私がnoteを始める理由
「何だか、自分の強みを活かせてないなあ」
社会人3年目の私の素直な感情である。大学の国際学部を卒業した私は、新卒でとある製造業に勤めることになった。留学で培った英語力を活かして、made in Japanのものを世界にもっと広めたかったのだ。数か月の現場実習をへ経て配属された先は「環境管理部」。電気の知識を使って省エネを推進したり、化学の知識を使って公害を防止する施策を考えて実行したりする部署だ。英語は全く使わず、どちらかと言うと理系寄りの部署である。文系と理系でひどいときは偏差値が50程違い、大学受験の時は迷わず私立文系を選んだ私にとっては辛いものがあった。私も含めて日本で新卒で就職する人間のほとんどは自分の配属先が選べない。いわゆる「配属ガチャ」で、自分にとってはずれを引いてしまったのかもしれない。
それでも、配属されたからには頑張るしかなかった。なじみのない単語に悪戦苦闘しながら、仕事を続ける日々。就業後も勉強を続けた。無我夢中だった。もう「分かりません、先輩に聞きます」と言うのは嫌だった。自分で何でもこなせるような人間になりたかった。社会人として、一刻も早く一人前になりたかった。かっこいいキャリアウーマンになりたかった。
そうこうしている内に月日はたち、私は環境管理部の仕事が好きになっていた。無我夢中で仕事をしていると、嫌でもある程度の知識は身についたのだ。一人前の社会人に、かっこいいキャリアウーマンになれたのかは定かではないが、自分の仕事を「悪くないな」と思えるようになった。だんだん会社外の環境にまつわることにも興味が出て、地球温暖化や海洋プラスチック問題などのグローバルな環境問題にも興味を持つようになった。知識欲を埋めるために、社外のセミナーにも参加し、関連本も読むようになった。グレタさんの演説も英語で全て視聴した。私の社会人生活は、知的好奇心にあふれ、順風満帆だった。
でも、何かが足らなかった。一体何が足らないのだろう。
私は、自分自身の強みを、活かしきれていないと感じていた。
大学では英語と世界の諸問題について学んだ。政治・経済・宗教・ジェンダー・テロ・人種・移民・教育など、様々なレイヤーから世界を見る勉強をしていた。アメリカ留学中も銃や移民などのアメリカの社会問題を肌で感じることが出来た。文系の学生にしては真面目に勉強していたと思う。勉強が楽しかった。高校生までの受験のための暗記メインの勉強ではなく、「今」世界で起きていることを勉強して、ディスカッションする。その過程が、たまらなく楽しかったのだ。
でも、この知識、どうやって仕事に活かせるのだろう。一般企業では難しいのではないか。国際機関やNPOを目指すのもアリだが、今からでは現実的ではないし、プライベートとの兼ね合いもあって難しい。そもそも今やっている環境の仕事も大好きだから辞めたくない。一体、どうすればいいのだろう。
職場の人達と何気ない話を話していて、気づいたことがあった。私は大学4年間を国際学部で過ごしたため、上記の知識はみんな知っていると思っていた。しかし製造業では圧倒的に理工系学部や工業高校出身の人が多いため、私の様な国際学部の人ほどには上記の知識が豊富ではなかった。
じゃあ、私のこの知識や経験、他人と差別化できるのでは? 価値があるのでは? 世界の様々な諸問題や自分が肌で感じてきたこと、日本と世界の対比や英語の勉強の仕方などを、文章に起こせば社会に還元できるのではないか?
いや、別に上記の知識だけではない。今の仕事である環境に関わることについてでも、私の様な理系知識のない初心者の立場から解説したほうが専門家の解説よりも分かりやすいのでは? 20代という一番チヤホヤされる年代の女性の意見って、実は社会ではかなり貴重なのではないか? そうやって文章を書き続けて読まれることによって、文章力が身について私の本業にもプラスになるのではないか?
そうだとすれば話は早い! とのことで、早速noteに登録してみました。使い方は少しずつ覚えていこうと思います。私のnoteでは上記にあるように、世界の諸問題や留学中の経験、英語の勉強方法や仕事に関係することに加え、本や映画やドラマの感想や日常でのちょっとした体験のことなど、幅広く書いていこうと思います。
文章には、人の考えをアップデートできる力がある。文章には、人の考えを変えることができる力がある。文章には、世界を変える力がある。私のnoteを読んで、もし心が救われる人がいたら。少しでも世界がより良い方向に進んでくれたら。そう願ってやみません。