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消えたい気持ちのこれまでとこれから


ふわっとこの世界から消えたい気持ちが現れ始めたのは、確か大学3年生の頃だった。
希死念慮とイコールなのかはわからないのですが、なんか生きるの疲れたな、もういいかなという気持ちになることが多々あった。
常にうっすらと頭の片隅にその気持ちがまとわりついていて、時折何でもない時に強烈にその考えが強くなることがあった。
対処方法はとにかく早めに底を打てるように時間が経つのを待つこと。


もう一生この気持ちと付き合っていくんだろうなと本気で思っていた。2年前までは。



ここ1年、そのふわっと消えたい気持ちがかなり弱まっていて、もはや消失したといっても過言ではない状態になっている。

その理由として、空白の時間が減ったことで、人生とか自分の存在について考える機会を作れなかったことが一番大きいと思っている。

昨年転職をして、ずっと憧れだった職業に就くことができた。
あるあるですが、輝いて見えたその存在にいざ自分が立ってみると、見えていなかった現実を知ることになって、良くも悪くも本当にいろんな景色を見させてもらった。

好きなことができる喜びを噛み締めると同時に、自分の弱いところと嫌というほど向き合ったし、
とにかく毎日必死に生きていた。
そして、自分が生み出したモノ・コトで相手に喜んでもらえる幸せを知ってしまった。

1年待たずに体と心に限界が来てしまうくらい、本当に目まぐるしく濃密すぎる日々だった。



今は落ち着いているけれど、心の中では消えたい気持ちの火種がまだ残っていて、薄い膜の下で蠢いている感覚がある。
完全に消失したわけではないので、いつ甦ってきてもおかしくないと思っている。

もう散々連れ添ってきたから、現れたとしても特に驚きはしないと思う。
あ、久しぶりじゃん、くらいの気持ちで迎え入れる予定だ。
コントロールの仕方はもう何となく分かっているし。



同じように希死念慮やそれに近しい気持ちを持っている人は気づけないけれど沢山いて、それぞれ原因も形も違う。
もはや原因なんてなく、生まれつきインストールされている人も多いと思う。


大事なのはその気持ちを否定したり、他者と比べたりしないこと。
無理やり共感する必要もないと思う。


あと個人的にすごく大切だと思っているのは、自分の地獄に他者を巻き込まないこと。
弱っている時ほど受容や共感を求めたくなるのが人間なので。
逆に「どうせあなたには分からない」という一見突き放すように見えて実は巻き込んでいるという、誰も幸せになれないパターンには特に気をつけたい。


自分の地獄に向き合うのは自分だけで良い。


もはやその地獄こそ個性の一つである気がしている。

何か少し影を感じる人って興味を惹かれるし、深く相手を知ることができるフックになり得ると思う。


悲観せず、特別視もしない、ただその気持ちの存在を認知して、自分の中で留めておく努力を怠らないようにしたい。




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