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言い過ぎること、それを指摘してくれる人がいること

なんとなく気になってしまって、口癖、とまではいかずとも、同じことを繰り返し言ってしまうことがある。
それは、「かわいい」であったり、「こわい」であったり、その時々の感情もあれば、「××って○○だよね」という感想であったり。
無意識に同じ言葉を繰り返しているのに、自分は繰り返しているという意識がないせいで何度も同じことを言ってしまう。
ポジティブなことであれば特になんでもないことのように思われるだろう。しかしそれが、だれかにとってネガティブなことに結びつくものは、できうるかぎり、避けた方がよいと思っている。

ところが、こういった口癖にすらならない、ただの繰り返し。
これって、だれかに指摘されないかぎり、永遠に言い続けちゃうのだ。
……それが、だれかにとってはネガティブに感じられるものであっても。
恐るべきことに、自分では無意識に、さらに悪いことには悪気すらない。
でもその発言内容によって、自分が全く気づかないうちに、自分の周りから人が離れて行ってしまう。「そんなこと言う人なんだ……」と倦厭して。

だれかに言われないかぎり、なぜその人が離れて行ったのか、わからないままだ。……きちんと自分を省みて改めることが出来る人であればいざ知らず。
下手をすれば、「なんであの人、離れて行ったのかしら」そんな風にしか思わない。なぜ相手が離れて行ったのか、その原因が自分にあることに思い至れないこともある。
鈍感であることを、そういったことの理由にしてしまうのが許されるわけではない。もちろん、気づかなければいけないとだれかに強いることが正しいとも思えない。

ただただ、本当に、私はとても恵まれている。
そういう、私が無自覚に言い過ぎたことを指摘してくれる友人がいる。

その場でずばっと言ってくれることもあれば、憚られる状況であれば後でこそっと伝えてくれることもある。

つい先月のやらかしを友人はきちんと覚えていてくれて、「そういえば」と切り出してくれた。

「あのときさ、××××~みたいな発言、五回くらい繰り返してたよ。ひやひやした。あれで傷つく人も、いないではないからさ」

そうやって、そっと教えてくれた。
たぶん友人はその場でいち早く気づいたけれど、その場では指摘することを差し控えてくれた。きっとそれ以降それとなく気にしてくれていて、それに似た話題からうまく繋げて、私へと指摘してくれたと思うのだ。
ああ、本当に。
その傷つけてしまったかもしれない発言に深く恥じ入ると共に、それをわざわざ友人が私に対してまっすぐに指摘してくれることが、心底ありがたいなぁと思うのだ。


自分自身、無意識に悪意なく同じ発言を繰り返されることで、傷つくことがある。
そのことに苛立ちもしたし、反論したいと思って嫌だと伝えてみたこともあった。
でも、通じなかった。
いや、理解してもらえなかったんだよね。
なぜ私が嫌がっているのかが理解できないというよりは、「そもそもあなた、何言ってるの? それのどこが悪いの? 事実を言って何が悪いの?」くらいの。
ああ、言葉が通じないってこういうことを言うのだろう。
私がいかに不快を感じていようと、その私が不快だと感じた事実やその感情自体を認めてすらもらえないことがあるのだなと。
きっとその人は、そういった悪しき口癖を指摘されたこともなければ、理解しようとすら思い至らずに、その年齢を重ねてきてしまった。そう思うと、情けなくなるし、憐みすら感じてしまう。

……話がそれた。

ともかくも、私は「相手がもしかしたら傷つくであろう事実を繰り返し発言し、もしかしなくても相手を無意識に悪意の自覚すらなく傷つけてしまっていたかもしれない」ということだ。
その相手には直接詫びたいような気もするが、友人の忠告からすると、それもまずいようだ。
私がやらかしてしまったその場で指摘せず、こっそり今になって教えてくれていた友人の気遣いでよくわかる。
読んでいる人にはなんのことだかさっぱり、って感じだと思う。
ただ、「相手を直接的に傷つけるかもしれない事実があり、そのことに気づいているかもしれない人に向かって、私はわざわざその事実を繰り返し繰り返し発言した」ということだ。うまく言えてない気しかしないけど、そんな感じ。
しかも、身体的特徴。
指摘を受けた瞬間、「うわ、うわぁ……私のあほ!!! とんま!!!! ばかー!!!!」って脳内でさんざんに罵らざるを得なかった。めっちゃ恥ずかしい。
万が一にも、その人がその身体的特徴を事実だとして気にしないタイプであったとしても、そういった傷つくかもしれない発言を無自覚に繰り返していたという自分自身が何よりも恥ずかしい。
自分の中の驕りを指摘されたようでもあるし、そもそもそれを無意識で悪気すら感じることなく発言し続けていたって事実が痛くて情けなくて、本当に申し訳ない。
もしや相手のこと、無意識に見下していたんだろうか、そう考えてぞっとした。

私によって傷つけられていたかもしれないその人。
先月私がやらかしたその後に、何事もなかったように連絡を取り合っていてくれた。
……私は全く、これっぽっちも、気づかないまま普通にやりとりしていたことが恐ろしくて仕方がない。
次に会ったときに、その人がどんな反応をするのか、内心びくびくしている。というか、そもそも次があるのか……?


相手を傷つける、傷つけたと明らかなものであれば指摘しやすい。
けれど、皮肉でもなく悪意すらなく相手を傷つける発言って、本当に罪深い。指摘もしにくい。無知を罪とするならば、私は何度もその罪を犯しているだろうと思う。無知ゆえの幼い発言。

その、指摘しづらい曖昧な発言に対して忠告してくれるって、本当にありがたいことだ。

相手によっては、その忠告に怒り出すことだってあると思う。
指摘されたこと自体に怒る人もいるけれど、そんなこと思ってない!私は悪くない!ってキレ散らかす人を、私は見たことがある。
見ないふり、聞かなかったふりもできるのだ。
なんかやばいやつだな、そう思って離れて行くことだってできる。
だから、危険を冒してまで注意や忠告してくれる人は貴重だ。

そんな風に忌憚なく指摘をしてくれる友人が大好きだし、大げさな言い方をするならば海よりも深く山よりも高い感謝の念を抱いている。

自分がされて嫌だなと思ったことはできるならしたくないし、万が一にもそういう行動や言動をしてしまったら私ができうるかぎり改めたいなとは思っている。鈍くて気づけないことが多いのを、人間として私がどこか欠けていることを、私は自覚している。人間的に私がすぐれていないのは百も承知だ。
だから、その状況を見た人が正しく判断して指摘してくれる事実から、目をそむけたくないと思っている。私は私のために、正しくありたい。
「だれかのために」と恩着せがましく言うわけでなく、「こうすべきだ」と正しくあれとねじ伏せようとするわけでもなく。
ただ、相手が間違っている考えや行動をしたときに「それ間違ってない?」「あれ、やばいんじゃない?」って言ってくれる友人がいること、それを言い合えること。本当に誇らしく思う。

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にわたつみ
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