日記と過去の記憶
おはようございます。
寒の戻り、北風の冷たい朝です。
最近は「書くこと」が流行っていることもあり
SNSではノート術、書く瞑想などを知らせる記事もたくさんあります。
先日、ふいにオットが
日々を綴ってみて
何か変われるキッカケを掴みたい
というので、こんな前向きには全力で応援!
と大型雑貨屋に行ってみるとブームのおかげか
たくさんの日記帳がありました。
オットが選んだのは
『朝と紅茶と日記帳』というタイトルからしてかわいい、小さなノートです。
そこに乗っかってわたしも
『しあわせ日記』を買ったけど…どうしても書けず、書いても続きません…
参考書の要点まとめや、タスク管理などを書き出すのはいくらでもスラスラできるのに。
そこで自分なりに理由を考えてみたところ
①感情を可視化することが恥ずかしい
→自分の気持ちと向き合うことに
何となく照れ臭い感じがあります。
続けていけば慣れていくのでしょうか。
②過去の記憶がチクリと蘇る
→母は無関心な割にわたしの全てを管理して監視 する人でした。
小学生のころにファンシー文具ブームがあり
ロケット鉛筆や花の香りのするペンなどを集めて
買ったノートに日記のようなことを始めてみたら、学校に行ってる間にぜんぶチェックされていたのです。
なんでこんなふうに思うの?
たわいもないことをアレコレ激詰めされて
書く気力が失せました。
中学時代は交換日記ブームがやってきて
今度は慎重に行動するも、いくらでも寝られる年ごろ…爆睡している間に見つかり、ジ・エンド
そんな記憶があるからでしょうか。
日記=後ろめたい…隠れてすること
思い込みがいまだにあるようです。
親からしたら忘れてしまったことでしょうけど
ムダに記憶力のいいムスメなので
今でもこうして時々、チクリ。となります。
日記、せっかく買ったのだし
オットは続けているし、
この機会に再チャレンジしてみましょうか。
noteではいくらでも書けるのになぁ。
今週もよろしくお願いします🍀
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