかそれが日本国外の人からもエキゾチックな価値として認められていて、経済的にも文化的にもうまくいっているような産業ですよね。
 Q:  日本の若い研究者が海外で研究をすることについてどう思われますか?
成田: 何がやりたいか、何が得意かによるんじゃないでしょうか。論理とかデータとか数学とか、普遍的な道具で勝負したいと思っている人は日本という文脈にこだわらず、海外に出た方が面白いのではないかと思います。アスリートが日本人同士の比較にこだわっているべきではなくて、出ていけるのなら世界に出ていくべきというのと同じですね。
ただ、研究、科学や文化・文芸はそれだけではなくて、日本の歴史を研究したり、日本の経済を研究したり、場合によっては現在の日本の社会や政策や産業に関わって変化を生み出していくという活動も十分あるわけですよね。そういう場合は日本という特定のコミュニティー・歴史、日本語という特定の言語で積み重ねられてきた情報の歴史と向き合うのが重要です。ローカルで内輪だからこそ価値があるというタイプの学問も当然あるわけで、翻訳できないとか、外部の人には価値が分からないというようなものにもそれ自体として価値があると私は思うんですよ。家族や故郷にはマクドナルドやスターバックスとは違う価値があるのと同じです。
そういうものに中途半端に国際競争力みたいな価値観を当てはめるのはただの価値破壊だと思います。日本の大学でいえば、中途半端に国際競争力というようなことばかり強調するようになると、日本でしか作り出せないような学問や文化が創り出せなくなる方向にどんどん行ってしまうのではないかという懸念がありますね。
たとえば国際的な英語のジャーナルに載ったかとか国際的なコミュニティーで評価されているかどうかで評価するという形で日本国内の内輪話を切り捨ててしまうと、グローバルスタンダードで評価できるものしか残らなくなってしまう。ですが、日本のようにそもそもグローバルなコミュニティーと断絶されたところで生きているような社会にグローバルスタンダードを持ち込んで何が起きるかというと、グローバルスタンダードに則った低品質なものだけが残りますよね。「海外の有名人研究者がアメリカのデータを使ってやった研究を日本のデータで繰り返しました」みたいな研究がその典型です。独自の世界観や審美眼のないただの劣化版ですね。
そういう二番煎じ国家になるのは悲しいことだと思っていて、そうなってしまうくらいであれば、むしろ日本の中でしか通じないけれども世界のほかの場所にはないような学問を作ることの方が大事なのではないかと思っています。
Q: まだ日本には学問や思想に独特な厚みがあるということですね。
成田: ええ。研究だけでなく、日本人以外が日本という国をイメージするときに一番はじめに出てくるのは「なんか変で他の場所にはないようなものが色々ある」ということで、これが主な価値だと思うのです。それに比べて、質が高いとか、強いとか大きいとかということで今の日本を評価している場面はほとんど見ないです。食べ物に関しても、日本食は「美味しい」というより、何かよくわからない、他の何物とも違うものとして価値を認めていると思うのです。学問についても本来は同じことが言えるはずで、頑張って競争する、評価できる軸で評価されるものを作る、というのと同じくらい評価の軸そのものから逸脱する、他の場所にはないようなものをつくる、ということが重要なのではないかなと。
Q: 日本の学生に伝えたいメッセージがありましたらお願いします。
成田: 特にないですが(笑)、それじゃあインタビューにならないですね。しょうもないことを言うと、自分の好みや癖とちゃんと向き合うことが重要なのではないかなと思いますね。経済学の研究者でもそれ以外の業界でもそうなのですが、他人や業界からの評価を気にする人がすごく多いなと。有名なジャーナルに載るとか就職活動がどうこうみたいな与太話が本当に多いじゃないですか。人からの評価を最大化する路線はそれが好きで得意ならやればいいのですが、危険な路線でもあります。他人と同じ軸で競争するということになるので、すごく能力の高い人、運のいい人以外はほとんど価値がなくなってしまうからです。ほとんどの人にとっては、むしろ自分にしか作り出せないような変なものの見方とか問いの立て方とか問題に対するアプローチの仕方を突き詰める方が明らかに得策です。要は自分の好みや癖と向き合うことですね。そういう意味では、世界に目を向けすぎずに、良くも悪しくも鎖国した日本というものを利用して、自分の内側にある問題やテーマというものをどうやったら抽出できるかということ考えるのが重要なのではないかなという気がしています。

多動的に多重的に
Q:今後は日本に戻られる考えはおありですか。
成田: 理想的には半々というか、いくつかの場所に同時に帰属する形がいいなと思っています。いくつかの場所に同時に帰属するということはある意味でどこにも帰属しないということで、ずっとストレンジャーでどのコミュニティーにもどっぷり浸かり過ぎないということが可能になるのではないかなと。どのコミュニティーにもどっぷり浸かり過ぎないということによって、いくつかの国や、幾つかのコミュニティーの良いところだけをつまみ食いしながら自分だけの世界を作ることを目指していきたいなと思っています。日本に100%帰属するより、むしろ日本と関わりながら他の国にも同時に帰属して多重生活みたいにしたいです。
Q: 子供時代のネットサーフィンしていたころのものが続いておられるような...
成田: そうなんですよ。そういう多動的な世界を持ち続けられたらいいなとは思っています。

Q: ネットだけでも無理だということですね。
成田: ネットとリアルも行ったり来たりしたいです。今みたいな多重生活が可能になったのはネットのおかげですね。今、私自身は日本時間の日中は日本の仕事、日本時間の夜はアメリカの仕事をしているという感じですが、こんなことは20年前だったら全く不可能だったと思います。同時に複数の社会とか複数の業界に所属するようなことが可能になったのはインターネットのおかげなのかなと思っています。インターネットにはずっと決定的な影響を受け続けているということなんじゃないかな。
Q:  先生はとてもお忙しいようにお見受けするのですが、逆にそれがご自身に合っているということですね。
成田: そうですね。何か一つの事だけをやり続けているとすぐ疲れてしまう、同じ事をずっとやっているとこれでいいのか、というアイデンティティ・クライシスみたいなものにあっという間に陥ってしまうタイプの人間なんです。色々なことを順番にやっていることで、良くも悪しくも気分転換になっていて、無駄な悩みにはまらなくていいという意味でむしろ疲れなくてすんでいるのかな、という感じです。
Q: お仕事から離れている時間、暇な時間はどのように過ごされていますか。それともほとんどお仕事をされているという感じですか。
成田: 最近は本当に色々な仕事をしているので、遊んでいるのか働いているのかわからないですね。もちろん研究して論文書いている時間も長いですが、ウェブ企業で業務データをいじっていることもありますし、美術館にお邪魔して美術展の批評を書くこともありますし、宇宙関係のスタートアップの工房で人工衛星についておしゃべりしていることもありますし。だから私の中では仕事か、仕事でないかというような境界線がないという感じがしています。
Q: 先生の記事を色々拝見して、歩くのが趣味だとあったのですが、意識して歩いていらっしゃるのですか。
成田: 歩くのは大事です。仕事と仕事以外の境界が曖昧で永遠に仕事をしていられるタイプの人間なんですが、そうするとあっという間に体が壊れるということを学びまして。心の方は大丈夫なんですけれど、体の方が先に悲鳴を上げることを避けるために、歩くこと、風呂に入ること、サウナに行くことはとても重要だと思っています。これが若者への一番重要なメッセージかもしれないです(笑)
歩いていると別に何も考えていなくても作り出していなくても罪悪感が生まれないという不思議な何かがあると思うんですよね。布団の上とかベッドの上で何もせずにぼーつとしていると、何もしてないな、という感じがあるじゃないですか。でも歩いているときは何もしてないなと感じなくて済むような感じがするんですよね。歩くこととか移動することは、多分それ自体何か意識しなくても頭を動かしたり思考したり、何かを感じたりしているということなんだろうなという気がしています。
Q: 最後にちょっと大きな質問かもしれませんが、先生のモットーは何ですか。
成田: 人生のモットーとか原理原則とか夢みたいなものを持たないことが重要だと私は思っています。今の世の中は、自分が何者なのか、どこに向かっているのかしっかりプレゼンできる人がすごく多いと思うのです。そういう風にできるべきだというプレッシャーがすごく強いですよね。研究者でも、経営者でも、どんな職業でも。だけど人間ってしょせんは動物なので、本当のモットーなんてたぶんないですよね。なのに不幸にも、モットーがないということに不安を感じてしまって自分のモットーは何なのか、自分が向かっている方向は何なのか、これに意味があるのか、などを問い直してしまうような不安を抱く能力を持ってしまった動物なんだという気がするんです。その強迫観念から少しでも自由になれるように、無目的に迷走しながら生きていきたいなと思っています。
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成田先生におかれましてはご多忙のなか貴重なお時間をインタビューにお答えいただきありがとうございました。とても真摯に、この未曽有のコロナ時代に私たちの感じた素朴な疑問などにもお答えいただき、先生の温かいお人柄に触れることが出来たような気がいたしました。先生はこれからも興味の赴くまま社会の根源の探訪を続けられるのでしょうか。これからまたどのような成果を出していかれるのか、先生のご活躍を楽しみにしております。
インタビューアー: CEI 狩野倫江・吉田恵理子 (2021年5月12日収録)



成田悠輔氏の来歴

麻布中学校・高等学校卒業。極度の睡眠障害により小中高では不登校であった。麻布中学在学時には柄谷行人のNAMに出入りした。高校卒業後、ギャルの多い予備校か専門学校でアルバイトの非常勤講師をしながら1浪して、2005年に東京大学入学。2009年、東京大学経済学部を首席で卒業。

2011年に東京大学大学院経済学研究科修士課程修了。東京大学大学院在学中にVCASI研究助手。ヂンチ株式会社代表、一橋大学特任准教授、スタンフォード大学客員助教などを歴任。2016年、マサチューセッツ工科大学(MIT)Ph.D.取得。2017年にイェール大学経済学部助教授就任。独立行政法人経済産業研究所(RIETI)客員研究員。ZOZO、サイバーエージェントなどの組織と、共同研究や事業に携わる。

東京大学経済学部の最優秀卒業論文の中から数年に一度授与される「大内兵衛賞」を受賞した。

身長184cm。膝を揃えて行儀よく座り、首を上下に動かして頷きながら話を聞く。

車酔いしやすいタイプ。

妻は映画関係者。挙式は吉祥寺のチャペルで、タキシードを着た。

実弟の成田修造は、クラウドワークス創業者で取締役兼CINO(最高イノベーション責任者)。

麻布中高では山岳部に所属し、同級生のプロゲーマーであるときど(谷口一)と活動した。
ときど」1985年7月7日[4] - )は、日本のプロゲーマージャパン・eスポーツ・プロライセンス保持者[5]。本名、谷口一(たにぐち はじめ)。沖縄県那覇市生まれ、神奈川県横浜市育ち。

評価

「日経テレ東大学」プロデューサーでテレビ東京・高橋弘樹は、成田を起用した理由として「成田さんは人づてに『変わった人がいる』と聞いたので、出演動画を拝見し、成田さんが執筆した文章も読みました。

そこで『この人はヤバい』と感じ、すぐにオファーしました。なんというか...成田さんは詩人だと思います。言葉を使って社会を変えようとしている。配信動画では、耳から入る情報も強力な武器になるので適役です。〈中略〉お2人(注: 成田と西村博之)は他の人にないものを持っていると思います。それは、日本に対してしがらみが少ないこと。成田さんは日本のアカデミー業界に忖度する必要もないし、ひろゆきさんは、最悪全ての日本国民に嫌われても構わないとすら思っています。
だからこそ、誰にも気を使わず、しがらみなく意見できる。そこが痛快だし、面白い」、日本経済新聞社の佐々木康は「ひろゆきさん、成田さんは自分勝手なイデオロギーではなく、世の中のデータをもとにお話をされるので、番組を任せても大丈夫という安心感があります」と評している。

主張

「幸福なデータ奴隷」

データやエビデンスを活用することによって自己の存在理由や目的を発見し、最適化された行動を取ることで、人々は日常の小さな判断から解放され、真の幸福が訪れるという「幸福なデータ奴隷」論を提唱している。

教育

日本のペーパーテスト偏重のエリート教育制度を、学力以外の多様性が保証されるという観点から評価している。

アメリカの大学や教育が多様性を尊重し、幅広い人に機会を与えているという考えは
「誤解(misconception)」であると主張している。

2021年11月の『報道ステーション』で「学歴中心の履歴書から経験中心の履歴書へ」と主張した平原依文に対して、「経験重視は、最も格差を作り出すタイプのもの」「(アメリカの高校生が)多様な経験と称するものを手に入れるために、2週間で100万円といった、経験を買うためのパッケージツアーなどに参加します」「家の豊かな子ほどその経験をしっかりと蓄えられる」と反論した。

少子高齢化

『選挙ステーション2021』(テレビ朝日)では、「若者が政治に参加したり、選挙に行ったりしても、何も変わらない」「もっと言うと、今の日本の政治や、日本の社会の停滞は、若者の政治参加とか、選挙に行くとか、そんな程度の生ぬるいことで変わるような、そんな状況にないと思う。

もっと何かとてつもない危機の状態に陥っていて、革命みたいなことが起きないと何も変化は起きない。例えば、若者しか投票できないような世代別の投票をつくり出すとか。もっと過激に言えば、若者が反乱を起こして、一定以上の年齢の人から投票権を奪い取るとか。

あるいは、この国に絶望した若者が新しい独立国をつくり出して、自分たち自身で新しい政治制度を実現していくとか。革命レベルのことが起きないと、日本が本当に変わるってことはない。その革命“100”だとすると、政治に参加するとか、選挙に行くとかというのは、“3”とか“5”の焼け石に水程度の話だと思います」と語った。

『ABEMA Prime』では、日本経済について「高齢化があっても、そこそこ成長している国はある。シンガポールや韓国、ドイツが典型だ。なので、日本も全く無理ではないと思う」としながら、「だが、サービス業が壊滅的にダメで、サービス業の生産性をどうやって上げて根本的に体質転換するか。ここが問題になるのかなという気がしている」と語った。

高齢化について「唯一の解決策ははっきりしている」として、「結局、高齢者の集団自決、集団切腹みたいなのしかないんじゃないか。僕はこれを大真面目に言っていて、やっぱり人間は引き際が重要だと思う。別に物理的な切腹ではなくて、社会的な切腹でもいい。過去の功績を使って居座り続ける人がいろいろなレイヤーで多すぎる。これがこの国の明らかな問題だ」と語り、スタジオのアナウンサーや専門家を驚かせた。

ベーシック・インカム

『ABEMA Prime』でベーシックインカムの導入については、「僕たちは心が弱い。少しお金をもらったぐらいだと働くことを辞められない。何か働いていないと、自分のアイデンティティーが揺らいでしまうとか、何か働いていないと世の中とか社会に対する責任を果たしていないみたいに、未だに僕たちは思っている。本当に重要なのは、働いたり、お金を稼いだりしなくても、特に気にせず自信を持って生きていけるような人間をどう作るかだ。それを実現するためには、ベーシックインカムというのはあまり役に立たないのではないか」と語った。

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構成 #つしま昇

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