対話型アート鑑賞が人生を変える。
共同代表のひとりである髙橋圭は当社の事業発表会の席、150人を超える参加者の前で自らのセクシャリティ(ゲイ)をカミングアウトした。
ちょうどご両親もいらっしゃったのだが、御父様に直接伝えるのは、まさしくその時が初めてだったという。
「障がいのあるアーティストの多くが、自らの特性をオープンにしてアート活動をしている。自分自身も自分の特性(性自認)について嘘をつきたくなかった。」というが、さらにもう一つの理由がある。
対話型アート鑑賞との出会い
事業構想期に私と2人で対話型アート鑑賞(複数人でアートを観察し、自由に発言する)を体験した時があった。確か、筆で大きく円が書かれたアートだと思うが、同じものをみているのにそれぞれ全く異なるものを想起したことに驚いた。(下イラスト:オンライン対話型アート鑑賞の様子)
その時、髙橋は「対話型アート鑑賞のような、何をいっても受け入れてくれる安心な場があるんだ。」 さらに「考え方は人それぞれであり、例えば他人から何かを言われたとしても、それはその人の考え方であり、僕個人を否定しているわけではない。」 そして、「同性愛ということに固執して生きていくのではなく、“髙橋圭”として生きていきたい。」と思ったという。
そこから、当社における「対話型アート鑑賞」の事業化が進んでいくわけだが、その発表の席で、髙橋は自らのセクシャリティを来場者に伝えた。
みんな違って、みんないい
先日、髙橋が中心となって開発した多様性理解に向けた研修プログラムをリリースした。
例えば、LGBTsをテーマとしたものにおいては、理解啓発のセミナーに加え、参加者全員でオンラインで対話型アート鑑賞を行う。プログラム全体に高橋自身のカミングアウトのストーリーが織り込まれ、彼の心の変化を疑似体験しながら、LGBTs理解を内的に促すものとなっている。
LGBTsの日本における割合は人口比 8.9%で、これは佐藤・田中・鈴木・髙橋といった標準的な名字の合計 5%を超えるという。実のところ、身近に多様なセクシャリティの方はいらっしゃるのだがカミングアウトが進んでいない。これは、私たち自身の“男の子、女の子はこうあるべき”という観念や某TV番組で同性愛者をお笑いのネタにするなど、私たち自身の通念がバリアになっているという。前述のセミナーでは、これらをクイズ形式で進め一方的な座学にならないように進行する。
多くの企業においてはアウティング(本人の了解を得ずに、当事者のセクシャリティを暴露すること)の防止などのマナー啓発が喫緊の課題だろう。ただ結局のところ多様性理解の本質は、LGBTsなどの“カテゴリー”で捉えるのではなく、そもそも誰もが唯一無二の"個性”をもっていることの理解である。そのためには、その人自身に向き合うこと、そしてその人自身と対話することが大切だ。
ある障がい者雇用に長年取り組む方によれば「〇〇セミナーとかはあまり効果的だとは思えない。やはり一緒にお茶するとか、遊ぶとかそういう人同士の交流がとても大切。だって、〇〇障がい者と言っても、一人一人違うんだもの。」という。
研修の名前に添えた「みんな違って、みんないい」は、実は「対話型アート鑑賞」を体験した数多くの方々から自然と発せられた言葉であり、このプログラムの核となる考え方である。同じもの(アート)を見ていても、それぞれ全く異なることを想起する驚き。ただ、不思議なことにそれぞれイイね!と思える共感性。その上でのLGBTs理解であってほしいというのが私たちのメッセージだ。
髙橋は「僕は決してカミングアウトを推奨しているわけではない。大切なのは、カミングアウトしたいと思った時に、それを受け入れられる環境を作り出せているかどうかだと思う。」という。そのためには、対話型アート鑑賞で感じられる"何を言っても受け入れられる心理的安全な場”が必要だ。そうした職場環境に対する問いも、ぜひこの研修プログラムで感じてもらいたい。
*トップ画像に掲載しているのは 障がいのある人とデザイン学生によるプロジェクト「シブヤフォント」の「まちのあかり」というパターンです。当社はその運営を担っています。