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7数という音階起源

「プロトス」原始起源のブラス世界、霊界マイナス世界のはざま 
 プラス世界を語らないのは、どうしてなのか、というナゾ掛けは続編のゴジラ編で明かすと昨日の6日に書いた。そう自分で云ったはいいが、それは余りに厄介で深い問題だと今でも思っている。

 序の文字「プロトス」は、起源がラテン語でもともとプロトンの意(最初)があって、それをラテン語にするとプロトスとなる。

 π(パイ・ギリシア語)というフォントを商標登録して個人資産にしたが、それを取り消すよう申し入れたというニュースがあった。よもや数学数字のパイ文字を金儲けの道具にするなど誰も予想しなかった。

 だからこの際、ラテン語「プロトス」も登録してみようかと考えたが、ばかばかしいのでやめた。それで、この項目を観て登録する人が出るかもしれないので、「プロトス」の英文字ロゴを作って保存してある。既成事実を作っておけば、後に横取りしようとしても、それで権利は確保できる。とかく、すきあらば自分の懐に何んでも取り込む社会風潮に対抗しておかなければいけない。(恥さらし)

 巨大怪獣コジラ、彼は映画の中でしか生きられな、という一言が強烈なインパクトをもっていた。その延長には、ネットから生まれた数々のキャラクター代表的「初音ミク」とか、そこに被せられた合成音声ボーカロイド歌声は「ゴジラ」と同じ世界に棲息し、二次元世界から一歩も抜け出すことが出来ない。

 それと対比する自分の世界は二次元世界でなくて三次元、四次元世界のリアル実写、デジタル数のかき集めでなくてアナログ生身の人体なのだろうか。それは本当なのだうか。昨日はそう結論付けた。
 
 明けて今朝、音階と曜日がなぜ7という数で同じなんだろうか、というクエスチョンが突然脳裏を走った。それは余りに「唐突」な話しだ、といわれても弁明するいい訳がない。そう閃いたのだから仕方ない。

 音階と曜日がなぜ7という数、実は紀元前5世紀、ギリシア時代のピタゴラス音階、それと時代的にシンクロしていたタレスの天文学、暦法方位学が画されていた。

 そのもっとも有力な説の一つに紀元前古代の五行思想がある。五行思想は、戦国時代の陰陽家騶衍(すうえん。騶は{馬芻}。鄒衍と表記する場合もある)。
 紀元前305年頃 - 紀元前240年頃が理論づけたとされる。一説によると元素を5つとしたのは、当時中国では5つの惑星が観測されていたためだという。
 少なくとも当時から知られていた惑星、水星・金星・火星・木星・土星の名称は五行に対応している。春秋戦国時代の末頃に陰陽思想と一体で扱われるようになり、陰陽五行説となった。
 
 この考えは、現代社会のいまでも呪術の占い術として生き延び、基は中国思想であったものが西に渡って、様々な祈祷占い術に発展したというという超時空を越えた恐ろしい考え方である。

「ピタゴラス」の考えた音律
 この難解な音の分解を紀元前より考えていた「ピタゴラス」だが、では、この音律が前5世紀に突然現れたのか、というには無理がある。
 歴史の足跡は確たる記述文献によって証明されるが、その書(古くは楔文字、パピルス)に記してあるだけで、今でいうユーチューブ動画を見ているわけではないので、それがピタゴラス直筆の書、という証明はどこにもない。とはいいつつ、それは時代ごとに考察されたはずで、今日見るそのテキストは、近代的であり、またギリシア風、ラテン風と解釈できる。

 紀元前の西アジア、中央アジア圏においては、それと同等の文明が築かれていることが、最近の発掘調査で判っているが、長きに渡り地球世界を支配していたギリシア・ローマ帝国の植民地政策支配は今日の近代まで影響し、その残滓を簡単にはぬぐうことはできない。

 参考程度にピタゴラス音律を書いておく。バッハの演奏曲でよく耳にする「平均律」も解説してあるので、さながら学校の授業内容のようだ。
 

ピタゴラス音律(ピタゴラスおんりつ)は、3:2の周波数比の関係にある音程を基に作られる音律である。ピタゴラスが発案したという伝説により、この名がある。ウィキペディア出典

ピタゴラス音律は3:2の比率の完全五度の音程を積み重ねることに基づいている。例としてDを起点に、上に6回、下に5回、3:2の周波数比の音を得ることを繰り返すと以下のようになる。
    
 E♭ - B♭ - F - C - G - D - A - E - B - F# - C# - G#

 得られた11個の音は実際には広い音域に渡っているが、オクターヴ関係にある音には同じ音名が与えられることから、絶対音高を移し変えて、これらを1オクターヴの範囲内にまとめることができる。

 この作業を更に拡張しようとすると問題が浮上する。即ちオクターヴの比率は2:1であるが、3/2の冪乗は2/1の冪乗と一致することはないため、この操作を何回繰り返しても互いにオクターヴ関係にある音は得られない。下方に延長した場合以下のようになる。
  
 A♭ - E♭ - B♭ - F - C - G - D - A - E - B - F# - C# - G#

 平均律においてはA♭とG♯のような異名同音は実際に全く同じ音であるが、このA♭とG♯には約23.46セント≒1/4半音の差が生じる。この差をピタゴラスコンマと呼ぶ。

 したがって、半音階を構成する際に、A♭を省いてE♭からG♯までの12音を用いると、G♯からE♭への五度音程は、3:2の比率による純正な完全五度(約701.96セント)よりピタゴラスコンマ分狭い音程(約678.49セント)になる。この音程の外れた五度による和音は、顕著なうなりを生じるため、狼の吠声に例えてウルフの五度(en:Wolf interval)と呼ばれる。

 どの音を起点にするか、上下にどの様に完全五度を積み重ねるかは自由である。したがってウルフの五度の位置は自由に決められる。しかしいずれかの五度にウルフが住むため、ピタゴラス音律では演奏可能な調は制限される。

 つまりピタゴラス音律では、異名同音的音程にはピタゴラスコンマ(約23.46セント)分の差が存在する。

 またピタゴラス音律では純正な長三度(5:4≒386.31セント)は得られないが、4つの減四度が純正な長三度と僅差になる。これはピタゴラス音律の長三度と純正な長三度の差であるシントニックコンマ(約21.51セント)とピタゴラスコンマ(約23.46セント)の値がごく近いことによる結果である。

 その定義上、ピタゴラス音律の11の完全五度は3:2すなわち約701.955セントである。五度圏を閉じるためには、平均律がそうであるように、12の完全五度の平均値は700セントであることが要求されるため、 残る1つは約678.495セントになる(ウルフの五度)。このウルフの五度は異名同音による五度であるため、より正確には減六度である。

■以上引用文

 継ぎ足し文≠
 音楽の基礎的な音階配分については、それでアバウトに理解は出来ると思うが、しかし、それは実際で聴く音楽としては体感できない。
 音を実際に出すことなく歌うには代替文字の譜面になるが、それは訓練しないと歌にはならない。ピタゴラスの古代音楽の基準音が何処に設定されていたのか、この文献で知ることは無いが、基本的に楽器の集合体の演奏だからそれは必要だ。
 現代のヨーロッパクラシック音楽の基準音はA・440Hzで設定されているが、今のクラシック音楽と区分けされる以前は、それぞれ各国の民族音楽があり、その基準音はローカル的に統一されていなかったようだ。
 
 キース・ジャレットがバッハ作曲のチェンバロを弾くとき、古楽の方式にのっとり、ピッチをA・431Hzにチューニングしなおして楽器を弾いたという話しがある。
 その丁度一週間後にFM放送でバッハの曲を流していた放送をきいていて、その中で司会者が古い時代のフランスで、同じようにピッチを低く設定して演奏していたという文献があって、それに会わせて390Hzで演奏した合奏曲を流していたのを聴いた。
 
 たしかにそれは重く聴き取れたが、前の断りがあったから、そう聴いたのであって、断りがなければ気づくことも無かった。月が地平線から上がるときは大きく、上空では小さく見えるのと同じ現象だ。それと比較するものがまったくないと、位置、大きさの予想が出来ない人間の錯覚だ。
 
 話題をジャズに移すが、いまジャズを聴くのにアメリカネット配信のFM放送ネット番組を取り込んで聴いている。その中でオスカー・ピーターソントリオの演奏で「A列車で行こう」を、超スローテンポで演奏していたのを聴いて、それがとても良かった。もちろんトリオ演奏者が超一流のジャズメンだから当然の出来となっていたが、これまでジャズを聴いていて、スタンダート曲をゆっくり弾くというのは始めての経験だった。
 とくにジャズ演奏は早弾き超絶技巧を競うのがジャズだという、悪しき習慣があったので、そのスローバラードでなく、スローなスタンダードはとてもよかった。

 それでも、それは比較の問題で、この時代だからこそ、そのテンポが心地よいと感じるのだろう。そしてクラシック界の微妙な変化、楽器のピッチを古楽の低いヘルツで試験的に演奏するという試みが、今後、そちらにシフトするのかどうかは未定だ。
 クラシックの場合、弦楽器が主流だから、張ってある弦を緩く張るというのは演奏者としてはリスクを感じるだろう。
 木で出来た楽器は構造的に弦を張った強度に対抗して強く組まれているので、単純に云って家の構造の張り材を一本抜いた強度で弦を張り、それを弓で弾くというのは、いままでやっていた標準ピッチと、その変化に対応した正確な音を出すのは、かなり難しい設定変更を強いられるのではないか。下手をすると楽器そのものを壊すおそれがある。

7数という音階起源
曜日は七日ではなく「オクターブ」として理解されていた 極東ブログ
 ローマ時代のキリスト教徒は七日の週を創世記神話から自然に受け入れるのだが、その受容には興味深い問題がいくつかある。

 まず、彼らは安息日を8日目と理解していた。一週間は七日なのだが、後の西洋音階のようにオクターブの原理として8の数値で一週間を捉えていた。ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ドとするとオクターブで8という数字が明示されるように、日・月・火・水・木・金・土・日もオクターブなのである。この時代のキリスト教徒は、一週間が七日である由来を創世記に求めるとしても、その意味づけはゲマトリア(数霊術)的なものがあり、その起源は異教的なものであるかもしれない。

 またローマのカレンダーが太陽暦を採用しているのに、キリスト教徒はユダヤ教以来の太陰暦も採用していた。そのため問題となったのは、現代でも問題とも言えるのだが、太陽暦と太陰暦の双方が関連する復活祭の日取りである。ニカイア会議というとキリスト教史では教義がテーマになりがちだが、この二種類のカレンダー調整も会議の重要なテーマであった。

 それで、暦法の問題は解決したか。しなかったとも言える。春分の計算は天文学によるしかない。そして天文学とはこの時代、占星術でもあるから異教文化を必然的に招く。結局、計算は占星術が進んだアレキサンドリアの司教に委ねられ、後の紛糾の元になった。

 さらにローマのキリスト教徒の週理解から変なことが起きた。重要である安息日の曜日が土曜日から日曜日に移動してしまったのである。この背景は多少込み入っていて、曜日名について触れておく必要がある。

 ローマやユダヤ・キリスト教の七日週の起源は、太陰暦を作ったバビロニアだと広く理解されている。太陰暦は約29.5日周期の月の満ち欠けを基にしているから、満月から新月までの約14日間は意識されやすい。そしてその半分を意識するなら、7日になる。この割り算がしばしば、一週間が七日の理由とされるのだが、そういうふうに計算すればそうなるというだけのことだ。満月と新月の間を週という単位で区切らねばならない理由はない。月を四分割したから一週間は七日、というのはそれほど納得のいく答えではない。

 これに対して、古代人が理解していた7つの主要惑星、①月、②水星、③金星、④太陽、⑤火星、⑥木星、⑦土星のレパートリーを日に割り当てたら七日の週になったという考えもある。なお、天王星、海王星、冥王星といった惑星は古代の天文学である占星術にはない。

 二つの考えがある。(1)一週間が七日に決まってそれに惑星が当てられたのか、(2)七つの惑星を日に割り当てたら七日で一週間になったのか。どちらか。

 残念ながらどちらかわからないが、惑星を割り当てるという考え方は、ローマを経由して現代日本の曜日にまで影響している。日本語の「月火水木金土日」は、惑星の略号でもある。

 正確に言えば、古代人は惑星を日に割り当てたのではない。ブアスティンの説明を借りよう。

 彼らが信じていたところでは、各惑星は一時間だけ支配力をふるい、そのあとの一時間はそれに次いで地球に近い惑星に支配力がゆだねられる。このようにして、七つの惑星すべてが順番に支配力をふるうのである。七時間かかって一巡すると、この惑星の支配は最初からまったく同じ順序でくりかえされることになっていた。したがって、それぞれの日を「支配」する惑星は、その日の第一時間をつかさどる惑星ということになり、こうして週の曜日は最初の一時間を支配する惑星の名で呼ばれるようになった。

 ブアスティンはこれ以上詳しく説明していない。少しわかりづらいと思うので補足しよう。

 「地球に近い惑星」だが、当時の天動説では、
①月、②水星、③金星、④太陽、⑤火星、⑥木星、⑦土星の順になっていた。

 「次いで地球に近い惑星に支配力がゆだねられる」ということなので、遠いところの土星から影響力が開始される。一日を24時間とすると、支配力の1時間交替から次のシーケンスができる。

 7惑星のシーケンスが3つできて、3惑星余る。「七時間かかって一巡すると、この惑星の支配は最初からまったく同じ順序でくりかえされる」ので、24時間後である翌日は「日」からシーケンスが始まる。 以下割愛


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2014年07月07日

極東ブログ 参考記事

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成田祐輔氏「知り合いの哲学者に連絡すると『一年後』自然に返事が来る。見習いたい」投稿に反響
2024/3/3(日) 17:31配信 日刊スポーツ
 米イェール大学助教授で経済学者の成田悠輔氏が3日までに自身のX(旧ツイッター)を更新。連絡をとるのに約1年かかる”ある肩書き”の知人について言及し、大きな反響を呼んでいる。【写真】成田悠輔氏


ログ三―

 『一年後』くらいに自然に返事が来る。言い訳するわけでも謝るわけでもなく。見習いたい」とつぶやいた。この投稿に対し「集中力が凄すぎて時間の感覚が異次元なんだろうな…」「タイムカプセル感あって好き」「哲学者は時空を超えていく…」「そういう世界で暮らしたい」「ある意味でさすがとしかいいようがない!」「哲学だな…」「なんという哲学的な話なんだ」
「さすが哲学者!」
「『一年後くらいに自然に返事が来る』関係性が素敵」などとさまざまな声が寄せられている。



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