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作家 金原ひとみ

2023年06月08日記事

金原ひとみ、小説を書き始めた頃から気になっている「非連続性」への不安とは?

Takanori Kuroda |2020/04/11 12:15 ローリングストーン

「私以前、編集の人に『自分のことはゴキブリだと思え』と言われたことがあるんですよ」

タバコをゆっくりと吐きながら、そう言って彼女は笑った。
金原ひとみ。
20歳の時、デビュー作『蛇にピアス』で第130回芥川賞を受賞し、純文学界にセンセーションを巻き起こしたのは今から16年前。以降は作家としてマイペースに作品を発表しつつ結婚、出産を経験し、6年間のフランス移住生活を経て現在は日本で執筆活動を続けている。

Photo by Mitsuru Nishimura


Photo by Mitsuru Nishimura

「タバコは1日に10本前後、小説を書く合間に吸いがちですね。
子供がいるので家ではもっぱら換気扇の下やバスルームの中で(笑)。帰国してすぐは、喫煙所があまりにも少なくなっていて驚きました。パリは基本的に外なら喫煙OKだし、歩きタバコが当たり前ですからね。日本だと外はもちろん屋内でも吸う場所が限られているから、ほとんど吸えずに帰宅することも多いです」

2011年、原発事故を機に娘2人を連れてパリへ移住した彼女。その時の経験は『持たざる者』(2015年)や『軽薄』(2016年)、そして最新作『アタラクシア』の中にもモチーフとして散りばめられている。フランス語もほとんど話せぬまま勢いでスタートした新生活だったが、それによって彼女の価値観も大きく変わったという。
「日本ではハイブランドの洋服もよく買っていたんですけど、向こうへ行ってからはブランドにこだわらなくなりました。パリではみんなが好きな服だけを買っているんですよ。
『似合う服』ではなく『着たい服』を着ているし、他人がどう思おうと関係ない。すごく若者向けのお店で、おばあちゃんが買い物をしているし店員も普通に対応しているんです。
自分が着たいものを着て、したいメイクをし、したいことをする。とにかく主体的に生きている姿に刺激を受けました」
そう話す彼女の耳には、たくさんのピアスが開けられている。シックな黒のワンピースとハイヒールブーツに身を包んだその姿は、小説家というよりはまるでロック・アーティストのようだ。
・金原ひとみ(写真5点)

「音楽は大好きですね。帰国してからはフェスにも結構行っています。ちょっと“女々しい”男性視点の歌詞に惹かれることが多いかな(笑)。
バンドだとクリープハイプ、SIX LOUNGE、My Hair is Badなどが好き。ピアスは20歳を過ぎた頃から結構、軟骨にもガシガシ開けていくようになりました。最後に開けたのは2年くらい前だったかな。たまに衝動的に開けたくなることがあって」
フランスからの帰国を決めた理由
『蛇にピアス』では、身体改造としてのピアスにハマっていく主人公たちの姿をリアルに描いていた金原だが、自身はどんな時にピアスを開けたくなるのだろうか。
「もともと内面的な世界に篭りがちな人間ですけど、仕事も小説なので、どうしても閉じた世界に入ってかざるを得なくて。
しかも扱っているのは『言葉』つまり『記号』じゃないですか。結局のところ『机上の空論』でしかない。なので人と触れ合ったり、自分の身体を強く意識したりする瞬間を、ある意味では反動的に求めているのかもしれないです。

具体的な“痛み”が欲しくなるというか、自分を串刺しにして地面に刺すみたいな……。世界がぼやけて見える時とか、自分に自信が持てない時など、ブレない軸が欲しい気持ちになると、タトゥーやピアスに惹かれていく傾向がありますね」
基本的に執筆は夜に行っているという金原。23時ごろからパソコンに向かい、メールの返信など事務的なことをこなしながら少しずつ「執筆モード」に持っていくそうだ。
「大抵は朝5時くらいまでやって、寝てお昼くらいに起きる日々です。書くときにはお酒を飲みますね(笑)。そんなに強くない、ビールや酎ハイなんかをちびちび飲みながら。若干アルコールは入っているけど、酩酊はしていないくらいの状態を維持して書くのがちょうどいいんです。
ただ、筆が乗ってくると酒も進んじゃうんですよ。『よし、ワインにするか!』って(笑)。で、ワインが尽きた頃には頭も回らなくなって、そのまま寝る。
そういう時は、割と達成感もあるんです。『よく書けたな』と思うのは、大抵は飲み過ぎたときなんですよね」
それにしても、日本での窮屈な暮らしから開放されてパリでの生活を満喫していたはずの金原が、2018年に帰国を決めたのは一体どうしてだったのだろうか。
「ある時から苦痛になってしまったんです。フランスに慣れてからは、一時帰国後にシャルルドゴール空港からタクシーに乗って家に戻ると『帰ってきた!』という安堵感があったのに、いつしか『ああ、帰ってきちゃった』みたいな気持ちになっていて。基本的に私は、どこかに帰属している感覚がないんですよね。10代の頃から家を出て、あちこち転々としてきたので『あ、ここだな』と思える場所や感覚を得ることができなかった。改めて振り返るとそんな気がします。日本は圧倒的に楽ではあるけど、かといって『ここ』というわけでもない。とりあえず今は、仕事がしやすいし、子供の学校のことなど考えて利便性で住んでいますが、きっとどこにいても『ここだな』という感覚は得られない気がします。どこかに根差して生きていくタイプではないのでしょうね」
とはいえ彼女には家族がある。家族こそ「ここ」ではないだろうか。家族は「ホーム」ではない? 不躾とは思いつつもそう尋ねてみた。
「うーん……そうなんですよね。以前、海外に住む日本人の方のコラムを読んだことがあって。『異国に住んでいると、一歩外に出れば何者かわからない“他者”ばかり。
とにかく家族、ファミリーが自分を全肯定してくれる存在になる』といった趣旨のことが書かれていて。確かにフランスでも、特に移民系の家族の結びつきは強かった。
離婚率も低いし、家族としてだけでなく『同志』としての絆も強いのかなと。でも、私の場合はそういう気持ちが全く湧かなかった。
とにかく家族は自分がきちんと責任を持って回していかなければならない存在であり、それがあることで自分が救われたり、生きやすさを得られたりはしなかったんです。そのことは自分にある種の挫折というか、絶望に近い感覚を植えつけたと思います」
「なぜ自分は生きづらいのか」を掘り下げていった結果、見えてきたもの
金原にとって家族はある意味、会社やプロジェクト・チームのようなものなのかもしれない。そう思ってさらに問うと、「会社に勤めたことがないから分からないですけど」と笑いながら、こう続けた。
「でも確かに、『子供を育て上げる』という目的を持ったプロジェクトに参加している感じなのかな。だから、あまり『情』や『依存』みたいなものもなくて。子供たちにも『自立』を促す教育をしていると思います」
今年、長女は金原が小説を書き始めたときと同じ年齢になる。作品ごとに様々なテーマを取り上げながら、表現の幅を広げてきた彼女には、「書き始めた頃からずっと変わらない、どうしても気になってしまうことがある」そうだ。
「なぜ自分は生きづらいのか、なぜこの世界のルールを窮屈に感じてしまうのか。そこを追求し掘り下げていった結果、人の『非連続性』への不安が大きいのだと気づきました。つまり、昨日までの自分と、今日までの自分を私は連続的に捉えられないんです。
例えば死刑囚に刑を執行しても、それは殺人を犯したときとは別人だから意味がないと思ってしまう。でも、それって世の中には受け入れられない考え方じゃないですか。
自分の中にある、そういう掴めなさ、移ろいやすさを言葉にしたくて、それで小説を書いているのだと最近は思っていますね」
そんな彼女に今後の目標について尋ねると、「本当になくて(笑)。今書いている作品に、ただただ注力しているだけなんですよね」と返ってきた。そして、続けて教えてくれたのが冒頭で紹介した、編集者からの「ゴキブリ発言」だったのである。
「『とにかく、自分は人々から嫌われる最底辺の人間なのだから、誰かにおもねるようなことは全然考えなくていい。ゴキブリとして開き直って、どうやってでも生き延びてやるという気持ちで最底辺の人から見える世界を書いていけばいいんだ』って。
かっこつけたことや、教訓めいたことを書くのではなく、『私は害悪なのだ』という意識を持って書けと。ひどいでしょう?(笑) でも、その言葉があったおかげで私も吹っ切れたというか。
『いい話にしよう』『感動させよう』なんて思わないですんでいるのかもしれないですね」
全身にピアスを開けた、まるでロックミュージシャンのような金原。そんな彼女の中に宿る、ゴキブリのように不屈な魂が今後どんな世界を描き出してくれるのか、楽しみでならない。
(撮影・インタビューは2020年2月に行われたものです)撮影協力:RUBY ROOM
金原ひとみ1983年、東京生まれ。2003年『蛇にピアス』で第27回すばる文学賞、2004年に同作で第130回芥川賞を受賞。ベストセラーとなり、各国で翻訳出版された。2010年『TRIP TRAP』で第27回織田作之助賞を受賞。2012年、パリへ移住。同年『マザーズ』で第22回Bunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞。2018年、帰国。2019年『アタラクシア』出版。
Takanori Kuroda |2020/04/11 12:15

「なぜ自分は生きづらいのか」を掘り下げていった結果、見えてきたもの

金原にとって家族はある意味、会社やプロジェクト・チームのようなものなのかもしれない。そう思ってさらに問うと、「会社に勤めたことがないから分からないですけど」と笑いながら、こう続けた。
「でも確かに、『子供を育て上げる』という目的を持ったプロジェクトに参加している感じなのかな。だから、あまり『情』や『依存』みたいなものもなくて。子供たちにも『自立』を促す教育をしていると思います」
今年、長女は金原が小説を書き始めたときと同じ年齢になる。作品ごとに様々なテーマを取り上げながら、表現の幅を広げてきた彼女には、「書き始めた頃からずっと変わらない、どうしても気になってしまうことがある」そうだ。
「なぜ自分は生きづらいのか、なぜこの世界のルールを窮屈に感じてしまうのか。
そこを追求し掘り下げていった結果、人の『非連続性』への不安が大きいのだと気づきました。つまり、昨日までの自分と、今日までの自分を私は連続的に捉えられないんです。
例えば死刑囚に刑を執行しても、それは殺人を犯したときとは別人だから意味がないと思ってしまう。でも、それって世の中には受け入れられない考え方じゃないですか。
自分の中にある、そういう掴めなさ、移ろいやすさを言葉にしたくて、それで小説を書いているのだと最近は思っていますね」
そんな彼女に今後の目標について尋ねると、「本当になくて(笑)。今書いている作品に、ただただ注力しているだけなんですよね」と返ってきた。そして、続けて教えてくれたのが冒頭で紹介した、編集者からの「ゴキブリ発言」だったのである。 記事引用  ローリングストーン


埴谷 雄高(はにや ゆたか、1909年(明治42年)12月19日 - 1997年(平成9年)2月19日)は、日本の政治・思想評論家、小説家。本名 般若 豊(はんにゃ ゆたか)

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