【物語】犬【1,000文字程度】
犬が言うからには、カンカン帽が似合うんだそうだ。
「日が照っているだろう?ソバカスが出来るのさ」
その毛むくじゃらの顔の下にソバカスが出来たところで誰が気づくだろう?
私はそう思ったけど、口は災いの元と思い、なにも言わなかった。
どうして、私がカンカン帽をかぶった犬と赤い寂れたベンチで話をしているのか、というのはかれこれ、3時間も前に遡る。
私は赤い寂れたベンチで日光浴をしていた。
要は何もしていなかった。
初夏の日差しが私の思考を白くする。
久しぶりに顔を出したクリニックの医者にうつ病には日光浴が良いと勧められたからだ。私は元来、素直で生真面目なのだ。
クラスメイトには夢遊病者のような歩き方をしていると指摘されたことにいささか傷付きながらも、タバコ屋の裏のひっそりと設置されているベンチに私は腰かけた。
「そのジャケットは秋物だろう?風は涼しいけど日差しはもう夏だよ。」
そう話しかけられたら、隣にはカンカン帽をかぶった犬が座っていた。
幻聴幻覚かと私は自身を疑ったが、うつ病患者は別に幻聴幻覚の症状は起こらない。
「つまり、相応しくない、似合わないのさ。」
私は白濁した思考回路でうるさい犬だと思いながらも
「ファッションにお詳しいんですね。」
と社交辞令として褒めた。
「常識程度ですよ。」
犬は謙虚のつもりで言っているのだろう。
ハハハと笑う。
私もお愛想でハハハと笑った。
沈黙が流れる。
「流行はめぐるが時代の流れに確実に変化している。それは、本当に良い物だけが淘汰され再発見されるから、ではないかと僕は思うが、君はどう思うね?」
犬が沈黙を破る。
「ファッションのお話ですか?」
私は白濁した思考の中で懸命に意味をつかもうとした。疲れる。
「ファッションに限らずさ。」
私は犬が言いたいことが分からない。
「何を仰りたいのか私には分からないです。」
素直にいうと、犬は言った。
「分からないことを切り捨てるのは簡単さ。考え続けることに意味があるのさ。ゆっくり考えてごらん。」
犬は私を諭すように言う。
赤いベンチに沈黙が流れる。
うつ病で回らない頭なうえ、強い初夏の日差しで私は疲弊してきた。
「ところで何故カンカン帽を被っているんです?」
無理やり話題を変える。
犬はため息をついた。そして「似合うだろう?」と言うと二三私と言葉を交わしている途中で、にゃぁーと猫の声が聴こえたとおもったら、犬は慌てて、「用事があるのでそれでは」と言って裏路地に消えていった。
「なんだったんだ…?」
私はベンチに座ったまま伸びをする。
そして、すべての思考を放棄した。
初夏の風はまだ涼しい。
遠くで早くに目覚めた蝉が鳴く。
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