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はみ出していること

子どもの頃から爪噛みやちょっと人には言えない恥ずかしいクセがあった。自分自身もなんとなくやめたいと思っていたけれど、なぜだか気になって気になって、こっそりそのクセをやめないでいた。
私が言えないでいるクセを表に出してしまっている子がいて、「それって変だよー」と注意されているのをちょうど見かけた。
ああ、私、はみ出してるんだなって胃がきゅって締まった気がしたのはたぶん、初めてのことだったかもしれない。
喉の奥で何かが詰まったようになったのも、きっときっと、自分が同類であることを言い出せずにいたからだろう。

はみ出していること(人と違うもの)に目が行くようになったのも、変だなって言われることに安心感を覚えるのも、自分が少し逸脱しているからなんだろうなとずっと思っている。
けれど、それは決して突出して優れているわけではない。
かといって、とりわけおかしいわけでもない。
平凡とか一般的といった範囲から少し、ほんの足先がはみ出ている。
集団で歩いていたら、ひとりだけよそ見していたせいで少し列からはみ出てしまったかのような。
そんな自覚がある。

まだ学生の時分、アルバイト先で仕事ができないことを馬鹿にされている社員さんがいた。
私もその人のことは要領はよくないなと思っていて、けれど一緒になって馬鹿にするのは、気が引けた。
なぜなら、自分も決して要領が良くないと知っていたからだ。
……この人がもしいなくなったとしたら、次に罵られるのはきっと私だ。
理由もなく、そう感じていた。
アルバイト先の雰囲気はそれ以外は全然問題がなくて、そのことだけが引っかかり続けていた。
アルバイト先の仲のいい子が社員さんのことを平然とあしざまに言っていて、「ああ、それは困るよね」と私が口では返すものの、心の中はいつももやもやしていた。

大学を卒業後、素直に就職できずにアルバイトをしていた。
その職場でも、仕事ができないことを馬鹿にされている社員の人がいて、居心地がずっと悪かった。
だって、私も要領が悪かったから。
一年経っても仕事が手際よくできないことに自分自身で苛立ってもいたし、どうしてできないのと責めてくる無言の視線がつらくてたまらなかった。
その中で、正社員なのに仕事ができないって陰口をたたかれ続けている人がいること。
パートタイマー歴の長いおばさまたちからすると、正社員で入ったひとはとるにたらない能力にしか見えないのかもしれない。
パートタイマーに求められることと、正社員で求められることには差がある。
そのことを彼女たちが理解していたのかはわからないけれど。
ここで正社員を目指せたら面白いのかもしれないと始めた頃に一瞬でも思った気持ちは、陰口の多さからすぐにしぼんだ。
私にはこのパートタイマーという猛者たちを管理し、同時に一緒にはたらいていくことは途方もないことにしか思えなかった。
辞めたいと副店長に伝えたとき、正社員の仕事も気になりはしたことに触れると、とても惜しむような表情をされた。
私にはあのおばさまたちを指示できるような人間に、陰口をたたかれないようなはたらきをする人間に、なれるとは思えなかったのです。
はみ出し続ける覚悟がなかったからという本音は、決して口に出せなかった。


環境のいい職場にあまり行き当たったことがないからそう思うのかもしれない。
あまりいい環境でない職場は、だれかしらのはみ出し者、スケープゴートがいると思う。
同質性の高い場所ほど、はみ出したものを、異端を、つるし上げて悪者にする。
その悪者を同じようにみんなで悪く言うことで、協調し合っている。
その仕組みに気づくたびに、私は息苦しくなる。

いつか、私はスケープゴートにされる。
無自覚なままにつるし上げることもおそろしいし、つるし上げられるかもしれない可能性に怯え続けることもおそろしい。
まだ見ぬはみ出し者のレッテルやラベルをはりつけられることを想像して、私はいつも逃げ出している。

アルバイトの次は派遣社員をしていたが、たぶんその場所にはスケープゴートが何人もいた。
私と同じようにはみ出した人がいて、だからこそ私は息をしていられた。
私は長い間、そこでスケープゴートの一人だった。
はみ出したことで不利益をずっと被っていたし、言いたいことも大っぴらに言えない雰囲気だった。
なぜあんな職場環境にいようと思い続けていたのか、今改めて思い出しても不思議で仕方がない。
これを書いていて気づいたのだけれど……だれかをあしざまに言う側に回らなくて済むこと、いや、自分が最底辺だからこそ何を言っても許されるんじゃないかという安心感があったのじゃないかと、そう。
仮に私が叩いた陰口は、私と話した身内の人にだけに共有されうることであって、その職場のほぼ全員で共有するものではなかった。そのことが、私の口をなめらかにしたのだろう。



今はもう爪を噛むことはやめたけれど、もう一つの恥ずかしいクセはやめられないままだ。
落ち着かないとき、一人になったらこっそりとそのクセをする。
たぶん、一生やめられないんだろうなという気がしている。

はみ出したくない、そう恐れながら、それでもひっそりはみ出して、はみ出すことに安堵するのだろう。


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