美しい諦念
少し前に敬愛している方が呟いていて、思わずため息がもれてしまった言葉。
私が人生をかけて目指したい人間としての最終形態を完璧に言語化してくれている。
この記事のタイトルは今付き合っている恋人について。
1人の人間と本気で向き合うことの困難さと底知れない面白さを、恋人はいつも私に教えてくれる。
彼は前職の上司で、共に仕事をしているうちに、気づけば信頼と尊敬を抱く存在になっていた。
(この辺りは別の機会に改めて書き留めたい)
正直なところ、彼とは、使う言葉も見ている世界も遠かった。
けれど、言語化できないところで強烈に惹かれる何かがあった。
だから出会ってから今日の今日まで、紛れもなくずっと特別な存在なのだ。
さまざまな時間を共にして気づけばそばに居てくれる存在になっていた彼。
“憧れ”は傷つかなくて済む距離で、綺麗なものを愛でるような感情。
“付き合う”ことは、その距離を容易に越えて傷つけ合うことができる関係になるということ。
その分、相手のまだ見ぬ一面と出会い続けることができる行為だと思っている。
付き合ってからは、職場で見ていた時とは違う一面を日々見せてくれるようになり、その度に驚きと寂しさと愛おしさが入り混じった、未知の感情を与えてくれた。
(愛憎相半ばするっていう言葉があるくらいだもんね。)
人には話せないような諍いをこれまで幾度となく重ねてきた。
着地点を見つけられない生乾きで後味の悪いものから、腑を見せ合って両者が納得のうえ完結したものまで-
他者に対してある程度の距離をおき、心から信頼している人にしか本心を見せない自分が、こんなにも感情を剥き出しにしてぶつかること。
それ自体が珍しかった。
だからこそ、こんな醜態を大好きな恋人に晒してしまう自分に、自分自身が傷つけられていた。
大好きでずっと前から聴き続けている曲。この歌詞のような冷戦状態に陥ることが、これまで何度あっただろう。
私の過剰な気遣いは、彼にとっては“信頼されていないという感情につながるもの”だと知った。
表面上の和解は意味を為さないことを知った。
そして、彼が、どんな状況でも私と向き合うことを決して諦めない人であることを知った。
「どうせ伝わらないって初めから諦められるのは嫌だから。」
あまり多くを語らない彼だからこそ、こうした言葉が大きな意味を与えてくれる。
何度ぶつかってそっぽ向いてしまっても、必ず最後は大きな愛で包み込んでくれる。
欲しい言葉を欲しいタイミングでくれるわけじゃないし、全てを許してなんでも寛容に受け入れてくれるわけじゃない。
けれども裏返せば、やさしい言葉を安易に使わない誠実さや、自分の意志を言葉にすることを怠らない情熱ではないだろうか、と。
都合が良いかもしれないが、そうとしか思いようが無いのだ。
クリティカルな言葉を一度だけ伝えてくれるよりも、日々の眼差しや向き合う姿勢に継続した温かさを感じさせてくれる、それが彼なりの愛の形だ。
最近は、彼にはもう敵わないんじゃないかと思う時がしばしばある。
相手を試したり、愛されていることを疑ったりしない、その真っ直ぐな心。
自分がしたいからするという、能動的なスタンス。
私がどんなに成長しようとも辿り着けない場所に彼は初めから、そしてこれから先も居続けるのだろうなと思う。
美しく敗北させてもらった。
素直にそう思っている。
もし、これから先も一緒に歩んでいくことを選んでくれるのであれば、
できればその境地に私も引き連れていってほしい。
2人でいること自体には、特別な意味なんてない。
それを知っているからこそ、特別な意味を2人で見出したいのだ。
どんなこじつけでも良い。
2人だけがその意味を理解していて、大切に温められれば。
そんなことを書きつつも、些細なことでアップダウンする日々。
こんな感じなら、いつか、もう顔さえ合わせたくないと思うような日が来てしまうのかもしれない。
不安になる私の隣で、
そうなったらその時考えよう。
自分たちが分かり合えないことなんて無いよ。
きっと彼ならそう言ってくれる。
そんなことを容易に想像してしまえるくらい、お互いの弱さを見せ合ってきた。
この先も延々と続く日常に、果たして自分は耐えられるのだろうか。
彼となら、どんなに平坦な日常であっても「これが幸せだよね」と言い合いながら、2人のペースで歩める予感がする。
私はもうあなたには敵わないんだから、できる限り素直でいることがせめてもの対抗だよ。
願わくば、完璧な安心と無条件な愛を渡せる存在になれるよう、少しずつ変わっていく私を何も言わずに見ていて欲しい。これから先もずっと。
たった今はそう思っています。
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