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うたは世につれ、世界は坂本につれた

坂本龍一の話し(逝去に伴う追悼)

訃報 坂本龍一 逝去 お悔やみ申し上げ候
(まことに残念)  画像  openers.jp

1978年に結成したYMO(三人の一人)
出生地: 東京都 中野区 生年月日: 1952年1月17日 2023年3月28日没
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佐久間正英 1952年〈昭和27年〉2月29日 - 2014年〈平成26年〉1月16日)は、日本のミュージシャン、作曲家、音楽プロデューサー

「佐久間正英」の記事を書いたのが昨日で、期せずして1952年生まれという偶然だった。死亡が28日とあるので、すでに亡くなっていたことになる。

両者とも、早くから音楽芸能世界で、頭角をあらわし、その世界では確固たる地位をもってたと思われた。

といういい方も違和感があるが、個人的には洋楽(JAZZ)一辺倒の「毛唐かぶれ」そのものであり、邦楽(西洋型ポピュラー音楽)を排他的に嫌っていた。勿論、その洗礼がビートルズやクラプトンであることに、文句のいいようがない。
日本の、中でも特異な存在として「拓郎」や「陽水」がいたことは救いがあったと、勝手に思っていた。

であるから、昔から継いできた「演歌」が、どうにかならないか、という世代の若い音楽家が、「学園闘争」(安保反対)というプラカードとともに、雄たけびを挙げていたことと、それはリンクしていて、それを取り締まる側の機動隊(国家権力)と正面から闘争することが、正義で、そして恰好イイ、アクションであると信じてうたがわなかった。そんな世代だ。

その頂点が「日本赤軍」という思想組織を生み、育てた。(時代が相当ズレるが1936年(昭和11年)2月26日226事件の首謀青年将校らのシナリオライター北一輝、西田税、真崎甚三郎の筋書きと酷似している)が想定された。

そうした一切合切(いっさいがっさい)のクソみそ状態が、その時代の空気感のような気がする。だから、正しいも間違いも判断材料もなく、いわゆる社会に吹き荒れる流行りの風聞というやつに、ただ流されていた、としかいいようがない。

そのやや下の世代が、坂本龍一であり佐久間正英、だった。だから微妙な空気のズレはあったし、もっと云えば「西洋音楽」については、常識的に精通していて、坂本についていえば、「バッハ」がテキストという家庭環境は、滅多にあるものではなかった。
当然として、音学の本質については熟知しており、そのセンスが音楽に現れていた。

特に佐久間正英の場合は、自らレコードプロデューサーとして仕事をしていた関係で、海外の音楽専門筋とは縁があり、そのレベル違いの開きに、愕然としたと吐露していた。

もう一方の坂本龍一については、そんな見方ではなく、現場主義、音の本質を徹底的に追及するタイプで、身の回りには、「音源発信装置」が所せましと、積まれていた自宅兼スタジオをテレビをみて、そう判断した。

それで云えることは、単純に比較して「拓郎、陽水」と「龍一、佐久間」の音の作り方に、違いがあった。そうアバウトに分けることができた。

いまの流行歌(一部演歌をのぞく)は、そうした新世代(といっても50年前)の音楽センスに培われた後輩弟子が継いだ音シーンであり、今でも「カバー曲」される、「ゆめで逢えたら」大滝詠一(夢で逢えたら大瀧の死後の2014 12月発売)、その「大滝詠一」はYMOの細野と同世代で、これもやはり、邦楽旋律を塗り替えた一族だった。

ともかく、それを境に日本の音楽シーンが、ガラリと変わったと云っていい。

「坂本龍一」の遺言


Nanao Toyata
Lounge 2015年4月8日  https://openers.jp/lounge/4268

坂本龍一 第3回 「音楽」について言いきる
2015年4月8日 https://openers.jp/lounge/4268
坂本龍一が読者のギモンにお答えするコーナー。
今回のテーマは「音楽」。作曲におけるオリジナリティ、音楽という学問
教授は何を思っているのか?
作曲に音楽の知識は必要ですか?
そもそも音楽とは、ひとから学ぶべきものなのでしょうか?
学問としての音楽を、どうおかんがえですか?

作曲は過去の作品の引用
作曲の95%は、過去の遺産を糧にしています。作曲家自身の“発明”は、せいぜい1、2%程度で、最大でも5%といったところ。作曲の大部分は過去の作品の引用です。

だから、音楽にかんする知識がなかったら、作曲なんかできるはずがない。言葉を知らなければ小説を書けないのとおなじです。ボーっとしているだけで何かがわいてくるということは幻想です。

世界を大きく変えるほどの、たとえばバッハやドビュッシーなみの天才は、それこそ300年にひとり出るか出ないかというところでしょう。

ビートルズの音楽だって、引用です。黒人音楽、ミュージカルやポピュラー系の音楽、ロックンロール、さまざまな要素がうまくミックスされている。それをキレイにスタイリングしたのが、プロデューサーのジョージ・マーティンだったということです。

ぼくはビートルズには、オリジナリティよりも、豊かな蓄積をかんじます。

学問は作曲に役立たない
それから、学問と作曲は、まったくちがうものです。
音楽の学問というものもありますが、じっさいに作曲するときには役に立たない。

学問としての音楽は、定義づけだったり、ネーミングだったり、ジャンル分けだったり……音楽を理解するための方法なんです。最初にそれをやった人ではなく、あとの人が“あとづけ”として体系化したものだから、いざ作曲に用いようとしても、役立たないことのほうが多いのです。

作曲に知識は必要!
ひとからも学ぶべきであるが、
何よりも自分で学ぼうとしなければ作曲はできない。
と言いきりましょう。

1978年に結成 YMO
出生地: 東京都 中野区 生年月日: 1952年1月17日
死亡日: 2023年3月28日、 東京都


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