腑に落とすには、まず噛み砕かねばならない
「腑に落ちない」という言葉がある。
私はこの言葉を、「どこか違和感があるけれど、納得するにはなにかが足りない」と思ったときによく使ってしまう。
さて、「腑」とはどんな意味だろうか。
私の大好きな精選版日本国語大辞典によるとこう書いてある。
ふ【腑】
①はらわた。臓腑。
②考え。了簡。思慮分別。また、性根〈しょうね〉。いきじ。
臓腑とは、五臓六腑という言葉から連想されるように、それぞれ五つの臓と腑に別れているその総称をいう。内臓、臓物、はらわたともいう。
臓は、心臓・腎臓・肺臓・肝臓・脾臓。
腑は、大腸・小腸・胃・胆・膀胱・三焦。
三焦だけどこを指しているのがまったくわからなくて、辞書を引いてみたところ、漢方で六腑の一つだという。
そもそも「五臓六腑」自体が漢方でいう言い方だったらしい。
初めて知った……。
四字熟語だと思い込んでててごめんなさい。
さて、「腑に落ちない」という表現はあるけれど、「腑に落ちる」という表現はあるのだろうか?
電子辞書に入っている大修館の『続弾!問題な日本語』(2005年)にはこうある。
「腑に落ちない」vs.「腑に落ちる」、どっち?
最近「腑に落ちる」という言い方が目立つような気がして、編集部の検索資料で使用状況を調べてみた。全360例のうち、「腑に落ちない」「腑に落ちがたい」「腑に落ち兼ねる」など、否定的意味で使うものが340例。肯定形「腑に落ちる」で使うものが20例で、露伴・漱石・菊池寛・長与善郎・茂吉などの使用例がみつかった。5%の使用率であるが、〈肯定形派〉は昔から結構いたのだ。〈鳥〉 『続弾!問題な日本語』より
腑に落ちるって言い方もないではないらしい。
実をいうと、私は「腑に落ちない」も「腑に落ちる」も両方使う。
なぜって?
腑に落ちない、というのは腑に落とさない状態をいうのだ。
そうであるならば、素直に腑に落ちる場合もきっとあるんじゃないの?と思ってしまうからだ。
そして、それはとても個人的で、感覚的な理解をしているせいでもある。
この私の、感覚的な理解が正しいかどうかはおいといて。
前置きが長くなってしまった。
「腑に落ちない」という話をしたのは、このnote記事を読んだからだ。
タイトルから惹かれる。
「ガムを噛む牛」
私、こういう表現、大好きなんですよね。
牛がガムを食べている、そんなことがあるはずがない。
どうしたって目を引く表現になる。吸い寄せられる。
しかも、牛の写真もタイトルと相まってすごくいい感じ。
冒頭の書き出しからして、噛むということが関わってくるのかなと連想できて、とても興味深かった。
とても読みやすくて、すてきな文章だと思う。
内容については詳しくここでは述べないけれど、noteの書き手の方の感覚に、自分と近いものを感じてしまった。
もしも気になった方は、私の文章なんかほっぽって、上のリンクを迷わずクリックしていただきたい。
噛んだものを飲み込んで、それを私たちは栄養分やエネルギーとして、体の糧とする。
でも、噛んで、それが噛み砕けないなにかであったときは?
きっと、のみ込むことができないだろう。
『漢字源』によると。
「呑」という漢字には「ぐっと噛まずにのみ下す」という意味がある。
噛んでのむ、というには適さない。
「飲」という漢字には、解字として「こぼれないように、口の中に入れて、とじこめること」という説明があるのだ。
もらったガム吐き出すタイミングを見失っている、いつ呑み込めば、というような表現があった。
なるほど確かに、丸のみするならば「呑」という漢字が適しているのかもしれない、とすごく、腑に落ちたのだ。
噛み砕かなくても、のみ下すことができる。
けれども、丸のみするというかたちでしか呑み下すことができないのだな、と思ったら、深く感じ入ってしまった。
おそらくは実体験を元にして、噛み砕いて話してくれている。
おかげで、読んでいる私はなんなく飲み下し、腑に落とすことができてしまうのだ。
最後に。
余談だが、私もガムの出し時はわからない。
出すタイミングがあればもちろん出すけれど、出せなかったときは。
ちょっと体に悪いかもしれない、と思いながら呑み込んじゃうことにしている。
呑み込むのもできないときは、口の中でもごもごと移動させることになる。
なんだか。
書き留めてはみたけれど、表に出すことのできない下書きの山を髣髴させるなあって思ったのだ。
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