《チームメンバーの可能性を発掘する対話型アート鑑賞研修》 障がい者アートによるチームのチカラの引き出し方とは?
当社の理念は「障がいのあるなしに関わらず、お互いの違いを認め合い、誰もが自分の可能性を発揮できる社会の実現」である。
それを実現する一つの事業として「障がいのある人のアートをチームで鑑賞、対話し、チームメンバーや自分自身の新たな可能性を発見し、チームのチカラを見出す対話型アート鑑賞研修」を行なっている。
もちろん、この事業を通じて障がいのある人の収入支援と社会とのつながりづくりを目指しているのではあるが、それを実現するには、これを導入する企業や個人にとり、価値のあるサービス・商品として提供していかなければ持続維持しえない。
私たちが「対話型アート鑑賞研修」で、障がいのある人のアートを採用しているのは、企業や個人にとって価値あるものだからこそである。本投稿では今まで40社以上、数千人の方々(2021.8時点)にご体験いただいた反応や実感をもとに、私たちが、なぜ障がいのある人のアートを採用しているのかをお伝えしたい。
上写真:対面式の対話型アート鑑賞の様子
上動画:オンラインでの対話型アート鑑賞の様子
1、心理的安全性があり、誰でも発言しやすい対話と関係性を生み出す。
なんとも不思議ではあるが、障がいのある人のアートを使った対話は自然と柔らかくなる。実際に名画(主に2000年までの現代アート以前)と障がいのある人のアートを比べて鑑賞してみると、明らかに対話の質が異なってくる。
美術鑑賞というと「知識がないと語れないのでは?」という方も多い。実際、ピカソや宗教画などを鑑賞するプログラムもあるが、その多くは、その歴史的背景や作家の意図などが情報として提供され、それをアートを鑑賞しながら反芻する(洞察を深める)。そういう鑑賞法もあるが、結果、アートは趣味の世界のものだという固定観念を鑑賞者に与えてしまってはいないだろうか。
一方、障がいのある人のアートは、その背景を過度に意識する必要がない。一定の匿名性もあり、結果的に自由に発言してよい空気が生まれる。
また手書きのものが多く、機械的に描かれた無機質な線や表現が少ない。これが鑑賞者のアートに対する親しみやすさを生んでいると感じる。そして、色味も純粋で奇をてらっていない。その多くが身近な画材で描かれ、色を綿密に調合するなどの技巧がない。その画材のそのままの色で描かれている。描かれる紙においても、市井の画用紙から模造紙、時には段ボールなどを利用している。これらの事象も、結果的に柔らかい対話につながっていると感じる。
現代アートの中には、政治、経済、哲学などをテーマとし、鑑賞者に問いを迫るものも多い。結果、そのアートの理解の手段を鑑賞者に半ば強制してしまっているのではないだろうか。
一方、障がいのある人のアートは、生活の中にある身近なテーマを描かれているものが多い。動物、食事、家族、仲間、友人、風景など、いずれも親しみのあるものばかりで、加えて、作家がそれらに対する解釈を鑑賞者に求めることはなく、作家自身が純粋に描きたいものが選ばれていることが、結果的に鑑賞者を束縛していない。
こうして障がいのある人のアートは、鑑賞者に柔らかい共感を生み出し、自由に発言していいんだよという心理的安全性を生み出している。
上図:障がいのある人のアートをオフィスに掲示した際のワーカーの心理調査。会話が生まれる」「気分転換になる」などに評価が高い。
2、障がいのあるアーティストがアートに取り組むプロセスには、チームメンバーの可能性を引き出すインスピレーションがある。
アーティスト ウルシマトモコさんのインタビューには、自分自身の障がいを受容し、アートに可能性を見出し、自分自身を社会に開いていくプロセスが語られている。
私にだって可能性はあるんだ!と勇気に変わり、(障がいで悩み苦しむ)方々の小さな動きになれたならば、それが私のやりがいかなと思ったりしています。
絵を描き、アート活動を通じて作品をご覧頂ける事は大変大きな幸せです。そして私の作品が暮らしの彩りになれたなら、病気になってしまったことが良かったと思えるくらいです。
(アートに取り組む場というのは)できるとか、できないとかではなく、可能性を最大限に導く方法をみんなで考えてくれる所
アートというと、ワーカーにとってはあまり触れることの少ないものではあるが、ウルシマさんがアートに取り組んでいるプロセスには、自分自身を認めて、自分自身の可能性を追い求めるという誰にとっても大切な要素が含まれているといえないだろうか?
できる、できないという一律の評価軸ではなく、その人の可能性を最大限に導いていく場というのは、アートに限らず、全ての職場にとって大切なことのはずである。
いろんな選択肢が社会の中にあっていい気がするから、障がい者アートという取り組みの中に入ってアート活動をしてもいいし、別に障がいを持っていてもその枠組みに入らずアート活動をしてもいいし、社会全体としていろんな枠組みがあって、たまたま障がい者アートという枠組みで捉えることがいろいろ意見はありますが、選択肢を用意してくれているということ自体が大事なのかなというような気がいたしました。
アーティスト そうみさんの言葉にも大いなるインスピレーションがある。
その人の可能性を引き出す上で、その人に対して多様な選択肢を用意できるかどうか? 育児世代、リタイヤ世代、リモートワークなど多種多様な働き方が広がっている今の日本社会において、これこそ企業が為すべき大きな役割だと思う。加えて就労人口が減少する中、こうした人財活用は企業の競争力にも大いに直結するはずである。
・障害を受容すること=自分自身に向き合うこと
・アートに取り組むこと=自分の可能性を探索すること
・障害をも良かったと思えること=自分自身を肯定し、自分自身だからこそできることに着目すること
障がいのある人のアート活動には、企業が人材を育成していく上で、とても大切なメッセージが込められているといえないだろうか?
3、チーム内における違いを共感に変え、チームのチカラに変えることができる。
前述1、2を踏まえ、ニューヨーク近代美術館の対話型アート鑑賞(Visual Thinking Strategies)を範にしながら、チームメイキングに資するプログラムをオリジナルで構築している。すべてのプロセスにおいて、障がい者アートだからこそ体感できる心理的安全性が基本となっている。
(1)リフレクションランダム鑑賞
互いの感性や思考の違いを感じるのに効果的で、また違うことがかえってチーム内での共感を生み出しうることも体感できる。それぞれが違うからこそ、チームが結束できるという一見矛盾する関係性を感じられる。前述のように障がい者アートだからこその心理的安全性の中で、なんでも受け入れてくれる自己肯定感(自分自身もチームに貢献できるという感覚)も得られる。
(2)視点の切り替え鑑賞
互いの違いによって視点が広がることを体験する。チーム一体となって取り組むことで視座が高まり、視点が増えることを体感する。アートはあえて、多様な解釈が生まれるものを提供する。
(3)ストレッチ発想鑑賞
徹底的に互いの違いを受け入れ、それによる発想の広がりに挑戦する。2〜3名の少人数に対し、日常生活にはない問いを立て、発想のストレッチと互いの意見にのっかりあうチームワークを体感する。(1)〜(3)までのプロセスで、参加者間には、日常業務にはない関係性に驚き、純粋に人との対話を楽しめるようになっている。
(4)他己紹介鑑賞
互いの違いをポジティブに変換するプログラム。(3)でチームワークしたメンバーそれぞれが、自分以外のメンバーをアートを使って他己紹介する。極めてユニークなのが、互いに徹底的に良いところを感じ、徹底的に褒め合う関係性が自然と生まれている。互いの違いを認め合い、互いの可能性を見出すプロセスが体感できる。
あとは、ラップアップワークとして「今後、自分自身がチームにできること」「どういうチームになりたいのかを標語としてまとめる」「互いに自分取説を作り、共有し、互いに支え合う関係性に向けて一歩を踏み出す」等、そのチームのニーズに応じてプログラムを構成する。
また、チームメンバーが楽しく体験できる多彩なラインナップもある。美術館の新しい楽しみ方が体験できる「目からウロコの鑑賞法」、美術学校講師によるデザイン思考が体験できる「アイデア脳の育て方」、障がいのあるアーティストをゲストにお迎えする「アーティストの視点」、音のない世界を楽しむ「サイレント」などを用意している。
「アーティストの視点」は、アーティストへのインタビューを通じて、前述2(障がいのあるアーティストがアートに取り組むプロセスには、チームメンバーの可能性を引き出すインスピレーションがある。)を直接体現できる内容にしている。
一般公募のプログラムはこちらに掲載している。ぜひご体験いただきたい。
当社の理念「障がいのあるなしに関わらず、お互いの違いを認め合い、誰もが自分の可能性を発揮できる社会の実現」を、まさしく体現できるプログラムが、障がい者アートを活用した対話型アート鑑賞であり、このプログラムには深遠なる、今の社会にとって必要なことが凝縮されていると思っている。
*トップ画像は、障がいのある人の絵や文字を、デザインを学ぶ学生がフォントやパターンにするシブヤフォントのラインナップ「Dog or cat」です。原画からパターンに生成するまでのプロセスも紹介していますので、ぜひ覗いてみてください。