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自然科学という宗教
私は,数学科で学士を取得し現在修士課程に向けて勉強中のしがない数学家である.
日々の生活において,レヴィ=ストロースによる構造主義の思想と出会った.
彼はこれまでの西洋中心の思想を批判し,人間の思考や行動の裏には暗に構造が存在し,それが人間の行動を規定していると主張している.
人間やその社会と構造の関係は物理学と数学の関係に似ている.
構造 <-> 人間・社会
数学 <-> 物理学
私が構造主義を受け入れられないのには物理学や自然科学への強い疑念や猜疑心によるものがある.
物理学の法則は.あくまでも近似であって,絶対的な真理ではない.
再現性を重視する自然科学では,ある法則が100回試行して99回予測が当たることによって,その法則が正しいとされるが,真理を求めるならばこれは認められない.
同様に構造が人間やその社会を近似的に表しているという考え方であれば,まだ受け入れられるが,それが絶対的な真理でその構造によって人間や社会が規定されるという考え方には限界があるだろう.
数学においても,ゲーデルの不完全性定理によりある公理系から導くことのできない命題(到達不可能命題)が存在することが示されている.
ましてや人類が唯物的世界観において完全な形の心理を得ようとすることは不可能である.
近似的に構造や数学を使ってこの世界を記述すること自体は有用であるが,それが絶対的な真理であるとすることはできない.
哲学はある種の諦めや妥協が無いとこれ以上進歩することはできないのかもしれない.